第14話

 その晩、再度楊明ようめいさんの部屋を訪れた。彼は寝台しんだいから半身を起こしていて、苦しそうに胸を押さえていた。


「よ……楊明様」

玉蘭殿ぎょくらんどの……どうした?」


 力無い声。どれだけ疲れていたのだろうか? 一歩ずつ歩み寄って、寝台の隣で止まる。


「体の方、いかがでしょうか」

「……まだ立てない。さっき呉淵ごえんの介助で立とうとしたが、すぐ倒れた」


 ……まだ立てないのか。職務に戻る日は遠そうだな……。

 ……敖瓊こうけいとのこともあるし、早い復帰を願うけど……。


 少なくとも、喉に液体が通れば、私も栄養を……。


「楊明様、水は飲めますか?」

「ああ。固形物も、消化によい物なら食べられる。先ほどは水炊きを口にした」


 おかゆは食べられるのね。なら、飲み薬も……。

 私は、楊明さんに少し待つよう言った。


 * * *


 後宮の厨房、その名も「内膳司ないぜんし」。


 顔も知らない女工じょこう女官にょかんが行き交う中、私は庭園の裏で摘んできた地黄じおうという多年草を持ってきていた。


「うわ出たよ、例の女が」


 私は害虫か何かか、と心の中でツッコミを入れて、厨房の片隅の狭い台を借りた。

 料理長と言いますか、その人が優しくて本当良かった。


「あんな汚い手で何を作る気なのかしら」


 私の手ってそんな汚く見えてるの?

 いや、確かに物の修理で、手は肉刺まめだらけだが……。


 中には普通に興味を持つ女官もいた。

 何気に蘇菲そひもいた。


「玉蘭様? それは?」

「知ってる? 鉱物は石だけじゃないって」


 この地黄という多年草、生薬しょうやくには、銅が含まれている。銅には、血液の循環を改善する、疲労を回復するなどの効果がある。


 知ってた? 銅には色々な姿があるって。

 冷たくて硬いあの姿以外にも、たくさんの姿があるって。



 地黄を適量量り、水と一緒にせんじる。

 うーんと、量は……五分の一から三分の一くらいかな。

 あと、煎じる時間は、十五分から三十分。


「何を作っているのです?」

「鉱物を含む生薬使った飲み薬。私は鉱物を含んでいない薬草にはうとくて……」


 そこも鉱物関係なの笑える。

 何だろう、鉱物がないと関心ないのかな私?


「玉蘭ってお花でしょう? だから、花に詳しい女の子なのかなって思ってた!」

 *玉蘭:白木蓮はくもくれんの漢名。


 あ、あはは……思わず乾いた笑みがこぼれる。

 ぜ、全然違うね……私は、鉱物専門だから……。


 そうこう雑談しているうちに、二十分が経過。

 煎じ上がった液体を濾過ろかし、飲みやすい温度まで下げる。……あ、体感で。

 固形物を取り除いて、けれども捨てなかった。


「あ、廃棄箱は……」

 ううん、と首を横に振る。固形物は袋の中に入れて、そっと棚の中にしまっておいた。

「まだ栄養があるから、湿布しっぷや煮物の具材に使えるの」


 栄養があるのに捨てちゃうのは勿体無もったいないもの……!

 美味しくは……ないけどね。


 そして、激苦煎茶を飲ませるわけにもいかないので、最後に適量の甘酒あまざけを加える。

 少し多かったかな……いいや、味見味見。


「……うん。薬の味」


 何ともいえない甘さと苦さ。流石は漢方薬である。決して美味しくはないが、薬って結局そういうものだろう。

 薬の味、という言葉に、周りの女官が、一瞬顔をしかめる。


「味見する?」


 さぁーっと途端に血の気の引いた女官たちの反応を見て「冗談ですって」と笑った。

 湯呑みに薬をれて、お盆に載せた。


 * * *


 またあの扉を叩く。返事はない。多分防音のせい。

 扉を開けて中に入ると、やっぱり楊明さんが、寝台の上で半身を起こしていた。


「玉蘭殿」

「具合はいかがですか?」


 ニコッと愛想笑いを浮かべる楊明さんって……本当に過労なのか?

 でも、その状態のままってことは、やっぱり立てないんだろうな……。

 寝台の近くに立ち、脇机わきづくえみたいな卓の上に、お盆ごと薬を載せる。


「これは?」

「地黄をせんじて作った飲み薬です。一応、甘酒を淹れて飲みやすくしましたが、薬なので美味しくはありません」


 この世に美味びみな薬があったら人類全員が飲みたがるに決まってる。

 そんな都合のいい話など、御伽噺おとぎばなしに過ぎない。


 湯呑みを口に持って行って、一口すすられた楊明さん。

 しかし、すぐに顔をしかめて、湯呑みを口から離した。


「地元には甘酒なんてなかったので、甘味のない薬を飲んでましたよ」

「想像するだけで具合悪い……」


 そりゃ、想像を絶する苦さだ。お兄ちゃんですら絶叫してたもの。

 私も嫌い!


「良薬は口に苦しと言いますから」

「確かに……」

「もしよければ、私が口移しで」

「……っ!?」


 途端にき込んだ楊明さん。大丈夫か?


「玉蘭殿……じ、冗談だよな?」

「もちろん冗談ですよ?」


 まさか本当に私が口移しで飲ませるとでも思ったのか?

 いや、まさかね。口移しとか不衛生だし。


「はぁ……玉蘭殿が言うと洒落しゃれにならない」

 ……え? 何で私が言うと洒落にならないんだ?


「その容姿で、その声で……そんな台詞を言われてみろ。男は勘違いする」

「は?」


 え、私って何かした? 容姿が何だと言うんだ? あ、でもお兄ちゃんも言ってたな。

『お前は黙っていれば美人なのに』

 と……。

 私はただ、鉱物のことになると饒舌じょうぜつになるだけなのに!


「……自覚がないのか……」

 あちゃー、楊明さんが呆れてるよ。これはまずいな……。

「……とにかくだ。玉蘭殿はちゃんと自覚をするべきだ」


 自覚と言われましても、自分の顔は、鏡がないと見られないのに!?

 それに、声って、自分が聞くときと他人が聞くときで聞こえ方が違うって言われるし?


「玉蘭殿。冗談はしてくれないか」

「分かりましたよ……」


 ……あれ? もしかして私、からかわれたのか?


 * * *


 その後、私は、張功さんと一緒にまた荷物運びをしていた。


 どうも楊明さんの話を聞いた敖瓊こうけいが、心配して薬やら日用品やらを送ってくれるというのだ。

 なんて優しい……! 

 怖い人だと思っていたが、実は違うらしい。

 今度は彼自らお見舞い……親切心が過ぎて逆に疑いそうになる。


「玉蘭殿。楊太守様はどうしていますか?」

「お元気ですよ! やっと歩行許可が下りたみたいで」


 そう聞いて、ホッと胸を撫で下ろす張功さん。彼って結構、情に厚い人ね……。


 でも、ごめんなさい……実は嘘をつきました……!

 まだ自力で歩けるくらいじゃないから……! あ、本格的に危なくなったらちゃんと報告するよ!


 あと本当に私をからかっていた可能性も否めない。

 あの顔は絶対に悪戯いたずらっ子の顔だった……! 弟が悪戯を仕掛けたときの顔に似てたもん!


「楊明様はお元気か。それは良かった」

「心配ですか?」

「そりゃあそうですよ。……いつ頃復帰できますかねぇ、あの人は」


 彼は腕を組みながら、困ったように眉間みけんにシワを寄せた」


「早く復帰できるといいですね」

 私はただそう答えた。


 * * *


 そして、さらに数日が経った頃。

 突然楊明さんが復帰したと聞いた。

 全快したわけではないが、やっと歩行許可を得られたらしい。良かった……これで少しは負担も減るわね。


 って、ちょっと! さっそく回復訓練リハビリするの!?


 * * *


「楊明様!」


 私は後宮内の廊下で、やっと歩行許可の出た楊明さんを見つけた。


「やぁ、玉蘭殿」

「お元気そうで何よりです! お体はもう大丈夫なのですか?」


 彼は、ああと頷いた。


「張功が心配性でな。……でも、もう大丈夫だ」

 良かったぁ。本当に良かった……! もうこれで負担は減るわね。


「……あの、楊明様」

「ん?」

「お体はもう大丈夫なんですよね?」

「ああ、ある程度はな」


 ……それなら。


「あの、では……!」


 私は楊明さんの手を取って、ギュッと握り締めた。

 あ、あれ? 思ったよりも恥ずかしいぞこれ! いやでも我慢しなければ……!


「玉蘭殿……?」

 ああもうっ! そんな目で見ないでくれ! もう限界だから!


「……り……回復訓練リハビリをしましょう!」

「え?」


 あああああああ!! なんで私こんなこと言ったの!? いや確かに回復訓練リハビリ大事だよ!? でも、でも、でもでも、私、何言ってんのよ!!?


「あ、いや! その……えと……」

「玉蘭殿?」

「あのですね……!」


 楊明さんの視線が痛い。視線が痛くて死にそう。

 ああもうっ! なんでこんなこと言っちゃったの私!? いやでも回復訓練リハビリは大事だし……!

 もう自分でも何言ってるのか分からないよ!!

 


 そして、私は楊明さんの手を引いて後宮内を歩いた。

 人目を集めるのも恥ずかしいけど、なぜか彼の手を引いて歩くのが恥ずかしい……!


 助けて!!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る