第3話

「あの……ようカクさんは?」


 もしかして、私の身分が低すぎて、断られた……?


「申し訳ございませんが、私の父も、本日は都合が合わずに参ることができませんでした」


 楊明ようめいさんは、少し残念そうな表情で告げる。

 そうか、都合の問題か。

 一安心した反面、少し寂しい気持ちもある。


「では、私たちで少しお話しできればと思います」


 私と机を挟んで向かいのイスに、楊明さんが腰掛ける。

 身長に比べて、座ったときの高さが低い……。


 部屋の中は、依然いぜんとして重厚な雰囲気に包まれている。

 口を開いたのは、楊明さんだった。


玉蘭殿ぎょくらんどのは、行政について興味はありますか」


 ……は? 何言ってるんだろう?

 ギョーセイ?

 ギョーセイって……行政?


 いや、興味もクソもないけど。

 だからって、これ以上沈黙が続くのはごめんだ。


「……はい……」

「そうですか。それはよいことです」


 もちろん興味はない。

 恐らく話されるのは……太守の仕事内容だろう。


「太守の仕事というものは……まず民政の管理から始まり、税収の管理、軍事の指揮などです。臨時に備えて宝晶軍という軍もあります」

「そうですか……」


 私は言葉をにごす。

 彼の言葉の意味が、私にはさっぱり分からない。


「ええ。早朝から朝会に出席し、その後は巡視や文書処理など。時間があれば街の視察にも」


 楊明さんは、さらに詳しく話を続ける。

「は、はい……」

 私は、うまく言葉が出てこない。


 太守の生活ぶりなんて……知るもんか……。

 そもそも行政に必要な基礎知識を……私が知ってるとでも思ったんですか、楊明さん……!!


 だって、私の一日って。

 朝早く起きたら、目を覚ますために川に顔をけたら、昼過ぎまで採れた原石をみがき続けて。

 その場の飢えしのぎの昼食をり、今度は鉱物を、できた物にはめ込んでいく。

 それを夜遅くまで続けて、わずかな飯を食ったら、寝る!!


 一つの作業が長い!!


 一つの作業をとことん突き詰めれば一日が終わるので、忙しくはない。ただ、腹がすんごい減ってる。


 要は、私と楊明さんの仕事は、生活は……あまりに違いすぎるということ。

 ポカンだよ、本当に。ポカーン。


 楊明さんは、私の反応を察したようだ。

 少し表情を和らげる。


「では、他にどのようなことに興味がおありですか?」

 楊明さんの優しい眼差しに、思わず頬を染めてしまう。


「うーん……家族、とか? 家族関係」


 楊明さんの目が、少し見開かれた……ように見える。

 しかし、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。


「私には、父の楊カク、母の孫愛彩そんあいさい、妹の楊れいがおります。愛彩は楊カクの正室です」


 楊明さんは、穏やかな物言いで話し始める。

 けれども……深みがあるというか……その言葉の裏に、何かあるんじゃないかと思う。


 少し眉を寄せた。


 楊カク……さっき会おうとして都合が合わなかった人だよね。

 先代太守だ。


 それにしても、わざわざ正室という言い方をしたってことは……彼には側室もいたんだろうな。

 ってことは、楊明さんには腹違いの兄弟がいるってこと?


「そうですか……私にも、母と兄、弟、妹がいます」


 お父さんは、英紗えいしゃ、すなわち私の妹が生まれて間もない頃に、採掘事故で亡くなってしまったんだけど。

 村には他にも男の親戚がいたから、そこまで心配することはなかった。

 現在我が家の大黒柱は、お兄ちゃんである。


「弟も妹も、幼いながら元気です。決して裕福な暮らしではありませんが」


 いや、実際は明日の食べ物にも困る生活なんだけどね。

 一日でもサボると全員が餓死がしする可能性がある、命の危険と隣り合わせの生活だ。


 楊明さんは、私の言葉に耳を傾ける。

 しかし、どこか寂しげな表情が浮かんでいるようにも見えた。


 何か問題があるのかな……?

 家族関係で、もしかして……?


「玉蘭殿」


 ビクッ……突然名前を呼ばれ、肩をすくめる。

 も……もう何、急に。


「私の住まいの中でも特に気に入っている場所があるのですが、一緒に見に行きませんか?」

「え、そうなんですか……」


 少し戸惑いながら、返事をする。

 郡守お気に入りの場所……って……。



 楊明さんの居室を出て、長い廊下を歩いていく。

 そして、次第に外に出ていく。


 扉の向こうには、見事な庭園の景色が広がっていた!

 秋の日差しが柔らかく照りつける中、木々の葉が鮮やかに染まっている。

 池に落ちている葉もあった。

 まるで、絵画のような光景だ。


「ここはとても気に入っている場所なのです。四季折々の花々が咲くので、年中いてもきません」


 ぼう然と周囲を見渡す。

 地元では見られない、整った紅葉……まるで別世界のような光景に、圧倒される。


 楊明さん、こんなところに住んでいたんだ……。

 私みたいな田舎の庶民には、到底想像がつかない世界だ。


 ふと、手に温かさを感じる。

 楊明さんが、私の手の平を握っていた。

 ドクンと脈打つ。


 ……

 どうしたんだ、私?


「こちらへ」

 そう言われ、楊明さんの手に導かれる。

 奥へ、奥へ。


 本来なら私たちが、見ることができない場所へ。



「……?」


 そのとき見えたのは、立派な墓石だった。

 立派な石碑が立ち並び、浮き彫りには故人の肖像が刻まれている。

 墓石の周りには、仕女の彫刻や馬の彫像が置かれ、まさに貴族の墓所といったおもむきだ。


「ああ、こちらが私どもの先祖代々の墓地なのです」


 楊明さんが、私に説明してくれる。

 私は、改めて墓石を見つめる。

 そして、一つの新しい墓石に目が止まった。

 そこには、愛彩──楊明さんの母親の名前が刻まれている。


「楊明さんのお母様は……」


 私は心の中で、疑問を抱く。

 楊明さんの母親が亡くなっているのではないか、と。


 しかし、楊明さんに直接尋ねるわけにはいかない。


 私はそっと視線を逸らし、次の場所への案内を待つ。

 楊明さんは、私をさらに奥へと案内していかれる。


 一般の人間の立ち入りが許されない、秘密の場所へと。


 * * *


「ここは……」

「私のお気に入りの場所、亭台ていだいですよ」


 それよりビックリなのが、その亭台が池のほとりにあって、その池が広くて立派なことなんだよなぁ。

 赤とか黒とか、色鮮やかなこい泳いでるし……。


 あっ、橋。

 茂みに隠れて見えなかったけど、橋あったんだ。


「どうぞ」

 その橋を渡るよううながされ、橋に足を……。

 うう……緊張するよぉ……。


 橋の先には静かな池が広がり、そのほとりに小さな赤い亭台が建っていた。

 優雅な曲線を描く屋根が、秋の陽光に照らされて輝いている。


「この亭台は、私の母が建てたものなのです」


 楊明さんは、しんみりとした表情で語る。

 亭台の方を見やった。

 気品ある面影が感じられるような、静かなたたずまいだ。


「さぁ、入りましょう」


 ギュッと握られた手を握り返して、楊明さんのすぐ後ろをついていく。

 肩が擦れてしまうほどの至近距離。

 美しい横顔が見えて、ドキッと心臓が跳ねる。


 ……大丈夫か? 私。

 いくら親戚以外の若い男を見たことがないからって……。


 それにしても……と、さっきの墓石を思い出す。

 確か、楊明さん……母親の名前、孫愛彩、って言ってたよね?

 そして、墓石に刻まれていた名前も……愛彩。


「……楊明様」


 ことの真相、確かめたい。


「楊明様のお母様は、もう……亡くなられているのですか?」


 歩みを止めて、楊明さんの顔を見た。

 瞳は少し見開かれて、眉根が寄せられている。

 口元が引きっていて、苦しそう……。


 大きくため息をついて、楊明さんが話し始める。


「母は……私がまだ子供のころ、後宮こうきゅうで倒れているところを発見されました」


 楊明さんの声が、わずかに震えている。

 さっきまでの余裕さも、優雅さも、全くない。


「死因は病死とされていましたが……それ以前から母は、後宮の側室から嫌がらせを受けていたもので」


 後宮、側室……。

 偉い人たちの、裏の人間関係なんて……絶対、ドロドロしているに決まっている。

 愛憎あいぞうが渦巻いて、ひどいんじゃないかな。


「母の居室から、奇妙な器が見つかりまして、そこから毒が検出されたのです」


 つまり母親は、毒を盛られて亡くなった……ってことだ。

 犯人はきっと、楊カクさんの側室の誰かだろう。


 楊明さんは、しばらく黙っていた。

 苦しそうな横顔……。


 ぽつりぽつり、楊明さんは話し始めた。


〔語注〕

正室……高貴な人物の正式な妻のこと。正妻・本妻ともいう。律令制の元では嫡妻ちゃくさいとも呼ばれていた(原則として一人)。これに対し、正室以外を側室という。

後宮…… 皇帝や王などの后妃や、その嫡出子が住まう場所。

亭台…… あずまやと展望台。

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