変わる救い

 凍りついた空気。私が一方的に拒絶するような雰囲気。

 親切なみんなを追い払うように、強引に他の場所の作業を任せる。


 もう、全てが終わってしまったという確信はある。

 全ては、後の祭り。惨劇の後に残る、空虚。


 それでも確認を怠るべきではない。非常事態は、まだ続いている。

 現実的な想定、考えられる危険度は、ここが一番高い。


 だから、私が残る。

 だからこれは……言い訳なんかじゃない。



 呆気に取られたり、戸惑ったりしながらも、最終的には全員従ってくれた。

 こんな隊長について来てくれる優しい人たちなのに。

 みんなには迷惑をかけてばかり。



 ああ、そうだよ。

 せめて私があの時、動けていれば、彼女はもっと綺麗に終われたのに。

 私がみんなに引き金を引かせたんだ。

 私が躊躇ってしまったばかりに。



 なんて卑怯者。

 私が見逃した、私だけの過ちなのに。



 血溜まりを歩く。彼女の残滓が、私に纏わりつく。

 彼女の、濡れた生暖かい身体に、ゆっくりと触れる。


 優しく触ったつもり、だったのに。

 柔らかすぎて、指が沈み込んでしまう。





「あ、ぁ……」





 呼吸が途切れ、致命的な何かが切れた。


 ふと、どこかで、何かが割れるような幻聴が聞こえる。


 感情が限界を超えてしまう。意識と無意識の境界がわからない。

 堰を切ったように、零れてはいけないものが、零れ続けてしまう。

 硬いものが混ざった柔らかい彼女に縋りながら、世界にヒビが入る。


 どの時点で手遅れだったんだろう。どの時点で間違えたんだろう。

 どの時点で、何を選べば、正しかったんだろう。


 魔獣を見つけ、彼女に会った時、もう手遅れだった。

 わかってしまってる。とっくの昔に、ゲームオーバーだったってこと。


 一本道のように、一直線に、私と彼女は地獄に落ちたんだ。

 予定調和に導かれるままに、最悪のバッドエンドへと。


 ああ、でも。できるなら。どうか、やり直させてほしい。

 選び直させてほしい。どうか、どうか……。


 そんなの無理だってわかってるのに。

 そんな希望とも呼べない我が儘を、心の底から望んでしまっている……。


 ダメ、ダメだ、早く落ち着かないと。切り替えないと。


 このままじゃ壊れてしまう。私の世界が、私が……、











 沈んだ指先が何かに触れた。





 はっきりとした存在感を私に示す、肉でも骨でも無い何か。


 指に張り付くように抜き出されたそれは……


 羅列する、美しい文字が、私のヒビ割れたガラスを、すり抜けてくる。








"。欠けて亡くした魂を取り戻せる"





"貴女と同時に、彼女も救われる。貴女の誤った選択は書き換え──











「あの……?」


「っ!?」




 振り向くと、そこには見知らぬ少女がいた。


 思わず手紙を取り落とし、それは滑るようにして少女の足元に落ちる。



 いったい、なんだろう、この子は……?



 不思議な魔力。おそらく魔法少女。でもはっきりとわからない。


 目の前にいるはずなのに。わからないという違和感だけがある。

 なのに、不気味さは欠片もない。ただただ、目を離したら消える幻のような、自然の希薄さ。




 少女は、透き通った……を丸くして、足元の紙を見ている。



 血溜まりに落ちたにも関わらず一切の汚れがないそれを、少女はゆっくりと拾い上げ……ようとして、バランスを崩して尻もちをついた。


 ぴたん、っと水音を立て血に塗れて、不思議そうに首を傾げながらも、それを拾って眺める少女を、何もできずに眺める私。



 なにが、これはいったい、なにが起こっているというんだろう。

 身体は動かない。ただ、この、どこか超然とした雰囲気に、目が離せない。


 少女はもう一度、首を傾げてから、軽く頷き……、




「そっか。でもいいや」




 あっさりと、それを破り捨ててしまった。




「は……?」


「助けにきました」


「え、……は?」




 ぴちゃり、ぴちゃり、ふらふら。

 おぼつかない足取りで、そのまま少女は、彼女に近づいていく。



 それを私は、ただ眺めていて……、ふと、少女が口を開けた瞬間。



 意識が唐突に、跳ね上がるような拒否反応を、







「──っ、近づかないで!『反射Reflection』っ!!」



「『救済Redemption』」










 ……水音が聞こえる。



 血が……滴っている。どこから?


 それは少女の全身から。



 何かが、少女の身体を致命的に壊した。


 そのまま力尽きたように、ゆっくりと血溜まりに沈む。


 少女と彼女の間に、慌てて割り込んだ私には、何も起こっていない。



「……ぁ、れ、……なんか、変? 違、う?」



 いったい何が? どういうこと?


 わからない。わからない。ただ、私の目の前で少女が死に掛けてる。


 それはどうでもいいけど、彼女はどうなっ……!?







 振り返った先にある彼女の血肉。


 それが少女の、光を帯びた血と混ざり……全体が、輝きを……?







「でも……、失敗じゃない、なら、いい、か……」


「な、ど、どういう、なに、あれ……?」


「大丈夫……、です」


「何がっ! 何をっ! 説明、してっ!」


「……うん」



 詰め寄った私を無視して、ゆっくりと、着実に衰弱していく少女。


 その腕が、震えながら上がり、私の背後の彼女へと指をさし……?






「あ……え……?」




 再び振り返ると、彼女が裸で横たわっていた。

 傷一つない、綺麗な身体で。


 今まで見たことはない姿。いつもと違うけど、元通りの彼女が。

 ただ、髪が解けて、メガネが無くて、服を着てないだけの彼女が。




 人の形を取り戻した彼女が。






「ん……ぅ?」



「あ……そんな……そんな……」


「……」

「ぅ……ぁ……」


「……間抜けな、……顔」




 こんなの嘘だ。


 あ、違う。嘘じゃじゃない。絶対違ったらいけない。

 さっきまで全部嘘だったらいいと思ってたけど、これだけは嘘じゃいけない。


 ああ、最低だ。最悪だ。私が殺そうとして、みんなに殺させた、そんな関係なのに。

 私は今、ただただ、喜んでしまっている……。これは……本当に……嘘じゃない……?



 思わず、ぼんやりとしてる彼女を抱きしめてしまう。幻じゃない。触れても崩れない。

 強く、強く、そんな資格ないのに、自分勝手な感情のままに。


 本当に……本当に……。




「……。……。……!?」



「あっ……ぁ……」


「ちょ……、な!? アンタ、や、違う! なんで生きて、魔獣は!?」


「ぇ……、あ……魔獣は死」



「──なんで、私を生かしてる! なんで、殺してない! なんで! なんで!」



 ……え?


 私はただ、嬉しかっただけ。だから、戸惑ってしまう。どうして?


 彼女は……生きてることが、嬉しくないって……こと?



「私もアレも何も殺してないけど! いずれ殺した! いつそうなってもおかしくなかった! 私はアンタの敵だった! そうでしょ!!」


「ち、ちが……」



 違わなくない。無意識の私が冷たい言葉を零す。


 何もわからないままの間違った考え、誤った選択の先。

 あの時、あの瞬間、私たちは間違いなく敵対してた。


 ほんと、どの口が言う。愚かで醜く汚いのは、私じゃないか。



「だったらなんで! なんで……! なんで……。私は化け物でしょ……お願いだから……ちゃんと殺してよ……」


「……」



 いったい、どの言葉が、正解なんだろう。私はもう、間違えたくないのに。


 黙ってるのが正しいとは思えない。

 でも、間違った選択を決定してしまいたくない。


 ずっと何も選べないまま……私は、動かない。



「……、え……?」



 彼女が、少女に気づいた。

 ポカンとした様子でこちらを眺めながら、少しずつ死にかけている少女の存在に。


 震えて、這うように近づいていく彼女と、それを見るだけの私。


 私は、動かない。



「なに……ちょっと、誰この子、何で死に掛け、いや、だめ、殺さなかったのに、死んじゃう……いやだ……いや……」


「……だいじょう、ぶ。ですよ」


「なにが……なにが……こんな地獄……こんな……間違ってる……」


「……?」


「また……私の間違いが……取り返しが……本当に酷い……醜い……私なんか……」



 少女が、不思議そうにぼんやりと、でもしっかりと……首を振った。






「……大丈夫、です。間違って、も」






 何をしたらいいかわからない。何ができるかもわからない。

 固まったまま呆然と眺め続けていた、無様で役立たずの私だけど。


 ずっと見てたから気づいた。



 ぼんやりと微笑む少女に、一瞬、



「私が、助けます……、だから、やり……直せる……。そう……。やり直せる、なら、間違ったって、……大丈夫。誰かが、そう言って……、あれ、誰……だったっけ……?」



「……!?」



 少女の血が、肉体が、輝きながら崩れ始めた。

 まるで、塩のように。もしくは、ガラスの粒のように。




「そう……正し……、じゃ……、くて、赦し……。元に……、全部……私の、……、……」




 突然、一線を越えたかのように急速に、少女の存在が消えていく。

 彼女が泣きながら硬直している。私は、動かない。……動けない。



 最後。それは慈悲深い微笑みで、小さく私に頷きかけて。




 そのまま、空気に溶けるようにキラキラと、剥き出しの空へと昇っていった。







「なんで……どうして……私は許されないのに……生きてたって……」



 正直、何もわからなかった。

 謎の魔獣。謎の手紙。謎の少女。謎の魔法。謎だらけ。

 わかったことなんかほとんど何にもない。


 だけど、そう。一つだけ。





「……わ、私はっ、……許します」





 間違ったっていいんだ。正しさなんか必要なかった。

 私に資格があるかどうか、なんてものすら、関係ない。


 ただ私が、彼女を許して受け入れたい。それだけでよかった。

 そもそもとっくの昔に私の中に入ってたんだけど。だとしても。


 意識の私が伝えなきゃいけない。じゃないと伝わらないから。

 無意識の私が望んでても、それじゃ意味がないんだ。

 意識の私ですら気づかなかったんだから、相手がわかるわけがない。


 隔たりの中の願いは叶わない。だから外に出さないといけない。


 そう。それに間違っても、これはきっと……やり直せる間違い。

 何もしないより、ずっと正しいに決まってる。



「……っ、ふ、ざけっ! 私が……! 私が何をしたか!!」

「何もっ……!! ……間違いは、何も……残って、ない。……ですっ!」



 胸ぐらを掴むその手を、強く優しく、握る。

 そう。この部屋の惨状はともかく、彼女がした過ちの形跡は……何も残ってない。


 みんなの中でも、、という認識しかないはず。



「でもっ、でも……だとしてもっ……私なんかが生きて……ぅ……ぐっ……」


「私が、許すんです。……と、とにかくここでは、私が一番、偉いんだから。……誰にも文句は言わせ、ません」



 震える彼女を覆い隠すように。

 私の中に取り込むように。柔らかく抱きしめる。


 こんなの、隊長としても、組織の人間としても、失格かもしれないけど。

 私は、彼女の隊長。彼女は私の大事な片割れ。失うことなんかもう考えたくもない。


 これが露呈したら、流石に……『執行』対象なんだろうか……。


 ああ、怖いな。

 そう、そうだった。私はいつだって彼女の危険が、彼女の危機が怖かった。

 だから、私が守らないと。


 大丈夫、守れる。私は最強の、守りの魔法少女だから。

 もう、あんな奇跡みたいな助けがなくても、きっと上手くやれる。


 だって私は選べたんだ。今までのままの私の意識じゃ、多分、動かなかった。



 何かはわからないけど、確実に何かが変わったんだ。



「ぅ……う……」


「……それでも罰が、欲しいなら、……私が与えます。ちゃんと知ってるのは、私だけ、だから。他の人になんか……絶対に譲らない」



 私たちは、私たちだけのもの。彼女の選択も、私の選択も。

 取り返した過ち。変わった今。そして未来。


 本当にこれが正しいのか、間違ってるのか。わからない。


 でも、私はもう、欠けていないんだから。

 あんなバッドエンドになんか絶対向かわせない。

 そんなの私が全力で拒絶してやる。今の私なら、できる。


 だから……選んだ道が、どんな未来に向かうかわからなくても……。


 でも、この先はきっと地獄じゃない。

 間違いなく、バッドエンドは変わったんだ。




 そう、私の世界が変わった。それだけがわかっていれば、それでいい。

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