第14話(ケロ幕)

奴に遅れること二十分、定時一時間過ぎでなんと片付けるべき作業が全て終わった。自分の有能さが怖い。荷物を持ち、伝票の束を経理課へ持参するその足でそのまま帰ることにした。

駅ビルがまだにぎわっている。久しぶりに漫画でも読んでのんびりするかと思い、書店へ足を向けた。確実に昼休み見た奴の姿に影響されている、そんな自分が確実にかなわない片想いをしていて嫌だった。

一度読んでみたかったのだが、さすがにワンピース全巻大人買いは重たいか、と考えていると、なにやら能天気な笑い声がする。思わずこっそり裏の本棚を覗き込んだら、案の定奴だった。

店員らしき女の子と話しこんでいる。昨日の今日でもうナンパか? さすがに節操がなさすぎるんじゃないのか。少しでも気のある素振りを見せたら上司に言いつけてやる、と思い耳をそばだててみた。

きゃっきゃと盛り上がっているのはどうも漫画の話らしい。そっちの棚は少女漫画とか俺が手を出したことのないジャンルで、近寄ったこともない棚だったからよくわからなかった。

この間のは全部読み終わっちゃったんで、新しいの入ってませんかと奴が質問している。リーマン系でしたら部下カケル上司のゲコクジョウモノでいいツンデレありますよ、という答えの、音は聞き取れたが意味がさっぱりわからなかった。カケルって、なんだ。名前か? そこに出てくる部下だか上司だかの名前がカケルなのか? それにしても部下と上司とは、まるきり奴の環境である。漫画の主人公に自分でも重ねて夢を見ているのだとしたら、少女趣味過ぎていっそ笑えた。

しかし奴は、上司はトラウマになりそうなんでやめときます、と苦笑する。それよりなんか対等な、と本の裏に書かれた粗筋を何冊か比べて、これとこれでと二冊ほどオススメの中から選んだようだ。

奴はわざわざその子にレジに入ってもらい、お会計をしてもらって本屋を後にした。やっぱり気があるのかもしれない。俺は少しためらったけれど、意を決してその女の子のレジへ行った。

商品を受け取ろうと笑顔で手を差し出すその子に、あの、と声をかける。乾いた唇を一度舐めて、なんとか続けた。恥ずかしくて店員の顔は見られなかった。

さっきここで会計していた人が買った本と、同じものが欲しいんですが。

女の子はちょっときょとんとした後で、すぐに満面の笑顔になり、少々お待ちくださいと棚のほうへ去っていった。こちらでよろしいでしょうか、と表紙を見せられる。なんかキラキラした絵が恥ずかしくて、ろくに見もせずハイと頷いた。カバーはおかけしますか、と訊かれ、立ち去りたさにいりませんと返事をする。とにかくここから早くいなくなりたい。差し出された本を素早く鞄に突っ込み、レジを後にした。本を渡されるとき、なぜか頑張ってくださいと励まされた。

帰って風呂に入って人心地つき、気を取り直して読んでみた本は三冊中二冊がとんでもない内容だった。一冊はじれったくてむずがゆくてそれでも無駄に感動させられる、いわゆる少女漫画だったのだが――途中の一巻だけ読んでもなにがなにやらよくわからなかったのもある――残りがえげつないエロ本だったのだ。最近の若い女性はこんなもの読むのか。しかも男同士だぞ。

純情ぶる気はないが、あまりにも予想外で驚いた。本番ヤってる数ページは、目の前が真っ赤になってちゃんと目を通すのもやめたぐらいだ。

奴は堂々とこれを買っていったのか。あの店員との関係はシロに違いない。女の子だって、こんなもの買っていく男は嫌だろう。

うわぁうわぁと思っているうちに流し読みは二冊とも終わってしまい、俺は思わず大きな溜息をついた。初めてこういう世界に触れたガキみたいに、ものすごく鼓動が速かった。

しかし、わかったことがある。カケルとは、掛け算の掛けるだったのだ。こういうのの組み合わせを指すらしい。なるほどイメージがつかみやすいかもしれない。よく考えたものだ。

感心すると同時に、疑問が浮かび上がってきた。だったらどうして、奴は店員から進められた上司と部下の組み合わせを買っていかなかったのだろう。奴が自ら選んだのは、警察の同僚コンビのくんずほぐれつと、もう一冊はしのぎを削りあう敵対会社のライバル同士の恋模様だった。ちなみに全て男ばっかりだが。

どちらかというと、これはあいつと上司の関係と云うよりは、あいつと――。

そこまで考えて、はたと思い当たった。

まさか、奴は俺のことが好きなんじゃないか?

そんな都合のいい話あるわけないだろうと自嘲しつつも、一つ一つ考えてゆく。奴の行動や、態度、そして言葉の意味。考えれば考えるほど、なんだか嫌な方向でつじつまが合ってしまう。

もしかして、両想いってことはないよな。

心の中でぽつりと呟いて、自分の選んだ単語の恥ずかしさに一人赤面した。アホか俺は。少女漫画を馬鹿に出来ないぞ。

いやいやまさかそんな、でも万が一、こう考えれば、とぐるぐるしかけて、埒が明かない思考に叫びたくなった。こういう時は誰かに相談、と立ち上がり、誰かと云っても打ち明けられそうなのは二人しか思い浮かばない。この時間ならまだ間に合うか、と十時にぎりぎりなっていない時計を見上げて、急ぎスーツに腕を通した。


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