其の五
「バン!」
金属と金属が強度に接触する音がして、それは全てが終わった。
<やった!>
そう言葉に出す前にタケオはブレーキレバーを握りしめフルブレーキングをかけた。
つんのめりそうになるのを、いつもの習性でグッとニーグリップを入れる。
フロントがフルボトムしそうになり、一瞬タケオはヒヤリとした。
<ヤベ!サスがよたってる!>
だがバイクはその状況を堪えた。
タケオの目の前には赤い軽自動車に無惨にも突き刺さったFZが横倒しになっている。実際には突き刺さってはいないのだが、そう見えるくらいFZのフロントはイッていた。
縦列に無理矢理方向転換した軽自動車は完全に車道を塞いでいた。
普通なら後続の車からクラクションの嵐や、ドライバーから罵声を浴びても当然の状況だ。 しかし、この状況はドライバーの女性に同情的なものになっていた。
逆に、敵意はその状況の中に置かれたバイク乗りに向けられていることをタケオは一瞬で悟った。
そう思った瞬間予想どおりの展開となってきた。
タケオがバイクを止めてFZのほうに歩み出そうとした時、タケオの肩を後ろから誰かがつかんだのだ。 タケオが振り向くと、そこには作業着を着た男がタケオを睨みつけていたのだ。そうして、こう言い放った。
「なにやってんだよ!こんなところで事故りやがって!どうすんだコラ~ア!」
タケオは、その男を一瞬見たが、それどころの状況でないのは明らかだった。
タケオは肩にかけた男の手を振りきって軽自動車の方に全力で駆けた。
そこに居るべきライダーがいないからだ。 先程の作業着の男が後ろでなにやらがなり立てているのが聞こえたが、状況は一刻を争う問題だった。
タケオは軽自動車のボンネットに手をついて周りを見渡した。
<あいつ、どこに居るんだ!?>
そう時間を要せずにタケオは、それを見つけた。
路上を塞いだ軽自動車の前方に、そのライダーは横たわっていた。
横たわるという言い方は、不自然かも知れない。
何故かというと、それ以上に不自然な姿勢でライダーは車と車の狭間に居た。
「ヤベ~!ぞこりゃ!」
タケオはそう思うと同時に、ヘルメットの中で声を発した。
そのライダーは軽自動車から10mほど離れた路上に不自然な格好を取っていた。
そして、そのライダーの斜め後方の車のボンネットも不自然に変形している。
飛ばされて、その車のボンネットに接触してから落下したのは一目瞭然だった。
タケオは渋滞した車の隙間を全力疾走した。 しかし、なかなか倒れたライダーにたどり着かない、足がこわばって絡みそうだった。 タケオの額には冷や汗のような脂ぎった汗が滲んでいた。
<自分が事故ったようだ> タケオは、そう感じていた。
ようやく、本当にようやくだった。タケオはライダーにたどり着いた。
しかし、たどり着いたときタケオは改めて、そのライダーの不自然な姿勢にゾッとなった。
肩が異様な形にひしゃげている。足も大腿部から完全にねじられているのがタケオには解った。
「やべ~!逝っちゃったか!?」
タケオは一瞬最悪な場面を頭に描いた。
今までも、何度かこういう場面に遭遇しているからだ。
その時、タケオは車から降りてきた野次馬的ドライバーの一人がライダーに手をかけて揺すり起こしそうになるのを見て叫んだ。
「やめろ!!触るんじゃない!」
その声にドライバーはビクッとして手を引いた。 タケオはもう一度叫んでいた。 「だめだ!下手に触っちゃ!」
そう言ってタケオはライダーの方に屈み込んだ。
ヘルメットのシールドが飛び散りライダーの顔の一部が見えていた。
タケオは自分のヘルメットを素早く脱ぎ、汗ばんだ顔を路面に近づけた。
本当に無意識の行動だった。 タケオの顔はFZライダーに近づけられていた。
ライダーの顔を凝視するタケオの目は充血していた。
頭がガンガンする。 下手に触れることは出来ない。
「おい!!しっかりしろ!おい!」
タケオは叫んだ。叫ぶしかなかったのだ。
「......グゥ....ア...ア....」
その時、そのタケオの叫びに答えるかのように男がうめき声をあげた。
<生きてる!> そう思った時、タケオは新たな不安に襲われた。
混乱した状況から、一抹の安堵感に変わった時に来る新たな不安感。 この状況を処理しなければいけない責任感と苛立ちが同時に襲ってきたのだ。
タケオは無意識に声を発していた。
「生きてる!だいじょうぶだ!だれか救急車を呼んでください!」
その声に即応するかのように誰かが叫んだのが聞こえた。
「だいじょうぶだ!もう電話した!」
その声にタケオは、ドッと緊張感が抜けるような気がしてアスファルトの地面に腰を落とした。
しかし、それも一瞬だった。 そんな事をしている場合では無いことにタケオは我に返った。
もう一度、ライダーの方に目をやると、ライダーは先程よりも意識がはっきりしてきたのか苦痛の声を発していた。 タケオはもう一度男に顔を近づけて声を発した。 「おい!大丈夫か!?」
その声にライダーはヘルメットを被ったままの頭を微妙に上下させた。
<大丈夫だ、こいつは意識がある>
タケオは安堵感を改めて憶えたが、そのライダーの苦痛は痛いほど感じていた。
過去の自分の記憶とも重なり人ごとではない状況だったからだ。
見ると、ライダーのヘルメットから見える顔に脂汗が滲んでいるのが確認できた。 ライダーは意識がしっかりしてきたと同時に強烈な激痛を感じ始めているのだ。
タケオは、もう一度冷静になってライダーを観察した。 右腕が胸の方に折れ込んでいる、そして肩幅が妙に短い。 鎖骨が確実に粉砕されているのだ。
そして上腕部が突き出ている。 同じく右足の膝から下が通常の位置では無い。
タケオは振り向いて右後方の車のボンネットを見た。そこが強烈にひしゃげている。
<ここに投げ飛ばされて激突して、落ちたんだ....>
そう思ったときライダーがうめき声を再びあげたので、タケオは男の方を見た。
その時、タケオは初めて男と目があった。それまで目を閉じていた男が目を開けたのだ。
その目は、虚ろだった。
しかし、声は喉から絞り出すようなうめき声をあげている。 タケオは、そのアンバランスさに一瞬ぞっとするのを感じた。 異様に長い時間が流れるのを感じていた。 事故の時は、いつもこんな感じだ。時間が澱み始めるのだ。 身体につきまとうような澱んだ時間が必ず現れる。
<マキオがからんだ事故の時はいつもこんな感じだ>
タケオの脳裏に嫌な記憶が蘇ってくる。
<マキオにバトルを挑んだヤツが事故った時は、いつもこんな感じだ...。 事故る前までは時間が強烈に速く流れる。しかし事故った後はその速い時間のツケがまわって来るように時間が澱み出す...いったい何なんだこの感じは>
タケオの脳髄は締め付けられるようにクラクラとした。
自分が意識を失ってしまいそうだ...。
「おい!救急車が来たぞ!」
その声でタケオは我に返った。
<やばい!自分は何をボ~としてるんだ!>
タケオはライダーの顔を、もう一度見た。先程よりは眼差しに精気が戻っている。 その眼差しはタケオに懇願するかのような眼差しに変わっていた。
「おい!救急車が来たぞ!」 今度はタケオがライダーに叫んだ。
ライダーの眼差しに一瞬安堵の色が見えた。
「だいじょうぶか?」
その時、妙に落ち着いた声がタケオの耳に入って来た。
その声は、もう一度タケオに話しかけ来た。
「君は大丈夫か?」
その声の主に顔を向けると、それはヘルメットを被った救急隊員だった。
タケオは気の抜けた声で答えた。
「ああ... 自分は大丈夫です」
救急隊員の手際の良い作業でバイク便のライダーは現場から搬送された。
その間の時間が長かったのか、短かかったのかタケオには解らなかった。 立ち上がって改めて周りを見渡すと、渋滞は以前よりひどくなっていた。
気が付くと、既に警察が現場に到着して交通整理を始めるところだった。
タケオはぐるっと周囲を見渡した。
そして誰かに語りかけるように、ぼそりと呟いた。
「おい、マキオはどこに居るんだよ....」
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