第9話

 さて。重陽の節句は無事終わった。

 それは皆さんご存知だろう。


 でもでも。


 漢服を脱ぎ終えた私の後ろを、楊明さんが歩いているのだが。


「……あの」

「何でしょう?」


 じゃなくて。

 肩に手、乗ってますから。

 思いっきり乗ってますから。

 すっとぼけないで下さい。


「何の用ですか?」

「二つ、用件があってな」


 だったら肩に手乗せるより早く言ってくれませんか。


「一つは、鑑定というか……」

「はい?」


 鑑定? なんで私が? と思い事情を聞くと、どうやら宮中には奇妙な鉱物があり、大工がずっと怖がっているので、何なのか調べてほしい、という。

 ……興味深い仕事じゃん。


「いつもは物の修理ばかり任せていたが……今回は、そのことについても調べてほしいのでな」


 なるほど、それで石峰郷せきほうきょう出身の私が選ばれたわけか。

 確かに私、鉱山で採れる鉱物は全部書けるし。


おおせのままに」


 頭を下げてそう言う。

 彼に案内される途中、自分の胸の高鳴りがおさまらないことを感じていた。


 * * *


「これだ」


 そう言って見せられたのは……。

 奇妙なほど白く、奇妙なほど角の丸くなった、奇妙な何かだった。


「これ……鉱物ですか?」

「大工がそういうからな。……まあ色々、言い伝えがあって」


 大工、か……言い伝え……何だろう、すっごい胸がザワザワする。

 鉱物に関わる言い伝えというのは、昔々からあるもの。

 それを信じる人間もいれば、私のようにあまり信じず、嘘だと言う人間もいる。


「その言い伝えとは?」

「この鉱物を使った大工が、高台から転落したり、誤って体に杭を打って死ぬ……というものだ。転落はまだしも、誤って杭を打つとは……大工としてどうなのか」


 ……想像しただけで、ゾワゾワするくらいの恐怖心を覚えた。

 でも、それくらいが楽しい。

 見た目の良さを求めるため、ギリギリのところで杭を打ってる感覚に似てる。


 ……伝わる気がしない。


「玉蘭殿は石峰郷せきほうきょうの出身であろう。噂では、村民は皆、地下の鉱物の名前は言えるらしい。中には、書けるなんて者もいるらしいからな」


 ……いや、鉱物の名前を書ける者って……。

 その中に私もいるじゃん……。


 ちなみに、商売で必須だからという理由で、私は読み書き計算を習っていた。

 結果、鉱物の名前も書けるようになったのである。


「まあ、鉱物の知識は、……」


 とはいえ、発達した教育を受けていた経験はない。

 しかし……この仕事ができなきゃ、私はクビ……だ……。

 せっかく手に入れた地位だ……絶対に手放したくない。


「ありがたい、ありがたい。今日中に終わらせろ、とは一言も言ってまい。まあ、なるべく早期の解決を願うが」


 分かってくれてありがたい。


 もうとうに日は落ちて、何なら星が輝いている。

 今日終わらせようとしても、それより前に太陽が昇るだろう。

 ……もし今日中に終わらせろ、という作業だったら、間違いなく私は解雇になっていたはずだ。


「玉蘭殿、ついて来てくれますか?」

「え? ……はい」


 ……なんで楊明さんについて行くんだ?

 首を傾げつつ、楊明さんのすぐ後ろをついて行った。


 * * *


「こ……ここは……」


 えっと、この間来た、楊明さんの居室のところ……。

 隣にもう一つ襖があるけど……。


「隣の部屋が、玉蘭殿の居室ですからね」

「……!?」


 い、いやいや、太守の居室の隣室って……使えるの……!?

 私……ええ!?

 え、待って、宮中に私がいるだけで本当にビックリなのに、部屋も持って、しかも楊明さんの隣の部屋って……。


「あの様子からすると、今、玉蘭殿に事情を説明しても理解が難しい……ですから、今は説明をせず、追々説明させていただこうと考えております」


 あの様子? 何の様子?

 首を傾げると、楊明さんはいつも通り微笑んで、


「明日から、鉱物の鑑定あの仕事が始まります」

「……はぃい……」


 まだ宮中に来て、わずか一週間。

 それなのに、私はとんでもない目に遭っております……。


 ……言わば、大出世です。

 極下層庶民から、太守直々に命を受けた、女官? に。



「ただ、いくつか直接聞きたいことがありまして……」

「聞きたいこと?」


 珍しく弱い顔の楊明さんがそう言い、首を傾げる(三回目)。

 聞きたいことって、い、一体何……?


「今日の重陽の節句で、私は会場であなたを見かけた……しかし、話しかけはしなかったな?」


 ……そういえば、話しかけてはいない。

 思えば蘇菲そひと一緒に、遠目に見ていただけで……だって……。


「目が合ったとき、楊明様、すぐ目を反らして……」


 カチッと視線が合った途端、顔を背けてしまった楊明さん。

 一体……何があったの……?


「……すまない。……まあその事情も、今の玉蘭殿には分からないのではないかと……」


 えっと何か、私色々、分からない判定されてない?

 根拠も何も分からないけど……。


「でも、それだけが理由か?」

「いえ……」


 理由はもう一つある。


芙蓉ふようさんと仲良く話されていて……でも、あの笑顔は作り笑いのように見えましたが、話しかけるのは気が引けて……」


 そもそも、私があのときあの場所に露店を構えていなかったら、私はここと巡り会うことはなかったんだ。

 それに楊明さんは太守。気安く話しかけられるわけがない。


 そう言うと、楊明さんは組んでいた腕を下げて、静かに俯いた。


「……そうか」


 胸が、ざわッとする。

 ……何だろう……この弱い顔を、私以外に見られていたら、嫌だ……。

 何で……?


「まあいい。……もう寝ろ」


 珍しく厳しい口調になった楊明さんを見て、ビクッと肩をすくめる。

 楊明さんの後ろ姿が消えてしまうまで、ずっと見ていた。


 * * *


 どうしてだろう、今日はいつもとおかしい。

 楊明さんの謎も深まるし、奇妙な鉱物もあるし……。


 突然、楊明さんの口調が……厳しくなって。

 優しそうな人も、いざとなれば怖くなれるんだな……。

 でもなぜ、楊明さんは話し方を、敬語から突然……うーんと、常体? に変えたんだろう。


 頭の中で、楊明さんの言葉が思い起こされる。


『今日の重陽の節句で、私は会場であなたを見かけた……しかし、話しかけはしなかったな?』

『それだけが理由か?』

『……そうか』

『まあいい。……もう寝ろ』


 楊明さんのもとの顔つきが相まって、少し怖くて、威圧感を感じて……。

 何があったんだろうか。


 ふと、窓から身を乗り出して外を見た。


「……?」


 外から見える回廊の中……そこに、貴族らしい女性が?

 しかもお一人で……どういうこと?


 いや実際は知らないけど、普通は護衛がつくのでは……?


 遠くから見える限りだけど……淡いヒスイ色の漢服(多分寝間着)を着ていて、やけに足取りは弱々しい。


「誰だろう……?」


 後宮に住まう女性かな?

 見た感じ貴族っぽいし、場所的にも……。

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