第2章 面倒な三角関係はごめんだ

第7話

「……ま……んさま……くらんさま……」


 え……私、名前を呼ばれている……?

 誰……?


玉蘭様ぎょくらんさま───────!!!」


 ……うわぁぁぁあああああああ!!?

 耳元で大声が響き、キーンとなった。

 ……おかげさまで起きたけど、やり方が荒いって、蘇菲そひさん。


 半身を起こすと、そばに蘇菲そひさんが座っていた。

 ……息荒いけど、まさかさっきの大声のせい?


 しっかりと意識が戻ってきた私は、不安げに蘇菲そひさんを見つめた。

 さっきの出来事が、少しずつ思い出されてくる。


 ……そっか、あのときの……。


 なんか楊明さんに、あんま意味が分からないことを告げられて、それから秦芙蓉に怒鳴られて……。


 ここ数日間で、いろんな事件が起こりすぎている気がする。


「玉蘭様、よかったです……!」


 なぜ蘇菲そひのことさえ当たり前になっているのか……最初は、何で私ごときに女官が? と言っていたのに。


 私の心は、再び重苦しい感情に包まれていく。


「大丈夫です、玉蘭様。私がついています」


 蘇菲さんが、優しく私の手を握った。

 その優しさに、私はほっとした気持ちになった。


 でも、依然として心の奥底にある焦燥感は消えていない。

 まだ、どうすべきか分からないでいた。


 * * *


 とはいえ、休みの日などここにはない。またあの物置小屋に向かい、壊れた物を修理し始める。


 秦芙蓉しんふようは、楊明さんの正室候補。

 つまり、楊明さんの未来の奥方かもしれない人……。


 確かに彼女は華やかで美貌だったし、明らかに教養もあった。

 私だって、読み書き計算はできるけど……秦芙蓉は、ゆうにそれを上回っているんだろう。


「やっぱり見すぼらしいって」

「昨日あの身なりのくせに、太守様から告白受けていたらしいわね」

「挙げ句の果て断ってたわよ」

「度胸も大概にしてほしいわ。自分の格を分かっているのかしら」


 すれ違いざまに女官たちはあざ笑い、冷たい目で私を見ていた。

 女官の中にも上下関係があるのだろう。上位に立つ女官はああいう感じの人なのか……虫の居所が悪い。


「私たちは芙蓉様の味方ですわ」

「あんな大貧民に太守様を奪わせるわけには!」


 あんな大貧民とは……私も舐められたものだな。

 もちろん舐められるのは、ある程度仕方のないことだ。多少なりの嘲笑では、私も憤らない。


 そのとき、回廊の奥から、数名の大臣や幹部を引き連れた楊明さんがやって来た。


「だ、か、ら、太守様、本当にどうしたんです?」

「やかましいから少し黙ってくれないか」


 ……何の話をしているんだろう。

 死角に立って、聞き耳を立ててみる。


「乱世だからこそ、男女の関係は……」

「おい呉淵ごえん


 ……えっ? どういうこと?

 乱世だから……ちょっと、私は聞かない方がいい内容だった?


 けれども、耳に入ってしまうのは、仕方ない仕方ない。


「この間入った物売りの娘だっけな? ずいぶんとあの女に興味津々じゃないか」

「彼女に聞こえたらどうするんだ」


 新入りの物売りの娘って……私の他にもいたのかな?

 ……ん? 私は露店を構えていたんだが……それって物売りなのか?

 ……?


「いやぁ、太守様が興味を持たれた女性なんて珍しい。一目見てみたい」

「おまっ……はぁ」


 ……楊明さんも、他人に関心を持てたのかな。

 そうだとしたら、嬉しいな。

 ……嬉しい? 私が、ここ関係で?


 というか、楊明さんからそんな話題が……。

 一体何が起きて、そうなったんだろう?


「名前は……陸玉蘭だっけな」

「式典のときには着飾った姿を見れるだろ」

「……あのなぁ……」


 え、ええっと……な、尚さら何の話をしているのか分からなくなっちゃった……!

 私の名前を呼んだことは……分かるんだけど……。


「とはいえ、秦芙蓉がなぁ……」

「品格と清らかさを兼ねそろえた、立派な令嬢れいじょうだからな」


 秦芙蓉……。

 その名前が出てきて、ドキッとする。


 品格、清らかさ、立派な令嬢……。

 思い返せば、高貴な者の前では、そのような態度を取っていたような気がする。


 ……現に、今もそうだし。


「はい、お父様。私はこの宮中での務めを誠心誠意尽くして参ります」


 秦芙蓉の話し相手は彼女の父親のようだ。見るからに高貴な風格を漂わせている。名前は……秦慶しんけいだっけ。


 秦芙蓉は、上品な立ち振る舞いと柔らかな口調で応答していた。その姿は、清らかで品格のあるものである。

 ……うーん、でも目が泳いでいるような……。


「よろしい。お前の手腕に期待している。必ずや、太守様の寵愛ちょうあいを勝ち取るのだぞ」


 秦慶は満足そうに頷き、そして去っていった。

 ……猫被り、ヤベェな……。


 でも今顔を合わせたら、嫌な予感がする。

 そっと、物置小屋の中に、身を潜めた。


 回廊を練り歩く秦芙蓉は、周りの女官に激しく命令していた。


「早くしなさい! 遅すぎるわ! ほら、まだ汚れているじゃない」


 秦芙蓉は高慢な態度で、部下たちをののしっている。

 ……なんだろう。馬鹿馬鹿しいとしか思えない。


「ふん、見事な振る舞いだわ。きっと楊明さんにも気に入られることでしょう」


 私はそう呟いた。

 あの女……例え猫被りだと一部の女官から反感を買っても、構わないんだろう。

 楊明さんの寵愛さえ受ければ、それでいいのだ。


 やっぱり宮中の人間って、人格が終わってる。

 彼女の本性は、きっと……高慢で我儘わがままな、あっちの方だろう。


 私の村は……。


 人口が少ないから、ほぼ全ての人と顔見知りで。

 みんな優しくて。

 食べ物を分け合ったり、足りない道具を補ったり。

 貧しいけど平凡で、温かい人ばかりだった。


 それが宮中になった途端、こうだ。


 自分の野心の押し付け合いが日常茶飯事とか……人間関係が何だかドロドロしていて、複雑にからみ合っている。

 どうでもいいいさかいが、大きな戦に発展することとか、あるのかな。


「……陸玉蘭」


 !? この声……秦芙蓉!?

 まさかとは思うけど、振り向くと……。


 ……最悪だ。秦芙蓉と出くわすなんて。


「何をしているのですか? 作業は?」

「あ、少し休憩……」


 そう答えかけたとき、秦芙蓉は優雅に、肩を震わせて笑い始めた。


「本当に情けないですね。あなたのような下僕が、太守様の寵愛を受けれると思っているなんて。夢想でもしているのでしょうか」


 秦芙蓉は、鼻白んだ表情で私を見下ろした。

 履き物や髪飾りのためか、私より少し大きく見える。


「あなたのような分際が、私の邪魔をするとは、許せません」


 秦芙蓉は冷たい視線を向けながら、優雅に立ち去っていった。

 私は、言葉も出ずに呆然と見送るしかできなかった。


 * * *


 そんな日々が一週間続いた。

 この頃、後宮が騒がしいと思ったら……どうも「重陽ちょうようの節句」という行事があるらしい。


 蘇菲に聞けば、

「この日に姫宮たちが集まり、菊の花を飾ったり、菊酒を飲んだりするのです」

 と答えた。


 菊だらけの行事だな……と思いつつ、私も準備を手伝おうとした。

 が。


「玉蘭殿」


 ……楊明太守この男に止められたのである。

 ……なんで?


「どうかしま──」

「玉蘭殿は、準備をする必要はない。ただ行事自体を楽しめばよい」


 ……あれ、これ参加する流れ?

 

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