第3章 事件発生と近づく距離

第13話

 太守たいしゅである楊明ようめいさんが倒れたことにより……宮中がとんでもないことになった。


 ……どうしたらいいの!?

 顔をおおって肩を震わせる私の背中を、誰かが指で突いた。

 張功ちょうこうさんだった。


「大丈夫ですか、玉蘭殿ぎょくらんどの……顔が真っ青ですよ」

「えっ、あ、い、いや……あの……」

「楊太守様のことでしょう、心配ですね……」


 手の震えが止まらないのに気づく。もうダメ、頭真っ白で何も考えられない……。

 どうしよう……どうしよう……!?


 そのとき、部屋に、華やかな漢服を着た女の子がやってきた。

 ……誰?

 その子は倒れた楊明さんを見ると、膝から崩れ落ちた。


「お兄様……嘘でしょ……!?」


 お兄様? 楊明さんの妹さん……た、確か楊玲ようれいさん!

 前言ってた! 妹がいるって!


「は、初めまして……私、ここの女官の陸玉蘭りくぎょくらんです」

「初めましてっ……わ、私は、楊明の妹の玲です」


 桃色を基調にした彼女の漢服が、涙で濡れていく。

 大きな袖で顔を覆い、楊明さんを見るたびに、首を横に振った。


「嘘……倒れるなんて……」


 その横顔を見て、兄想いな妹なんだなぁ、と思う。

 しかし、つつーっと頬を涙が流れたので、慌てて袖で拭った。


 でも……過労の対処法って……?

 うちの村では、過労になったら、なるべく休ませて安楽死あんらくしだったから……対処法が分からない。


 でも……宝晶宮ほうしょうぐうに、優秀な医療従事者って……?

 まあ、いるんだろうけど……。


「す、すぐに医師を呼びますっ!」


 後ろから蘇菲そひの声がして、私はコクリとうなずいた。

 どうしよう……本当にこのままじゃ……。


「玉蘭さん……? 大丈夫?」


 ダメだ……頭痛と動悸どうきがひどい……涙も溢れる……。

 何かもう……もう……。


「玉蘭殿! 大丈夫ですか!?」


 フラフラと倒れかけた私を、張功さんが受け止める。

 あ……頭、クラクラする……。

 目の前が真っ暗になりそう……。


「というか、お兄様が倒れる以前に、なぜ誰も止めなかったのです!?」

 楊玲さんの怒鳴り声が部屋に響いて、張功さんが拳を握りしめるのが分かった。


 ……まさか「過労で倒れるわけない、そう思ってたから」なんて言い訳、ないよね。

 後ろには、張功さんと同じような格好の人たちが立っている。


「そ、それは……ぐ、軍事が、忙しくて……」

「それで通用すると思います!? 健康が最優先でしょう!?」


 落ち着いてください、と、楊玲さんの近くに座っていた女官が、背中を撫でたり腕を引っ張ったりする。

 けれども、楊玲さんの顔が変わることはなく。

 辺りには、妙な沈黙が流れていた。


「………」


 健康が最優先。その言葉を否定できないのだろう。

 逆に否定する方が難しい。

 そのとき、宦官かんがんたちの後ろから、蘇菲がやって来た。いかにもな医師を連れている。


かく先生聞いてください! 楊明様が……!!」


 郭先生……医師のことかな?

 蘇菲……ありがとう。


「……!? 府君ふくん!?」


 郭先生が楊明さんに駆け寄り、体を揺さぶる。

 ……でも、起きない。

 何なら、動かない……!


「……嘘でしょう、府君!! ふくーん!!!」


 部屋の中に、郭先生の叫び声だけが虚しく響いた──……。


 * * *


 そして、結局ほとんど眠ることができなかった。

 ……無理だよ、寝れないよ、あんな精神状態で!!!


 そして作業場に向かう最中に秦芙蓉しんふように悪口を言われ、目の下の特大のくまを指摘された。


「そんなくまをつくって、わたくしの前に……! 汚い趣味ですこと!」


 格下女官や後宮下僕をこき使って、不眠症にさせてる張本人に言われても困る。

 ついでに隈は汚くない。……多分。


 というか太守の正室を狙うなら、少しくらい未来の旦那だんないたわれっての……!

 何平然と私にちょっかい出してんのよ、この女は!!

 楊明さん過労で倒れたんだよ!? いまだに起きれないんだよ!?


 怒りのあまり手に力が入る。爪が手のひらに食い込んだ。でもお構いなし。この女に一泡吹かしてやりたい。

 三角関係は面倒だけど、これは人間として行うべきことだと思う。


「本当にその人を想うなら、支えたらどうなの!? 楊明さんが倒れても、なぜあなたは平気で私をあざ笑えるの!?」


 すれ違いざまに怒鳴り声をあげて、地団駄じだんだを踏む。

 ドンッ! という音が回廊中に響き渡って、周りの視線が集まった。少し背の高い秦芙蓉をにらみつける。

 秦芙蓉は鼻で笑うと、


「あなたの屁理屈へりくつって、いつもおろかよね」


 と言い放ち、立ち去っていった。後ろの女官協力者も、クスクスと笑いながら、秦芙蓉の後ろをついて行く。

 拳に一層力を込めて、秦芙蓉の後ろ姿を睨み続ける。


 ……何が屁理屈だ?

 想い人が倒れたとき、いたわってあげるのは普通じゃない?

 あいつの言ってることが人間離れしてて吐き気する。


 しかし、そんな怒りもどこかに置いていって。

 今日も、いつも通りの仕事をする。


 * * *


「過労に効く鉱物?」


 張功さんと一緒に荷物運びをする最中、私たちはそんな会話をしていた。


「はい。……絶対ではないですが」


 肉体労働が当たり前の石峰郷せきほうきょうだ、疲労は凄まじい。

 その疲労を緩和できる鉱物が、現実には存在する。


「それだけでずいぶん変わりますよ……!」

「私の母が、寝込む弟や妹に、よくあげたもので」


 一回だけ弟のこうが誤飲しかけたけど、効果はある。それに、身近な鉱物も多い。


「例えば、どんなものが?」

「寝室に水晶すいしょう琥珀こはくを置くと浄化作用やいやし効果がありますし、銅やすずを含む漢方薬は、疲労回復や免疫力向上に効果的です」


 この辺の鉱物は後宮の鉱物庫こうぶつぐらにあると思うし、使い方も私は熟知している。材料さえあれば。


「他には……?」

「赤い玉髄ぎょくずいを部屋に置くと血行促進に繋がります。翡翠ひすいのような緑色の鉱物は精神の安定」


 分かる? 緑を見ると何となく落ち着く謎の効果。

 疲れてる人に緑色の物を見せると、疲労困憊ひろうこんぱいを癒すことに繋がるんだよ。私の一番好きな色も緑。


「へえ! 珍しくない鉱物も、薬になるんですね!」

「はい」


 あの漢方薬、激苦だけど……。

 妹の英紗えいしゃが、苦すぎて真夜中に絶叫してたのを覚えている。あのときは貴重な砂糖を入れまくって飲ませたっけ。


荷物運びこれが終わったら、すぐにでも鉱物庫に向かいましょう!」

「はい!」


 * * *


 二人で鉱物庫に入って、早速例の鉱物を見つけることに。

 欲しいのは、琥珀と紅玉髄。

 ……え、多分あるでしょ? 多分。


「この辺に植物由来の鉱物……あれ、琥珀って」

「太古の樹液が固まってできた鉱物です」


 たまに木の幹に、橙色だいだいいろの綺麗な何かがついているでしょ? あれが未来の琥珀。

 だから稀に琥珀の中に、虫が入っていることがある。


「紅玉髄あった……琥珀ありました?」

「ありましたありました! 早速行きましょう」


 どこへ? って思った? ……もちろん楊明さんのところへ、だよ。

 今は薬を服用できないだろうし……置いて何とかなれば、いいけど……。


 * * *


 キィ、と音を立てながら扉が開く。

 ひどく静かな部屋の窓際の端に、寝台を敷いて眠る美丈夫。夕べの苦しそうな表情ではないけど、それでも事切れたように不穏な寝顔だった。


 その様子を入口でぼーっと眺めてから、隅っこの低い棚の上に、紅玉髄と琥珀を置く。沈黙に耐えきれなくなってきたので、すぐさま部屋を出た。



 廊下に出たが、沈黙が続く。ダメだ……何を話せばいいのか……。

 と、そのとき、張功さんがポツリと、

「あれで変わるとは……」

 と呟いた。


「どうかしましたか?」

「あ、いや……なぜ部屋に鉱物を置くだけで変わるのか、と」


 ……そういうことね。確かに理解は難しいかも。

 自分も詳しいことは知らないけれども……。


「玉髄が発する何か……が、血管を拡張するんです」

「へえ」

「琥珀は空気中の汚染物質を吸着します」

「ほおほお」

「その他にも様々な効能があります」


 お母さんや地元のっちゃんが教えてくれたこと。私も何度か実践したことがある。

 実際、体感だけど、何だか空気が綺麗になって体がほぐされた感じがした。


「玉蘭様は知識豊富で素晴らしい」

「褒めていただき誠にありがとうございます」


 楊明さん、休めるといいけど……。

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