柘原湊に青春は難しい

鷺宮木蓮

プロローグ

第一話 柘原湊と清藤梓

「——ッ」 

 

 車窓から差し込む鋭い光に思わず閉ざしていた意識が呼び覚まされる。


 薄く開いた目で腕時計を確認してみると、電車に乗ってからもう結構な時間が経っていた。

 

 出発した時にはまだ優しく一日の始まりを告げていたはずの太陽は、今や大地を焦がさんとばかりに大地を照りつけている。

 

 もうすぐ夏も終わりだというのに、相変わらずお元気なことだ。

 

 なんの気もなしに窓の外に視線を向けてみると、そこに広がる景色も数時間前のコンクリートジャングルとは大きく異なり、視界の半分以上が緑一色に染められていた。

 

 まるで寝て起きてみたら別の世界に来てしまったかのようだ。

 

 勿論、そんな漫画のような物語は現実には起きないのだけれど。



「あ、起きた?そろそろ着くよ」



 不意に、鈴の音を鳴らしたような声が、僕の耳をくすぐる。

 

 寝起きでまだ少しぼーっとする意識のまま、声のする向かいの座席の方へ顔を向ける。


 そこには、一人の女の子がこちらを覗き込むように眺めていた。

 

 艶のある黒い髪と日焼けのしていない透き通った白い肌が、陽光を反射して輝いているように見える。なによりも、赤みがかった大きな栗色の瞳は、まるでそこに小さな太陽でも宿しているかのようだ。寝起きの僕にとっては少し煩わしいと感じるくらいには活力に溢れている。


 彼女を見て真っ先に脳裏へ浮かんだ感想は、眩しいな、という一言だけだった。


「あぁ……ご丁寧にどうも」

 

 輝きから逃れるように、再び車窓の外へ目線を移すと、数瞬前までとほとんど変わらない自然の緑とギラギラとした陽光が世界を覆っている。


 人は夜にでもならないと、日の光から逃れることは出来ないらしい。


「ちょっと、なによその反応!目覚めたらこんな美少女が目の前にいるのよ?男の子にとってみれば最高の目覚めでしょ?もうちょっと有難がってもらってもいいんじゃないの?」

 

 対面の少女がわぁわぁと騒いでいる。乗客が少ないとはいえ一応電車の中なのだから、もう少し声を抑えてほしい。あと、公共の場で自分のことを美少女と堂々と宣言するものはいかがなものだろうか。


「はぁ……。分かりましたから、落ち着いてくださいよ清藤きよふじさん」


 向かいの少女——清藤さんは『怒ってますよ』と顔全体で主張するようにぷくーっとむくれている。


 これでは本人ご自慢の美少女顔も台無しだ。


「もう!今からそんなに他人行儀にされるとこっちも対応に困るんですけど」


「そう言われても……俺達ほとんど初対面みたいなもんだし、正直どう接すればまだ分からないというか」


「なに?都会育ちって皆そんな堅苦しいこと考えながら生きてるワケ?人間関係しんどくない?友達作るの大変そう」


 先ほどのむくれ顔から一転、今度はどこか呆れるような顔で清藤さんはこちらを見つめている。


 彼女が言いたいことも分からないことはないが、流石に寝起き早々一方的に言われっぱなしでは少々気分が悪い。


 「そこまで言わなくてもいいんじゃないですかね。俺だって普段から常にこういう感じってわけじゃないですよ」


「だったら尚更よ。事情が事情だし慣れないのは分かるけどさぁ、こっちだって立場は同じなんだからね。結構頑張ってんのよ?わざわざ貴重なお休みを使って、こうしてあんたのお迎えに行ったのだって、少しでもアイスブレイクの時間になればっていう私なりの勇気と配慮なんだから!」


「そりゃあどうも。貴重なお時間を割いていただきありがとうございます」


「あ……もしかして、私が思ったより可愛くて緊張しちゃってるとか?」


「それはない」


「…………あっはは、しっつれいなヤツ!」


 今度は一転してケタケタと笑い始める清藤さん。

 彼女の表情筋はゴムか何かで出来ているのだろうか。


「なんだ、ちゃんと話せるじゃん。そういうのでいいんだよ。変な気を遣わなくていいからさ、リラ~ックスリラ~ックス」


「清藤さんって順応性が高いとか言われたりしませんか?」


「言ったでしょ、私も結構頑張ってるんだってば……あ!ていうか、また私のこと『清藤さん』って言った!苗字で呼ぶのやめようって電車乗るときに決めたでしょ!私を呼ぶときはあずさよ。分かった?」


「あれは勝手に清藤さんが……」


「あ・ず・さ!」


「……梓、さんが勝手に言い始めたことじゃないですか」

 

 この目の前にいるやや距離感のおかしい女の子、清藤梓きよふじあずさは俺の従姉妹にあたる人だ。年齢は俺と同じ16歳。本人曰く、花の高校1年生だそうだ。

 

 とはいえ、俺の家には元々親戚付き合いというものがほとんどない。決して親戚同士で仲が悪いというわけではないらしいけど、各々が自分達の生活を優先した結果だそうだ。

 

 清藤……梓さんとだって、顔を合わせて話したことなんて片手で数えるくらいしかなかった。最早俺にとって彼女は、ほぼほぼ他人と言っても差し支えない。

 

 そんな俺が何故今、梓さんと同じ電車に揺られているのかというと——


「そんなこと言ってもさぁ、これからしばらく一緒に暮らすわけだし、お互い苗字で呼ぶ方がおかしくない?ほら、私のお母さんだって清藤さんだし」


「それは……確かにそうですけど」

 

 

 そう、俺はこれから梓さんが暮らす清藤一家のもとに、しばらくお世話になることになったのだ。

 

 数週間前、あまりにも突然決まった話で最初は耳を疑ったが、紛れもない事実だった。


「あと、そのよく分かんない敬語も出来る限りやめて。いきなりが難しいなら無理のない範囲でいいから。なんかこっちがゾワゾワするのよ」


「善処しま……するよ、梓さん」


「うん、よろしい!改めてこれからよろしく、柘原湊つげはらみなとくん!」


 梓さんがこちらに右手を差し伸べてくる。


「ほら、握手」


 どうするべきか少し悩んだけれど、よく見てみると梓さんの手はやや震えていた。


『私も結構頑張ってるんだってば……』


 先ほどの彼女の言葉が脳裏をよぎる。なんてことなさそうな態度を取ってはいるが、きっと彼女も無理をしているのだろう。考えてみればそれも当然だ。


 そう思うと、いつまでもこちらだけがたじろいでいるのも失礼に感じられる。


 一つ大きく深呼吸をしてから、こちらも彼女へと手を差し出した。


「こちらこそよろしく、清藤梓さん」


 ぎこちない握手を終えるのとほぼ同時に、電車が駅に停止する。


 新しい生活の始まりを告げるように、ゆっくりとドアが開いた。


 

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