其の四
マキオのマシンはまるで水が流れるように車の間をすり抜けてゆく。
その走りには全く危なげがなかった。
後方からマキオを追っていたタケオも一瞬その走りに見とれている自分に気づきハッとした。 それはマキオの走りではなくて、マキオを追って加速しているバイク便のライダーの存在に気づいたからでもあった。
マキオの走りが流れるような走りであるのに対して、バイク便ライダーの走りはタケオの目から見ても危ないものだったのだ。 その走りが、マキオが加速するにつれて益々危険なものとなって行くのがはっきりと解った。
「あいつヤバイ走りになってるな....」
タケオは一定の間合いを置きながら二台のマシンを観察していた。
マキオの市街地での走りを見極めるにも、またとない機会だ。 しかし、バイク便ライダーの走りは限界近くになってきているのは明らかだった。 ブレーキランプが小刻みに点滅していることからも、それは解った。
それに反して、マキオのマシンのブレーキランプは全くと言っていいほど点滅しない。
「あいつ、アクセルワークだけでこの車の列の中を走り抜けてるのか...」
市街地は夕方の通勤ラッシュ時に突入し始めていた。
右や左から車線変更をする車、突然減速する主婦らしきドライバーの軽車両、前方の視界を妨げる大型トラック、縦列した車の間から突然飛び出す掟知らずの歩行者やチャリ軍団....。
この時間帯の公道は、まさに地雷原のようなものだ。
普通に走行していても気を抜けば何が起こるか解らない状況である。 マキオの後方を走るバイク便ライダーはこの手の状況は熟知しているプロのライダーだ。
そのバイク便ライダーの走りに緊張感と恐怖感が表れてきていることはタケオにもはっきり解った。 プロのライダーだからこそ公道の恐怖を知っているからだ。
そのプロライダーにじわじわとプレッシャーを与えている存在。
それは、マキオだ。
タケオの耳にもマキオのGPZ750ターボのエキゾーストは聞こえていた。
車の群れの中で、その音は吠えるように木霊している。
「おいおい、この渋滞した状況でその音かよ....」
そう思いながらタケオは思わずニヤリと笑みをこぼしていた。
「あいつを敵にまわさなくて良かったゼ...」
そう思うと、マキオにバトルを挑んだバイク便ライダーのことが哀れにも思えてくる。
「しかし、あいつ何をマキオに言いやがったんだ...?マキオは全く相手にはしていないそぶりだったけど、あのエンジンの回しかたからするとマキオもキレかかってるな....」
タケオは何があったのか知りたかった。
前方を走るバイク便ライダー、そしてその前方を走るマキオ。タケオから二人を観るとまるで奈落の底に吸い込まれてゆくかのような錯覚に陥った。 それほど二台のマシンは一直線に車と車の狭間を疾走しているのだ。
そして良く注意して観察しているとタケオはあることに気づいた。
バイク便のライダーの小刻みに点滅していたブレーキランプの点滅が以前より減っているのだ。 そして心なしか走りも安定してきている。
バイク便ライダーはマキオに引っ張られるかのように加速しているのだ。
そして、気づくとタケオ自身の走りもペースアップしていることに気づいたのだ。 「そうだ、これはマキオと走ると度々起こることなのだ...」
とタケオは感じていた。
マキオと峠などに走りに行くと、時として起きることなのだが、マキオの後方を走っていると強烈な緊張感にプレッシャーを感じるのだが、その緊張感がピークに達した直後に何かに吸い込まれるような感覚になるのだ、そして今まで聞こえていたはずなのに初めて聞くような突き抜けたようなエキゾースト・ノイズを聞くのだ。
その時、自分がマキオの後方にピタリと付いていることに気づく。
マキオのエネルギーと同調したかのような感覚だ。どんな状況でも完璧に走る抜けることが出来るような感覚に支配される。
マキオをぶち抜くことも出来そうだ。いやマキオを抜くことが出来る!
「ヤベ~!!!」
タケオは頭の中で絶叫していた。
「あいつ絶対に転けるぜ!!」
そうなのだ、こういう状態になったとき確実にマキオに引っ張られたライダーは事故るのだ。 マキオのエネルギーが後方のライダーを被ったとき、ライダーはまるでマキオに吸い込まれるかのようになる、そしてマキオよりも早く走れると錯覚してしまう状況に陥ってしまうのだ。
タケオがそうだった。 何度、痛い目に遭っているか知れない。しかし、それが何故なのか未だにタケオには解らなかった。 マキオの後方を走っていると必ず襲われるこの感覚。 恐怖とプレッシャーがレッドゾーンに突入したときに姿を現す得意な感覚だ。
最高の恐怖から解き放たれたときに現れる、最高の至福感覚。それは何度後悔しても再び現れたときには抵抗しがたい至福でもあるのだ。 今その感覚がタケオを襲っていた。
「これほど引き離されていても、そうなるのかよ!」
タケオは混乱していた。
「いったいなんなんだこの感覚は!」
しかし、まだタケオは救われていたのだ。その事に気づくという事を痛い経験から学習していたからだ。
バイク便ライダーはマキオの後方にピタリと付いていた。 身体をバイクにピタリと密着させて車と車の狭間を疾走していく。 その前方をマキオのGPZが加速し続ける。
我に返ったタケオは、その二台を見失わずに付いてゆくのが精一杯だった。
いつ何が起きても不思議ではない状況に、通常感覚に戻ったタケオは恐怖が渦を巻いていた。
しかしマキオに魅入られたバイク便ライダーは何かに憑かれたかのようにマキオに吸い込まれてゆく。
前方で車のクラクションがけたたましく鳴り響く、それも複数の。
ウインドを開けて罵倒する声が聞こえてくる。
その横をタケオのマシンが走り抜ける。
ドライバーは後方から突然現れたもう一台のバイクに驚き首をすくめる。
車の横をすり抜けるときにタケオは見た。 車のミラーが進行方向に倒れている、それも立て続けに。 その犯人がマキオでは無いことは解っていた。 バイク便ライダーのFZが接触しているのだ。
「ヤベ、ヤベ、ヤベ~ゾ!こりゃ!!」
その時が確実に迫っていることをタケオは直感した。 前方を見ると、先程までブレーキランプが点灯していなかったバイク便ライダーのFZのランプが小刻みに揺れている。
その瞬間、マキオのマシンが加速するのが見えた。一瞬でFZを引き離す加速だった。 その直後、と言うか全く同時に進路をふさぐ塊がタケオの視界にも入ってきた。
「アッ!!」
嗄れたのどから絞り出すような声をタケオは発した。
その塊は進路を塞ぐ車だった。赤い軽自動車?そこまで認識した瞬間タケオはブレーキレバーを絞り込み、同時にタンクのニーグリップを反射的に強めた。
バン! まさに一瞬、金属と金属が鈍く接触する音が聞こえた。
タケオはその音に吸い込まれそうになったが、辛うじて直前で逃れることが出来た。
その時タケオの視界いっぱいに入ってきたのは、赤い軽自動車とそれを運転する中年の女性の姿だった。 女はハンドルを握ったまま微動だにせず、前方を凝視している。
その赤い軽自動車の左側ドアに突き刺さるように倒れたFZ。
タケオのRZ-Rはその直前で停止した。
視界の全てを被うのはフロントフォークがエンジンまで食い込んだ姿となった無惨なFZ、そして赤い軽自動車、ハンドルを握ったままの阿呆けた面の中年女性。
タケオの前で時間が止まっていた。
タケオは軽自動車の女性を凝視していた。
なぜかと言うとタケオと女性の間には存在するはずの者が存在しないからだった。 軽自動車の女性は、我に返ったかのようにタケオのほうを振り向いた。
一瞬タケオと女性の目があった。
女性の目は現状を全く理解していない事をありありと示していた。 そして今度は反対側に首を振ると、しばらくの沈黙のあと気の抜けたような声を発した。
「ハ~ア~!?!」
その視線の先には、身体をくの字にねじらせた男が路上に倒れていた。
それは、飛ばされたバイク便のライダーの姿だった。
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