第四話 柘原湊と清藤千秋
駅の中に戻ると、梓さんは既に電話を終えて俺のことを待ち構えていた。自販機に飲み物を買いに行くのにどれだけ時間がかかっているのか、と多少ご機嫌が斜めの様子だったが、初めての場所だから許してほしいと話すと思いのほかすんなりと納得してくれたので助かった。
程よく結露したペットボトルを渡した時の彼女の何とも言えない表情は、しばらく頭の片隅にこびりつきそうだ。
結局、駅の外で会った少女については梓さんには伝えないことにした。別に深い意図があったわけではない。わざわざ話すようなことでもないかと思ったからだ。初めこそ本当に幽霊かと考えたりもしたが、冷静になってみるとそんなはずはない。やはりどこか精神的に余裕がなかったせいでそのような思考に至ってしまったのだと、そう結論づけた。多分、ただのタイミングの問題だったのだろう。
それに、辻ノ宮はそこまで大きな街ではない。あそこまで特徴的な少女だ、きっとまたどこかで会うだろう。もしそんな縁があるのなら、その時に改めて色々と話をすればいいのだ。
「よっ、少年少女たち。お待たせ~」
しばらく梓さんと他愛もない世間話をしていると、一人の女性が緩く手を振りながらこちらに近づいてきた。
梓さんの背と髪を伸ばしたような、それでいて薄いオレンジ色のサングラスから覗く彼女よりも少し鋭い瞳、その容姿は、微かな記憶の中に存在する『親戚の
見た目は若々しく、梓さんとそっくりなはずなのに、姉妹ではなく親子なのだということを強く感じさせるのは千秋さんが纏ういわゆる『大人の雰囲気』というやつだろうか。
千秋さんは俺たちの前にやってくると、ずいっとこちらに身を寄せ、俺のことを眺め始めた。
「ふむふむ……」(じー……)
「あの……」
ご丁寧に顎に手を添えてふむふむと唸るその姿はまるで昔の海外ドラマに登場する名探偵かのようだ。
真正面から向けられる、何かを見定めるような、無駄に神妙な眼差しにどう反応するべきか非常に困る。というか顔が近い。こういう時、人によっては恥ずかしがったりするのかもしれない。だがいざ間近に他人の、増してやこれからお世話になる従姉妹の母親のが顔やってくると、感じるのは恥ずかしさよりも恐怖だ。
……頼む、少し離れてほしい。
「あなたが、湊君?」
「は、はい。柘原湊です。お久しぶりです。これからお世話になります。よろしくお願いします」
「ふむ……」
それだけ聞くと、千秋さんは再びこちらを凝視してくる。
「ふむふむ。ふ~むふむふむ……」(じー……)
続いて千秋さんは360度、俺の体を隅々まで観察するかのように、俺の周りをグルグルと回り始めた。
なんだ、この人。
隣にいる梓さんに視線でSOSを試みるが、彼女はバツが悪そうにぎこちない笑みを返すだけだった。その顔は「ごめん、もう少しだけ付き合ってあげて」と言っているようにも見える。
「ふむ」
俺の体を3,4周した辺りで突然千秋さんがピタリと正面で足を止めた。
「……………………」(じー……)
「………………あの!」
流石にじっとしているのにも限界を感じ何か言ってやろうと思ったその時――
(ガバッ!)
一瞬、何が起こったのか分からなかった。突然前方から物理的な衝撃が体を襲ったのだ。数瞬後、自分が千秋さんに思いっきり抱きしめられているのだということに気づいた。
「うっわ~!よろしく~湊君!あたし、あなたの叔母さんの千秋よ!ち・あ・き!一日千秋の千秋!あなたと会えるのすっごい楽しみにしてたのよ!?しばらく見ない間に随分と立派に成長しちゃってもう!一瞬誰かと思っちゃうくらいよ!これからあたし達は家族!梓とおんなじウチの子も同然!姉ちゃんみたいに、あたしのことも本当の母親だと思ってもらっていいからね~!」
「うぐ、く、くる、し……!」
千秋さんの力が殊の外に強く、息が、苦しい。
「ちょっとお母さん!湊が窒息しちゃうから!離れて、離れて!!」
俺の様子を見た梓さんが無理矢理千秋さんを引き剥がしてくれた。解放されると同時に俺の体は反動でそのまま倒れるかのようにだらしなく地面に仰向けになる。肺に入ってくる空気が格別においしいと感じた。……あともう少し遅かったら本当に窒息をしていたかもしれない。
「ちょっと梓~?お母さん折角、湊君と親交を深めようとしてたのに何よ~!」
「お母さんはいつも距離の詰め方がおかしいの!もう少し加減して……見てよ湊の顔、ブルーハワイみたいになってる!顔面でかき氷が出来ちゃいそうじゃない!」
その例えは果たして適切なのでしょうか梓さん。というかこれが『いつも』のことだと分かっていたのであればもっと早い段階で助けてくれてもよかったんじゃないでしょうか。
「だってぇ……お母さん、久しぶりに湊君と会えるの楽しみだったんだもん。いいじゃないのこれくらい……」
千秋さんは千秋さんで全く悪びれる様子もなくクネクネと体を動かしている。もし自分の母親がこんなことをしていたら軽く引っ叩いていたかもしれない。
呆れた、というオーラが梓さんの全身を包んでいるのが端から見ていてもよく分かる。はぁ、と一つ大きなため息を吐いて梓さんが寝転がったままの俺の方に振り向く。
「ごめんね湊、気分は平気そう?」
「あぁ、うん。もう大丈夫。」
「お母さん、いつもこんな感じなのよ。ちょっとスキンシップが激しいというかなんというか……。家出る前に言いつけておいたから今日は大丈夫かなって様子見てたんだけど、甘かったわ。やっぱり早めに止めるべきだったわね」
やれやれと首を横に振る梓さん。これではまるで彼女の方が母親のようだ。次からは俺も気を付けよう。……いや次なんてあったら困るんだけど。
「ほら、手貸してあげるから体起こして」
梓さんが差し出してくれた手を掴み、上体を起こす。なんとも情けない絵面だ。
「あら~?」
そんな俺達の様子を見ていた千秋さんが変な声を出す。
「梓と湊君、もう結構仲良くなってるのね!いいじゃなぁい。梓、湊君がどんな人なのかってすんごい気にしてたもんね~。あ、もしかして、あたし二人のお邪魔しちゃった?お母さんは少し席を外した方がいいかしら?」
「そういうの本当にいいから……あと言わなくていいことまで言わなくていいし!そりゃあこれから一緒に住むんだからどんな人か気になるのも当然でしょ!」
「あ、湊君!梓はこう見えてこんな感じで意外と引っ込み思案なところあるから、何かありそうだったら相談に乗ってあげてね!従兄妹同士の信頼度アップにはそういう繊細なやりとりが大事なのよ!」
「お母さん!!!!!!!!!!!!!!!」
怒りか、あるいは恥ずかしさかで真っ赤な顔をした梓さんの怒号が響く。
……本当になんだ、この人。
直接話したことはあまりなかったけど、以前会った時はこんな感じの人だっただろうか。
これから先、この人のお世話になることに一抹どころではない不安を感じずにはいられなかった。
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