第10話

 朝起きたら寝床の横に「派遣一個叫張功的宦官、在走廊的盡頭等著吧(張功ちょうこうという宦官かんがんを派遣するから、回廊の端で待っていろ)」と書かれた紙が置いてあった。


 果て、私が字を読めることを、楊明さんはいつ知ったのだろう。

 確かに商売のため、字の読み書きは覚えたが……。


 文字が読めるなんて、一言ひっとことも言ってない気がする……。

 ……いや、心の中では思っていたけど。


 * * *


 言われた通り回廊の端で待っていると、奥の方から、宦官と思わしき若い男がやって来た。……多分、張功さんだな。


「陸玉蘭様、初めまして。私は楊府君の使いの張功と申します」

「初めまして」


 府君とは、太守の尊称である。

 宦官……って、何だっけ。忘れたけど、少なくとも楊明さんよりは格下だろう。


「早速でございますが、鉱物庫こうぶつぐらに向かいたいと思います」


 鉱物庫は、鉱物の保管をする倉庫。

 昨日のあの鉱物も無論、そこに保管されている。


 陽が高く昇り始めた午前中、私は鉱物庫に向かう道すがら、張功さんと共に歩いていた。


「さて、あの鉱物、どのようなものなのでしょうか」

 張功が軽やかな口調で尋ねる。


「はい、楽しみです。この仕事に専念できるのを嬉しく思います」

 私は頷きながら、前を向いて歩を進める。


 緑豊かな庭園を抜けると、重厚な扉が見えてきた。鉱物庫の入り口に立ち、中の様子を窺っている。

「さあ、早速中に入りましょう」

 張功が促すように言う。


「はい、まいりましょう」

 私は張功に続いて、鉱物庫の扉を開けた。


「………」


 中は、少しほこりくさくて、薄暗かった。

 妙な沈黙が流れる中、ゆっくりと歩を進める。カン……。静かなこの空間に、二つの足音だけが響いていく。


 ここが、宝晶宮の鉱物庫……。

 少し懐かしささえ覚えるその雰囲気を、しっかり噛み締める。


「ここには、鉱物の種類や性質などを書き留めた書類もございます。必要に応じてご活用ください」


 はい、と頷く。すると張功さんが、袖の中から、何か物の入った袋を取り出した。

 中に入っていたのは、あの鉱物である。


 何度見ても、石灰石に見えるんだけど……。

 でも、表面が光っていないんだよな。


 普通、石灰石は、表面が光った石である。

 けど、この石は違う。


 何なんだろうな……?


 借り物の顕微鏡を覗いてみるが、使ったことがないので分からず。

 虫眼鏡で見ても怪しい箇所が見えず。

 書籍で調べても、完全に特徴が一致する鉱物はない。


 こりゃ、骨が折れそうだな……。


 * * *


 昼過ぎになっても有力情報は見つからずじまい。進展は、なし。

 疲れた……。


 そんな中、いつの間にか居なくなっていた張功さんが戻ってきた。手には、色鮮やかな砂糖菓子と水が載ったお盆を持っている。


「玉蘭さん、休憩しませんか? 外の空気を吸いながら、少し休憩しましょう」


 と、優しく提案してくれる。

 疲れも溜まってきたし、確かにこのままじっとしているのも気が滅入る。感謝しつつ、美味しく頂く。


「ん……! 美味しい……!」

「糖質摂取は頭の回転をよくするんです。これは、飴細工あめざいくといって」


 飴細工? 聞いたことない……。

 でも、すっごく美味しい!


「御口に合ってよかった」


 そうして外に出ると、まだ暑い日差しが照りつける庭園が広がっている。

 ゆっくりと歩きながら、外の空気を吸い込む。


「ふぅ、こうして外を歩くのも気分転換になりますね」

「ですね〜」


 と、張功さんも満足そうに呟く。

 ふと、庭園の隅に立つ楊明さんの姿が見えた。


 ……何だ、あの邪険じゃけんな顔は。

 むすっとしてて、楊明さんらしくないなぁ……。


 でも、あんな子供みたいな顔もするんだ。

 英紗に見えて、ふっと微笑む。


 親近感湧いたよ。


 太守だろうが何だろうが、人は人で。

 幼さを感じる一面、誰しもあるんだなぁ。


 楊明さんも、それは一緒で。

 何か、身近に思える。


 ……あ、思ったらダメか。

 太守だもんね、相手は。


 身近に思っていい存在じゃない。

 天の上の人間だ。


 そうだそうだと自分に言い聞かせて、ぶんぶんと首を横に振る。

 ……あっぶない。楊明さんに親近感なんて……。


 私の仕事を忘れちゃいけないね。

 鉱物鑑定、っていう。


「張功さん、持ち場に戻りましょう。あまり外にいたら、仕事が」

「あっ、そうですね。戻りますか」


 張功さんの方を向いて、こくんと頷く。


 というか……なーんで楊明さんは、遠くからあんな、ねちっこい目で私たちを見ているのかしら?

 気のせいかな?


 * * *


 ということで持ち場に帰ってまいりました。

 結構外にいたようで、すでに陽は西に傾いていて、空は橙色に染まり始めている。


 間もなく夕餉ゆうげの時間が始まってしまう。

 それより早く、仕事をなるべく多く終わらせなくっちゃ。


「お水、ここに置いておきますね。水分補給も忘れずに」

「ありがとうございます」


 灯台の真横に置かれた水の表面の揺れに、こぼれないかとヒヤヒヤしたが、そのまま揺れはおさまった。


 もし鉱物が、水溶性のものだったら。水に触れると毒になるものだったら。

 考えるだけで、ゾワゾワする。恐ろしい。


 少し水と灯台の距離を離しつつ、少しずつ、鉱物にきりを刺していく。

 切っ先が、わずかに表面を割く。


「……うーん……」


 切っ先に、粉っぽい白いものが付着する程度。なかなか切れない、割けない。固いな、これ。


 腕を組み、喉をうならせる。

 どうしたら中身を見れるものか。


 水を口に含みながら、鉱物それを手に取る。

 表面に白い粉はつく。そして固い。以上。


 って、流石に本日の調査結果がそれだなんて……楊明さんに見せられない……!

 もっと調べないといけないのに。


 え、でも、あと何を調べばいいんだろう……?




 水を置こうとする手が狂ったのか。


 鉱物を持つ手が狂ったのか。


 或いは、その両方か。



 あろうことか私は、水の中に──鉱物を落としてしまったのである。


「……やばああああああああいいい!!!」


 な……何と、最悪の事態が……!!

 この鉱物に、水に関する悪い特徴がないことを祈るのみ……!!


「………」


 落とした衝撃による泡を立てながら、波打つ水。

 徐々に、白くにごっていって……。


「……?」


 現れたのは、淡い白色の何かに包まれた、黒くつるりと底光りした鉱物。

 ……いや、鉱物なんかじゃない。


 ……ああ、なるほど。腑に落ちた。

 あと……分からないのは、一割だけ。


 * * *


「今日の進み具合は?」


 夕餉の時間の最中、隣に座る楊明さんに訊ねられた。

 口に含んだ鱶鰭フィーイ(フカヒレ)を飲み込んでから言う。


「鉱物の正体は分かりました。分からないのは犯人です」

「犯人? 人為的な犯行なのか?」


 はい、と頷き、楊明さんの方を向き直る。

 そして、強い眼差しで彼を貫く。


「これは……人為的なものです。そういえば昨晩、回廊で、貴族らしき女性を見たのですが、遠くから。緑の絹をまとうお妃っていましたっけ?」


 遠目プラス夜目で見た限り、その女性が着ていたのは、緑色の絹織物の衣服だった……と思う。

 私は後宮のお妃についての知識が乏しいから……分からなかった。


「ああ、華凛ファリン妃か。瘋癲ふうてん……精神の異常で部屋に幽閉されていたはずだが」


 精神異常者か……そして、夜に宮中を徘徊はいかいか……。


 そのとき、事実と事実が、頭の中で、固く結ばれた。ほどけぬ結び目が見える。見える!


「……なるほど、全て分かりました」


 一人呟き、ニヤリと笑う。

 つまりそういうことだった……と。


【あとがき】

久しぶりの更新になります💦 何日もすっぽかしてごめんなさい……。

やっと負のスパイラルから抜け出すことができました!

今回はかの有名な、中華風後宮の薬屋の物語にインスピレーションを受けすぎて、めちゃくちゃミステリみたいになってます笑。

伏線は十分散りばめました。さてさて皆さん、真実は分かりましたか?

ヒントは「いわくつきの鉱物」「黒く底光り」「白い粉」「瘋癲の妃」ですよ!

あ、言っちゃいました。

インターネットで調べて、答えを予想して、コメント欄に書いてみてください✨

皆さんのご回答待っております!

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宝晶宮のカリスマ太守は、貧しい物売りの娘を寵愛希望? 月兎アリス(読み専なりかけ) @gj55gjmd

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