第2話

 翌朝。


「……ふわぁ……」

 まだ起きたばかりだけど……昨日の楊明ようめいさんの言葉通り、私は宮中を目指して、大通りを歩いていた。


 昨日の出来事……本当に夢じゃないよね?

 楊明さん自らが私の村の作品に興味を持ち、直接取引の機会を与えてくれるなんて、信じられない。


 昨日はカゴの商品、少し無造作に入れられていたけど、今日は綺麗に積んでいる。

 入れるとき、緊張でぎこちなくなっていた。

 今でも手の震えが……。


 果たして、宮中の方々にも気に入っていただけるだろうか?

 胸がドクンドクン高鳴る。


 ついに、宮中の門前に到着した。

 門は鮮やかな朱色で、ところどころに龍をあしらった飾りも見える。


 しばらく待っていると、すぐさま警護の者と思わしき人がやって来た。


「どなたか、どこからお越しですか?」

「あなたは何用でこの宮中に?」


 緊張しながらも、私は丁寧に答える。


「私は、昨日市場で楊明様にお会いした者です。……宮中への招待を受けまして参りました」


 警護の者のうち一人が、眉間みけんにシワを寄せる。

 しかし、すぐに私を案内し、華やかな内殿ないでんへと導いてくれた。

 そこで待っていたのは、まさに楊明さんの姿だ。

 体の震えがおさまらないが、深く頭を下げる。


「ようこそ、宝晶宮の宮中へ。お待たせいたしました」


 楊明さんは満足げに微笑みながら、そう言葉をかけた。


「私の提案にご興味をお持ちいただき、誠にありがとうございます。早速ではございますが、ご商談の場をご用意しましたので、こちらへお付き添いください」


 さすが貴族。歩き方も去ることながら、言葉遣いが丁寧すぎる。

 敬語上手すぎない?


 彼に案内されたのは、豪華な家具や装飾で彩られた商談の間があった。


「お座り下さい。私はただいま、関係者の方々を参らせますので、しばしお待ち下さい」


 ニコッと笑って、楊明さんが部屋から出て行こうとする。

 ……お、お礼!


「楊明様、この度は格別のお心遣いをたまわり、誠に光栄に存じます……!」


 座りながら深く頭を下げて、膝の上の両手を握りしめる。

 顔を上げたときには、楊明さんはいなくなっていた。


 一人取り残された私は、緊張と期待感に包まれながら、周囲を見渡す。

 こんな華やかな空間に身を置くなんて、夢のようだ。


 やがて楊明さんと共に、数人の貴族風の人物が入ってきた。

 その視線は……ひどく、冷たいもので。

 仕方ない。私は……庶民の中でも下の方なのだから、見すぼらしいのだから。


 とはいえ、いよいよ宮中の方々の前で、我が村の作品を披露するときが来たのだ。

 たらり、と首筋を汗が流れる。

 果たして……これらの作品は、この方々の目に留まるのだろうか。


 カゴの中から、いくつか装飾品や置き物を取り出す。


「どうぞ」


 震える声でうながすと、貴族たちは、その品々を手に取り、観察し始めた。

 沈黙が流れ、喉がキューっと締まる。


 ようやく、一人が口を開いた。


「これらの作品は、本当に素晴らしい出来栄えですね。私たちも大変興味があります」


 その言葉に、私は胸を撫で下ろす。

 この感じだと、認めていただけたのかな?

 緊張の糸が解け、安堵あんどの気持ちが込み上げてくる。


 これで、石峰郷せきほうきょうの目玉商品を、宮中に納められるかもしれない……。

 そう思うと、興奮せずにはいられなかったけど。


 目の前にいるのは、私より遥かに高貴な人々。

 冷静に敬語を、敬語を……。


「この度は、これらの作品を高く評価していただき、誠にありがとうございます」


 そして楊明さんに、そのうちの一つを差し出す。

 それは、宝石のはめ込まれた冠だ。

 楊明さんは、私の手からそれを受け取ると、丁寧に手に取ってながめる。

 その顔は笑っていて、満足げに見えた。


「誠に美しい仕上がりです。私も大変感銘を受けました」


 楊明さんは冠の飾りを撫でながら、そう言葉を添える。

 そして私は、貴族たちに向き直った。


「ぜひ、宮中に納めていただきたく存じます」


 貴族たちは、しばし沈黙を保っていたが、やがて首肯しゅこうし始める。


「これらの装飾品は、まさに我が宮城きゅうじょうにふさわしい逸品だと思います。ぜひ、宮中に飾らせていただきたく存じます」


 思わず息を呑む。

 宮中に飾られる。この言葉に、胸がおどる思いがした。


「……お名前は?」

陸玉蘭りくぎょくらん、と言います」


 貴族たちが満足そうに、作品を手に部屋を後にしていく。

 ついに……ついに、石峰郷のみんなが作った物が、宮中に納められることになったのだ。


 楊明さんは、しばらく私に向き合ったまま沈黙を保っていた。

 そして、ゆっくりと口を開く。


「玉蘭殿、この度は素敵な作品をご提供いただき、誠にありがとうございます。私どもも大変感銘を受けました」


 楊明さんは、しばし考えるように目を伏せる。

 そして、再び私の瞳を捉えて言葉を続けた。


「これらの品々を宮中に納めさせていただくことで、私どもも光栄に存じます。そこで、ぜひ玉蘭殿にも宝晶宮にお残りいただきたく存じます」


 ……今、何て言った?

 宝晶宮に、残れ……って?


 驚きのあまり目玉を見開く。

 いや、いやいや、え、えぇ?


「し、しかし。私はただの……村の娘でございます。そのような栄誉をたまわるには、あまりにも身分が低うございます」


 楊明さんは、優しげな表情で私を見つめる。


「いいえ、玉蘭殿の才能と品格は、まさに宝晶宮にふさわしいのです。ぜひ、ご一緒にそなたの生まれ育った地の伝統を守り育てていきたいと思っておりますから」


 私は言葉を失った。

 もし納めた品々が、私だけが作った物ではないことを知ったら、彼はどんな顔をするだろう……。

 私だけの才能じゃないのに。


 それに……故郷には、私の家族がいる。

 お母さん、お兄ちゃん、弟の陸こう、妹の陸英紗えいしゃ

 家計も苦しいし、何より恒と英紗はまだ幼い。

 田舎では、若くて小さい女も働き手になるから……私がここにいたら……。


 だから楊明さんの提案は、家族を理由に断った。

 んだけどこの男、全然りない、引き下がらない。


「ご家族のことは、私どもで手配させていただきます」

 やべぇな権力者って……。

 ていうかどうやって手配するんだろう。


「ぜひ、玉蘭殿にお力添えいただきたく存じます」


 正気かよ……と引いたが、ここまで言われたのなら。

 根拠などなかったのに、私はやってしまった。


「……分かりました。ご厚意に甘え、ここに留まらせていただきます」


 楊明さんの表情が、一瞬にして晴れやかに変わった。

 ……やべ。言ってしまった。

 けれど、時すでに遅し、というべきか。


「誠にありがとうございます。私どもも、玉蘭殿のご来臨を心より歓迎いたします」


 ……これ、やばい流れじゃない?


 * * *


「でも、流石にまだ部屋はないですよね?」

「はい。準備は整っておりません……数日間、私の居室きょしつにいてくださると幸いです」


 なんで男の部屋に私が入れられるの。

 私、女だから。

 いやまあ、我が家は男も女も関係ないけどね! 家狭いから!


 楊明さんは、やっぱり優雅に私を案内した。

 廊下の突き当たりに、明らかに格式高そうな扉がある。


「ここが、楊明さんの……」

「はい。私の居室でございます」


 と言って、扉を開けた。

 わぁっ……。

 中に入ると、広々とした空間が広がっていた。


 上質な敷き物が敷かれ、美しい家具が配されている。

 壁面には美しい書画が飾られ、書斎の机には古の典籍てんせきが並んでいた。

 大きな窓からは、緑豊かな庭園の景色が望める。池の水面には、遠くの山々の景色が映っていた。


「どうぞ、ごゆっくり」


 振り向くと、相変わらず楊明さんが、にかーっと笑っていた。

 この人いっつも笑ってるな……。


 楊明さんは丁寧にイスを引いて、私を座らせた。

 うわ、うわぁ、うわ───────。


「私の父、先代太守の楊カクもまた、お会いしたいと望んでおります」


 楊カク? 聞いたことのない名前。

 お父さんが楊カクで、あなたが楊明さんか。

 なるほどね、楊が苗字で明が下の名前なのね。……合ってる?


 ……それにしても、前の太守って……。

 楊明さんが就任するまで、ここ宝晶宮ほうしょうぐうの長だったってこと?

 そんな権力者との面会……大丈夫かな……。


 というか、楊明さん、気づかないのかしら。

 ……私の格好が見すぼらしく汚いことに。

 もしかして、気遣って言わないでくれてる?


 そして楊明さんは、笑顔を絶やさぬまま部屋を出て行った。


 この広大な空間の中で、どうしても落ち着くことができない。

 楊カクさんとの面会を控えているこの緊張感が、胸の奥をかき乱している。


 自分はこの場所にふさわしくない。


 ここは、地方都市といえど、権力と影響力に満ちた場所。

 そのような存在と、小さな自分が交わることなど、本来できるはずがないのだ。


 しかし、楊明さんはなぜ、わざわざ私をここへ招いてくれたのだろうか。

 その意図がよくわからない。

 あまりにも光栄なことに、心が高鳴ってしまう。


 前太守の楊カクさんとの面会も、私にとっては重すぎる。

 あのような人たちの前で、どのように振る舞えばよいのか……心構えが全くない。


 恐ろしささえ感じる。


 楊明さんは確かに優雅で、穏やかで、うるわしい人だ。

 けれども……魅せられすぎてはいけない。

 楊明さんは太守で、私は下層庶民なのだ。全然格が違う。


 そうこうグルグル考えるうちに、楊明さんが帰ってきた。

 ……けれども、楊カクさんと思わしき人物は、見られない。


〔語注〕

・太守:中国においては郡の長官のことで、単に守とも呼ばれた。尊称として「明府」または「府君」と呼ばれる。秦代に置かれた郡守を改称したもので、前漢中期から南北朝時代の隋に置かれた。唐代の後期から五代になると太守の称号は使われなくなり、のち宋朝の知府事、明朝、清朝の知府の別称として用いられた。要は地方の郡の長である。

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