第8話

 ……流れで、重陽ちょうようの節句に参加することになった。

 本来なら準備係として慌ただしく動き回っているはずが、蘇菲そひさん等に囲まれて、着付けられている。


蘇菲そひさん、これ、ちょっ……」

「楊明様のお願いを断るわけにはいかなかったので……」


 絶対的な権力者って感じだものね、楊明さんって……。

 現に、この郡の長官なわけだし……。

 ……なんて郡だっけ?


 それにしても、漢服を着付けられるなんて……あのとき(※初日)の夜以来だな……。

 しかも、こんな立派な漢服を着付けられるのは初めてだ。


「まずは、この内襦袢ないじゅばんを着ていただきましょう」


 ……何言ってるのかすら分からない。

 ナイジュバン? って何? 何……?


 けれども、蘇菲そひさんの手つきは柔らかで、かなり手慣れている感じがする。

 何だろう……心が落ち着くというか、安定する。


 次に、深紅色しんこうしょくの地に金の刺しゅうが施されたを着せてもらう。

 重厚な生地が、私の体を包み込んだ。


「衣は、外見の装飾と保温の役割を果たします。金糸の刺しゅうは、華やかな印象をかもし出すためのかなめです」


 へえ、これが謂わゆる外側の部分なのか。

 ずっしりとした重さが体にのし掛かる。

 おっもー……。


 そして最後に、赤いをまとう。女官たちが優雅に裙を広げ、私の足元を優しく包み込んだ。


「裙は、体の動きを優雅に見せる役割があります。この赤い色彩が、あなたの美しさを一層引き立てていますよ」


 へえ、そうなんだね。いわゆるすそなんだね。

 蘇菲さんの言葉に頷いていると、鏡に自分の姿が映し出された。


 ……え!? これ……わ、私!?


 髪や顔はともかく、洗練された漢服のおかげで、全体が華やかな雰囲気になっている。

 す……スゴい……!!


「とーってもよくお似合いですよ!!」


 蘇菲さんにベタ褒めされる。

 ニコッとほほえみ返すと、蘇菲さんは拍手をしながら立ち上がった。



 女官たちは次に、私の髪に手を入れ始めた。蘇菲さんが丁寧に髪をいていく。


「玉蘭様、髪を適切に整えることも大切なことですからね。髪型によって、全体の印象が大きく変わりますから」


 かれるたびに、私の髪はなめらかになっていく。

 耳の周りの髪も綺麗に梳かれて、左右対称になっている……スゴい。


「これは螺鈿らでんです。ご存知ですか?」

「螺鈿?」


 突然蘇菲さんに、見たことのない綺麗なかんざしを見せられて、ビックリする。

 螺鈿……?


「螺鈿は、貝殻を細かく削って作った装飾品のことです」

「貝殻……?」


 何、その鉱物……私、知らない。

 知らない……!

(※そりゃ、地下鉱物じゃないんだから)

 どこで採れるの?


 と、気づけば髪が頭頂部で盛り上げられていて、後頭部で丸く結わえられていた。


「ここに螺鈿のかんざしを刺します。……どうですか?」


 すっとかんざしは綺麗に髪を通り、前から少し見え隠れする程度のところで止められた。

 ……えっと、鏡に映っているのは……わ、私?


「スゴすぎて言葉出ません……」

「ありがとうございます」


 こんな私、見たことない……。

 いや……別人……?

 だけど、鏡の中の着飾られた女は、私と全く同じ動きをする。

 本当に私なんだ……。


 * * *


 そして化粧も終わったのだが。


「……はぁ……はぁ……」


 着付け、整髪、化粧が終わったと思ったら、今度は会場までの道のりを歩くと……大変だ……。


「重いですよね……お水、いりますか?」

「う、うん……じゃない、はい……ありがとうございます」

「いえいえ」


 重い漢服をまといながら、長い回廊の先にある会場を目指す。

 いや、重すぎて慣れない……。

 蘇菲さんから渡された水を飲みながら、まだまだ長い回廊の先を見やった。

 遠すぎ……。


「慣れないうちは、少し歩行が遅くなったり、転倒してしまうかもしれませんね。でも大丈夫です、私がついていきますから」

「……蘇菲さん……」


 心強い蘇菲さんの言葉に、私も、精一杯の笑顔で頷く。


「それと、私のことは『蘇菲』と呼んでください」

「えっ……」


 よ、呼び捨て……?

 会って数日の人を呼び捨てするのは気が引けるけど……彼女が言うなら。


「……蘇菲、ありがとう」

「こちらこそっ」


 言い終えたとき、何ともいえない清々すがすがしさを感じた。



 会場に到着すると、早速目に入ったのは、涼しい顔で優雅に漢服を着こなした貴族たちだった。

 ……重くないんですか……!?


 しかも話し方も仕草も上品で、貴族らしくて……次元が違いすぎる。

 もちろん、も。


「太守様、菊酒はお好きですか」

「ああ」


 ……楊明さんも、一緒に?

 相変わらず誇り高そうな表情を浮かべる秦芙蓉しんふようと、いつも通りの平坦な笑みを浮かべる楊明さん。


 ……ああ、でも、あの顔は。

 無関心な他人と一緒にいるときの、作り笑いだ。


 秦芙蓉が、楊明さんの持っているさかずきに、とくとくと菊酒を注ぐ。

 その瞬間、自分の胸が、ズキンと痛くなった。


 ……何で?


「大丈夫ですか、玉蘭様?」

 蘇菲そひに話しかけられて、ハッと我に返る。

「うん、大丈夫。気遣ってくれて、ありがとう」



 秦芙蓉は、楊明さんの寵愛を受けるために、品格のある令嬢れいじょうを装っているんだろうけど……。

 果たして本当に結ばれたとき、その姿で隠し通すことができるのかな。


 だって人間だもの、私たち。どこかで失敗をする。

 いつか……その嘘が、知られてしまう日が来るのかもしれない。


 って、何だかまるで、私が秦芙蓉の本性を知っているように聞こえる……。

 私だって、本当のことは知らないんだから。



 そのとき、楊明さんと視線がぶつかった。

 綺麗な瞳が私をとらえる。


 ……けれども、すぐに目を反らされてしまった。

 えっ……。


「楊明様、どうなされたのでしょう?」

「さあね……」


 私も、蘇菲そひから渡された菊酒を飲む。

 そして袖の中で、手を握りしめた。


 * * *


「っていうか気になったんだけど……」


 式典が終わって更衣室に向かう最中、蘇菲に話しかけた。


「何でしょうか?」

「楊明さんって、妃嬪ひひんとかいらっしゃらないでしょ?」

「あ、はい」


 だよね。秦芙蓉が正室だもんね。


「じゃあなんで、後宮があるの?」


 後宮があるってことは妃嬪がいるってことなんだけど、彼にはいないし……。

 どういうことなんだろう?


「先代太守の楊カク様の後宮ですから」


 ……あぁなるほど。一昔前の後宮なのね。

 で、楊明さんにはまだ妃嬪がいないから、その後宮が残っている、そういうことか。

 納得納得。


「せっかく綺麗になられたのに、こんなに早く元通りになるなんて……」

「いいのよ蘇菲そひ。本来私が、一生体験するはずのなかったことを体験できたんですもの」


 優雅な漢服を着たり、重陽の節句で菊酒を飲んだり。

 本来の私ならきっと、一生に一度訪れたかどうかさえ、分からなかった出来事だったのだ。


「玉蘭様……」

「だけど漢服は重いからなぁ」


 思わず本音がこぼれる。

 漢服は重い……だから、改まった式典のとき以外は着たくないなぁ。綺麗なんだけど。


「お疲れ様でした」

「お疲れ。……っていうか、更衣室はまだなの!?」


 またもや、長い回廊の先を見やって嘆く。

 ……重い、重い……いいから早く脱ぎたい……!!

 軽くなりたい!!


「すみません、玉蘭様……土壇場どたんばでの出席だったので、近くの更衣室を確保できず、一番奥に……」

「一番奥!?」


 通りで異常に道のりが長いな、と思ったら、そういうこと!?

 そんなに遠かったの!?


「突然、楊明様がそう言い張るものですから、私たちも慌てて支度をして……でも、なかなか私たちの身分では後宮の奥へ入り込めなかったため、こうなりました」


 ……そんなぁ……。

 すでに全身が疲れ切っているのに、まだ歩くのか……。

 諸事情があったとはいえ、体力が限界だっ……。


「今日のお風呂は、格別にしてあげますからね♪」

「……そういうのは、大丈夫……だけど、ありがとう……」


 そういえば、私がここまで特別扱いされる理由って、なんだろう。

 どういう経緯があって、私はこんな待遇を受けているんだろう。


 ……あの男が関わっている予感しかしない……かも!!

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