第二話 ようこそ、辻ノ宮
無人駅、というものが存在するということは知っていたが、いざ目にしてみると不思議なものだ。一応駅員室はあるようだけど、シャッターは閉められていて人がいるような気配はない。
改札も形だけの木製のゲートの傍に切符を入れる小さな木箱が取り付けられているだけだ。恐らくなんらかの防犯対策はされているのだろうが、一目見ただけでは誰でも勝手に出入りして電車に乗ることが出来てしまいそうだ。
駅舎にもかなり年季が入っているようで、この場に立っているだけで時代を二つほど遡ってしまったような感覚になる。
「ここが、
「田舎だ、って思った?」
「まぁ、正直」
電車を降りたままの状態で呆然と突っ立っている俺に梓さんが声をかけてくる。
「そりゃあね、都会の大きな駅と同じように考えてもらっちゃ困るよ。……これでもちゃんと駅舎だってあるし、立派な方だと思うわよ?」
「そういうものですか」
「う、うん!電車だってね、30分に1本は来るのよ!田舎って1時間に1本しか来ない所だって結構あるって聞いたことあるし、充分!そう、充分!」
「本当に?」
「……………………多分」
露骨に俺の方から視線を反らしながら自信のなさそうな声を漏らす梓さん。
どうやらこれ以上は追及しない方がよさそうだ。
「と・に・か・く!ようこそ、辻ノ宮へ!きっと素晴らしい日常がこれからあなたを待っているわ!駅の周辺にはあんまり楽しめるような場所はないけど、ちょっと街の方に出ると案外賑わってるんだから!」
辻ノ宮市は大きな山々に囲まれた盆地の中にある町であり、かつてはその地形を利用して多くの関所が建てられ宿場町としてそこそこ栄えていたらしい。最早その頃の隆盛は過去のものとなってしまっているが、四季折々の豊かな自然の景観が評価され、時々雑誌で観光特集が組まれるくらいには根強いファンがいる町とも聞いたことがある。
恐らく梓さんが言っている通り、市街地の方まで足を延ばせばそれなりに賑わいがあるのだろう。
とはいえ、俺が知っている辻ノ宮という町についての情報は少しネットで調べたら出てくるような、その程度のものしかない。一度もこの町を訪れたことはないし、どのような暮らしが営まれているのかなんて正直想像も出来ない。
これからしばらくの間、この町で生活をするのだと頭では分かっていてもイマイチ実感がまだ湧かなかった。
「ほぉら、いつまでもそんなとこで呆けてないでこっちおいでよ!あ、切符はそこの箱に入れといてね」
いつの間にか先に改札を抜けていた梓さんの声で我に返った。
◇
切符を木箱に入れて駅舎のなかに入ると、思ったよりも天井が高く、開放感があることに驚いた。建物全体が木造なこともあり、心なしか空気が涼しく感じるのも悪くない。無意識のうちに強張っていた体の力が少し抜けたのを感じた。
「それで、これからどうするんですか?」
「うーん、お母さんが迎えに来てくれてるはずなんだけど……まだ来てないみたいね」
ぐるりと駅舎の中を見回してみても、ここには俺と梓さんの二人しかいない。
梓さんの母親……
「電車の時間ちゃんと連絡しておいたはずなんだけどなぁ、ちょっと電話かけてみるね……あ、そうだ」
スマホを取り出そうとした梓さんが何かを思い出したようにこちらに顔を向ける。
「湊くんさ、喉渇いてない?」
確かに口の中が乾燥しているような気がする。緊張が体中にまとわりついていたせいだろうか、思えば今日は碌に水分をとった覚えがない。言われるまで気づかなかった。
「少し渇いた、かも。」
「おっけー、それなら丁度いいや。はい、手のひら出して」
言われるままに右手を梓さんの方に差し出すと、彼女はこちらの手の上に何かを乗せた。
「これは……」
見覚えのある硬貨が一枚、手の中に収まっていた。
それは紛れもない、500円玉だった。
「駅出てすぐのところに自販機あるから、それで好きな飲み物買ってきていいよ」
「え、いや、自分の分は自分で出すから大丈夫ですよ」
気心知れた友人であればともかく、いくらなんでもほぼほぼ初対面の人、しかも同い年の女の子に奢ってもらうのは気が引けるというレベルの話ではない。
流石に受け取れない、とお金を返そうとすると、そんな俺を制するかのように梓さんは言う。
「私も結構喉渇いてるのよ、お母さんと電話してる間についでに私の分も何か買ってきてもらってもいい?湊くんの分はほら……パシられ代?ってことで」
「パシられ代?」
「そう、パシられ代」
「ふむ……」
なるほど、どうやら俺は梓さんの使い走りに任命されたようだ。パシられ代、なんて言葉は聞いたこともないけど。
もしかしたらこれも、彼女なりのアイスブレイクなのかもしれない。そうだとすればこちらばかり遠慮しているのも、むしろ失礼になるような気がする。
「まあ、そういうことなら、お言葉に甘えてパシらせてもらいますよ」
「うむ、従順でよろしい。君なら将来立派な私の舎弟になれるだろう」
「折角のご提案だけど、丁重にお断りさせていただきます」
「うそうそ冗談よ。じゃ、お願いね……あ!おつりはあとでもらうから!」
「分かってますって」
なんとなくではあるが、梓さんとの接し方が少し分かってきたような気がする。
案外、彼女の言うこの不自然な敬語がなくなる日は近いかもしれない。
そんなことを思いつつ梓さんの声を背中で聴きながら、俺は駅の出口へと向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます