第三話 純白の少女
梓さんの言う通り、駅舎を出て角を曲がるとすぐそこに自販機はあった。商品のラインナップを確認してみると、都内のものとあまり大差はないようだ。それもそうか。
「あー……」
一瞬、何を買っていくべきか悩んだが、無難なところで緑茶を2本買うことにした。梓さんに対してはどうにもいらないところにまで変な気を遣ってしまう。本来ならば気にも留めないようなことにまで引っ掛かりを覚えてしまうのは流石にいかがなものだろうかと思い、自嘲気味な笑いが零れた。
そのまますぐに引き返しても良かったのだが、今日初めての落ち着いた一人の時間を手放すのを惜しむかのように周囲の景色に視線を移す。辻ノ宮は繁華街こそ賑わっているという話だが、外れの方にあるこの駅の周りには高い建物もなく、視界には多くの自然が飛び込んでくる。思えばこのような開けた光景を見るのは随分と久しぶりな気がする。
「風が気持ちいいな……」
開放的な景色に当てられたのか、そんな独り言すら零れてしまう。新鮮な空気を胸に満たすように、思いっきり深呼吸をすると張り詰めた気持ちもリセットされるような感覚が全身を覆った。
思えば今日はずっとなにかに追い詰められているような逼迫感が付きまとっていた。その原因は別に梓さんがどうとかそういう話ではなく、単純にここ数日間があまりにも忙しなかった、というのが正解だろう。今思い返してみても何故自分がこの場所に立っているのかよく分からない。
突然決まった辻ノ宮での生活。転校の手続きとか、自分の荷物の整理とか、面倒くさいことも多く、その上待ち受けているのは来たこともない街とまともに会ったこともない親戚の家での居候生活、そして見ず知らずの人々と過ごす学校生活。思いを馳せるだけでも、そりゃあ精神的に疲弊するというもんだ。……まあ、それをなんだかんだと受け入れつつここまで来てしまった自分も自分だと思うが。
「……戻るか」
このままもうしばらく、この時間を堪能していたい気持ちもあったが、駅の中では梓さんが待っているし、折角のお茶もぬるくなってしまう。どうせこの自然も数日もすれば見慣れた景色になるだろうし。そんな言い訳を自分に言い聞かせながら駅舎の方へと踵を返そうとした。その時、
「ねぇ」
そよ風が吹いたのかと思った。少しでも雑音が混じっていれば聞き逃してしまいそうな、そんな静かな声が俺の耳をなぞるように流れていった。
「え」
声のする方へ振り替えると、そこには駅備え付けの青いベンチに腰掛けた少女がこちらを眺めていた。
まだ照り付けの厳しい日差しに抗うかのような純白のワンピースと大きなつば付き帽……キャペリン帽だったか、に全身を包んだその少女は、今にも消えそうな儚い雰囲気を纏いながらも、確かにそこに存在していた。年齢は俺や梓さんと同じくらいか、あるいは少し幼くも見える。
「あなたは、ここ、好き?」
まるで人形のように整った顔立ちの少女は、口元に微かな笑みを浮かべながら思惑のつかめない表情でこちらに問いかけてきた。
「……俺?」
想定外の出来事に思わず自分の顔を指さしながら情けない声が出てしまった。
「うん、君。他に誰もいないもの」
それもそうか、と変に納得してしまった。どうしようか。見ず知らずの人に、突然こんな妙な質問をされたら知らんふりをしてその場を去っても文句は言われないだろう。
「……分からん。俺はついさっき、ここにきたばっかりだからな」
だけど、何故か俺はその少女から視線を逸らすことが出来なかった。無視をして、聞こえなかった振りをして引き返すことがどうしても出来なかった。
「そっか」
俺の返答をどう解釈したのかは分からないが、少女はどこか満足そうな顔をして続けた。
「私はね、ここが好き。色んな思い出が集まる場所だから」
「思い出?」
「うん」
彼女が言っていることはイマイチよく分からないし、質問の意図も掴めないが、彼女の声は、自然と耳に入り込んでくる。
「君、名前はなんて言うの?」
「柘原……柘原湊」
「柘原君は旅行で来たの?」
「いや、しばらくここに移り住むことになったんだ」
「そうなんだ」
初めて話すはずなのに、何故かなんの気兼ねなく会話を続けることが出来てしまう。言葉がするすると口をついて出てくるようだ。
「じゃあ、君にもここが好きになってもらえると嬉しいな」
「ここって、辻ノ宮のことか?」
「うん」
「それは……どうだろうな」
正直に答えると、少女がふふっと消えてしまいそうな小さな声で笑った。
「大丈夫だよ。柘原君は多分、ここを好きになってくれると思う」
「そうか?……そうだといいな」
実際、辻ノ宮が好きだとかそういうのはまだ分からない。だがまあ、折角暮らす街なのだ。好きになれるのならそれに越したことはないだろう。
そこで会話は一区切りとなり、少しの間お互いに何も言わずに見つめ合う時間が続いた。美少女と顔を合わせているはずなのに、不思議と照れくささとかそういうのは感じなかった。
ふと、靴の上に水滴が落ちる感覚で、梓さんのことを思い出す。まずい、正直頭から完全に抜けていた。
「ごめん、俺、中で待たせてる人いるからそろそろ行かなきゃ」
「そっか、じゃあ、またね。柘原君」
「あぁ、それじゃ」
簡単に少女へ別れを告げ、急いで駅の方へ向かう。
そういえば、名前聞き忘れたな。
今後会うかどうかも分からない女の子だ。普段なら名前を聞こうなんて思う方がおかしいかもしれないが、なんとなく彼女とは近いうちにまたどこかで会うような気がする。
それに、こっちは名乗ったのに向こうの名前を知らないというのも奇妙な感じだ。
そう思い再び自販機の方へ戻る。
しかし、そこにはもう、綺麗な青い塗装のベンチが日に照らされて取り残されているだけだった。
まるで先程までそこに座っていたはずの存在だけがそのまま景色に溶けて消えてしまったかのように。
「……幽霊?」
少しだけ、周囲の気温が低くなったような錯覚に陥る。脳裏を掠めた馬鹿げた思考を振り払うように、俺は駅舎へと早足で向かうのだった。
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