第15話

 後宮の回廊を一周したところで部屋に戻り、わたし楊明ようめいさんを寝台しんだいに座らせた。

 そして、繋いだ手を離す。


「今の楊明さんは、いつ倒れてもおかしくない状態です。一人にさせるのはあやういで……」

「それはぎょく蘭殿らんどのが常にて下さるということか?」


 ……っ!?

 思わず吹き出してしまった。水を飲んでいたらせていたかもしれない。


 ……何考えてんだこの人!?

 常にいるなんて、一言も言ってないから私!!


「いや流石に宦官かんがんの方が向いてます」

「なんだ。玉蘭殿の方が部屋が近いのに」


 そうしたのは絶対あなたですよね。普通私のような人間が、太守たいしゅの部屋の隣に住むなんて有り得ないですから。

 ……何であんな台詞を堂々と言えるんだ、あの人。



 メタ発言:では先ほど楊明の目の前で「薬を口移しで飲ませようか」と言った女は誰でしょうかね。



「それと、さっきの薬は、一日何回飲むのだ?」

「症状によりけりですが……一日に二、三回ですかね」


 そう言った瞬間、楊明さんは顔をしかめた。

 あの薬、嫌いだったんだ……まあ仕方ないよね。苦すぎるし。

 今は午前……午後になったらもう一回飲んでもらうか。


 敖瓊こうけいとのこともあるし、じょうせいが面倒だなぁ……。

 一介いっかいむすめに関係あるかは別として。


 にしても私、これから楊明さんが全回復するまで、ここで仕事彼の看護をするのか……。

 これから段々寒くなるし、おん(暖房)を使う必要がありそう。


 って、ほうしょうぐうって……そんな当たり前に温器があるのか!?


「玉蘭殿」


 突然名前を呼ばれ、ビクッと肩をすくめる。

 ……不意打ち……。


「なっ……何でしょう」

「最近、ちょうこうと仲良くしているな」


 ……張功さんと?

 確かに、話す機会も多いし、役職も少し似ていたから、雑談する仲ではあるけれども……。


「それが、どうしたんですか?」

「……張功め、けしやがって……」


 抜け駆け? 別に張功さんは抜け駆けなんかしてないけど……。

 この人は何を言っているんだろう。

 別に宦官と仲良くなってもいいじゃないですか。


「……楊明様、恐らく勘違いです」

「んなことあるか。何だ、張功といるとき、実に楽しそうではないか」


 そりゃ、仲良い人と雑談するのは楽しいですよ誰だって。

 本当に何を言ってんだこの人。


「真意を確かめたいなら直接本人にけばどうです?」

「分かった。訊いてくる」

「今じゃないです」


 それでぶっ倒れたら、どうするんですか楊明さん。

 色んな意味で心配な人だな……。

 最初はゆうしゃくしゃくとした人だなと思ったけど……まあ人間だから仕方ないか。


「……張功……」


 いや張功さんに恨みでもあるの?


 * * *


 お昼に張功さんと排班シフトを交代して、いつも通り物の修理に取りかかった。

 さて、お部屋では、どんなしゅ羅場らばが……。


 その光景を思い描きながら、螺子ねじを回して金槌かなづちくぎを打つ。


 私、ものづくりも好きなのかな……。

 確かに物の加工は得意な方だし、意外にしょうに合っているのかも。

 今度、何か作ろうかな。

 端切はぎれや……。


「ったく、その手で後宮と楊明様のことをけがしてほしくないわッ」


 ……ボキボキボキボキボキ……!!!

 頭に血がのぼったせいで、木の枝を握っただけでボキボキに折ってしまった。


 し……しんよう……!!

 何か常に私の近くにおるな、お前!!


「やかましいな、んなひまあるならけいでもしたらどうでしょう」

「わたくしのように位のとうとい方々は、あなた様のようなぼくに指図されませんの」


 ……つくづく思うが、お前って自己じこ肯定感こうていかん高すぎないか?

 そういう人ってけむたげられるんだぞ。


きょう大概たいがいにして下さるかしら?」

「あなたの自慢も大概にして下さると幸いです」


 バチバチと火花が見えるような気がした。秦芙蓉は口角を上げて、妖艶ようえんに私をにらんだ。

 大人っぽさや色気は、確かにこの女の方が上かもしれない。

 ……まあ、見た目だけだけど。


「芙蓉様、秦慶しんけい様がお呼びです」


 そのとき、遠くから女官の声がした。

 秦慶……秦芙蓉の父親だよね。また猫被ねこかぶりしそうだ、秦芙蓉。


「あら、お父様が? 分かりましたわ。早くわたくしを案内して」


 ……お嬢様言葉が悪い方面に出てるよ。

 女官も嫌々言いながら、秦芙蓉を運んだ。なんだ、あんたたちも同じなんだ。


 ったく、秦芙蓉、何でいちいち私にからむんだ……もはや顔を見ない日がないじゃないか。


 にしても、私が石峰せきほうきょうって、もう数週間が経つのか。

 ……地元、どうなっているのかなあ。


 家族や近所には心配かけてるだろうけど……ここでしょうしんできていること、何とかみんなに伝えられるかな。


 * * *〈sideサイド 陸瑞りくずい


 誰だお前、そう思っただろう。

 この陸瑞、石峰郷に住む陸家の大黒柱である。やっと分かったな、俺は玉蘭の実兄だ。


 昔から玉蘭は変な妹で、黙っていれば大人もたじろぐ美人なのに、鉱物という変な趣味でじょうぜつべんになる……変。


 ったく、母譲ははゆずりのいい顔してるっつーのによ……。


 確かに地味ではあるが、なぜか毛先にわずかに赤色が混じっている。目も茶色に近いが、一応紅色である。なぜ。



 本来一週間あれば帰ってくるだった玉蘭が帰ってこないので、そりゃ村中大騒ぎだった。


「玉蘭がいねえ!」

「熊に襲われっちゅーか?!」


 ……うーん、武道経験者の玉蘭なら、熊相手でも大丈夫なんじゃ……。

 そう呆れの笑いを浮かべたが、すぐにちょうろうに頭をぶっ叩かれた。


「瑞坊! 妹がいねえっつーのに、何笑うとるんじゃ!」


 いや、田舎娘って意外に強いんすよ……。


 小さい頃から玉蘭と時々遊びで殴り合ってたが、決まって玉蘭が勝ってたからな。帰り道にあおられたのを覚えてる。


 そこまで心配することはないと思う。現に近所は馬鹿騒ぎ状態だが、身内は気長に待っている。


「蘭ちゃんだもの、今頃どうにかしてるわよ」

「ねぇちゃんはつよーいもん!」

「むかし、おっかないくまさんを山にぶんなげた!」


 こう、玉蘭が熊を山に投げたのは、ひと月前の話だ……。

 ただ、彼女が強いのは知ってる。

 どうしたものかね……。


「おにぃちゃん、おねぇちゃんがすっげー人とけっこんしてたらどうする?」


 ……っ!? 何言ってんだ英紗えいしゃ!?

 恋にうとい玉蘭が、んなわけ……。


「そうだったら、お母さんは嬉しいなぁ〜♪」


 ついでに何で乗り気なんだよお袋!! 娘のおのろを想像すんじゃねえ!!

 馬鹿野郎!!


「そんなわけない。玉蘭は残念なひめなんだよ!!」


 しゃべったら綺麗な顔が台無しだからな。そんな女に惚れる男がいるわけねぇ……。

 いるわけねぇと俺は信じる!!


「ええ〜? 蘭みたいな別嬪べっぴんさんは、きーっと可愛がられるわよ。夢は大きく!!」


 変な理想を抱いて……おめでたすぎる。

 仕事と恋愛、玉蘭がどっちを優先するか……目に見えてる。今まで男の話題にも無関心だった玉蘭が恋なんて……。


 するわけない。


 するわけねぇんだ……玉蘭は……。

 俺の妹は俺の妹……全部を知ってるはずだ。


「すぅ、ぴぃ……」


 気づけば、恒も英紗も、すっかり眠っていた。

 辺りも暗く、空にはあまの星が輝いている。まだ少し見づらいが、もっと冷え込めば空はもっと綺麗になるだろう。


「玉蘭……」


 そのとき、俺の足元に、一羽の鳥が飛んできた。くちばしには紙がある。


「……なんだ?」


 紙を抜いて広げると、そこには文字が書いてあった。……まだ俺は、かろうじて読める。鉱物なら完璧だが……。



陸玉蘭被託付給寶頴郡的太守。所以平安無事。一個月後、太守派遣了幾位宦官和武官、不久就前往石峰郷。那樣的話我會去你家、請聽從他們的指示。我會帶你去寶晶宮的。

(陸玉蘭は宝頴郡ほうえいぐん太守たいしゅに預けられました。ですので無事です。一ヶ月後、数人の宦官とかんを派遣し、まもなく石峰郷に向かいます。そうしてあなたの家に行きますので、彼らの指示に従ってください。私はあなたを宝晶宮に連れて行きます。)


 宝頴郡? ああ、宝晶宮とかいう宮殿のある郡か。そこの太守? に預けられた? 玉蘭が? 本当に?

 そして一ヶ月後に何か人が来るから従え? 宝晶宮に連れて行く?


 ……は?


 * * *〈side 陸瑞〉おわり

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