愛憐を拒む
無音に近い、轟音だった。
壁は壊れ、天井は弾け、爆煙に覆われる、惨状。
空が見え、風が吹き、露わになる、酷く……広くなった空間。
ふと……場違いとも思える警報が鳴り響く。
いつもの魔獣警報とは少し違う、非常事態の特別な警報。
ハザードBが周知され、部隊は緊急の即応態勢に入ったって……こと。
だけど、これは……いったい何が……?
……無傷の私の前に、血塗れの彼女が立っていた。
メガネも何処かに消えて、髪は解けて風に舞い、泣き笑いに顔を歪めた、いつもと全く違うボロボロの彼女が。
「ああ、これくらい……じゃ、やっぱ……、り、足りな、い……、か」
「どうして……?」
「ほんと……気持ち、悪い。醜い……愚鈍な、間抜け……」
……会話が、成立しない。どうしたらいい。
「プラン、B……ふふ、いま、考えた……、ことだけ、ど」
「……」
私は何をされても、どうにもならない。
だけど彼女を……どうにかすることは……できるんだろうか……?
「『
……?
また魔法……?
何の意味が……?
「はは……、いい加減、……、もっと私を、ちゃんと、みなさいよ……」
「え……?」
「いつだって、そう。観察して、るようで……、何も見えて、ない。ほんと……、バカ」
気付いた。
その言葉で、見た。
はっきりと、見えてしまった。
彼女の、血塗れでボロボロの隊服。その奥に。
肉塊が蠢いていた。
「ずっと……私は、アンタ以外……、全員に、魔法を……かけてる」
「え……あ……?」
「みんなの……、敵意を、今、誘った。好、都合……緊急即応……、態勢の、戦闘、要員が……ここに押し寄せて、来る……、ふふ……」
瞬間、最悪のイメージが頭をよぎった。
みんなが、私を中心に、死ぬ。その屍の山。
彼女が私を、地獄に変える。私以外の全てが滅ぶ。
「さ。どう、……する? 隊……、長?」
私は、どうしたらいい……? 何が、正解……?
敵対的な彼女。動かない私。いずれやって来る、敵意に満ちたみんな。
目の前にある選択肢は、全部選びたくないものなのに。
もう、駄目……なのかな。もう、やり直せないのかな……。
ああ、嫌だ。そんなの、嫌なのに。怖い。失いたくない。
でも、だけど、私は……彼女の隊長、なのだから。
彼女が私を、隊長と呼んだのだから。
彼女の責任を取らなければ……間違いになる。
だから早く動け。私の身体。動かして。私の意識。
どうか、いつものように……。
敵対する目の前の存在を、虫けらのように……殺すんだ。
よく見ると……彼女以外にも、辺りには肉塊がいた。
それらは壁や天井の残骸に紛れるようにして、動き回っている。
ずるずると瓦礫の隙間を縫うように、私を無視して彼女を目指し、蠢き這いずっている。
何をする気かはわからない。
単に援護のためか。集まることで、強くなるのか、回復するのか。
そもそもこの肉塊たちは、本体と分体なのか。
彼女のものが本体なのか。それとも別の個体なのか。
集中して魔力を感じ取ると、少なくともそれは、他の肉塊より魔力を強く感じる。
魔力察知が苦手だから断言できないけど……同一個体の上位存在なように思える。
もし主従があるんだとしたら、彼女と一緒のものが、きっと本体。あれを倒せば他は……?
正直、わからない。でも、あまり時間を掛けない方がいいんだろう。
錆び付いたような動きで、一歩踏み出した。牽制の魔力弾が飛んでくる。
碌な狙いもついてないそれは、ほとんど当たらず、当たるものも弾いて返す。
私には何の意味もなく、ただ無駄に、彼女の傷が増える。
一歩、また一歩。何度も何度も、その繰り返し。
私の歩みは決して止められない。
彼女は、自分で勝手に傷ついていく。
ぼろきれのようになったその隊服の隙間から、肉塊が顔を覗かせる。
そう……、そこには顔があった。
それは、彼女の胸に張り付いた、目の無い溶けた赤子の様な、醜い顔。
べた、べた、と蠢く肉の塊を零しながら喘ぐ、おぞましい化け物。
そいつがぼんやりと光り、震えながら口をゆっくり開き──
──『
……何も起こらない。
起こるはずがない。
私の望まぬ何もかもは、一切が届かない。
何もかもが未知の敵。間違いない脅威の存在。
……今のは、魔法だったんだろうか。
想像したことくらいある。魔法を、私たち以外……魔獣が使うことだって。
それはきっと、暇な小学生がするような、あり得ない妄想の敵。
そんなものが実際に、目の前に現れてしまった。
空想の中に留まるべきだった、最悪の現実。
最優先に対処すべき、最低の災厄。
だというのに、これには何の恐怖も感じなかった。
私にとって何の脅威でも、ない。
だけど、だけど私は……。
彼女と戦ってるというこの状況が……本当に怖い……。
──ひっ……ぃ……!?
「はは、……バカ、ね。……ほんと、バカ。私も、……」
「……」
全く抵抗のない彼女を押し倒して、のしかかる。
近寄ってくる蠢く肉塊たちが、縋りつくように私へ肉の触手を伸ばす。
それらは全て弾かれ、拒絶される。
……私だって、腐っても最上位の魔法少女。魔力量だけなら彼女よりずっと多い。
だから、並程度の威力の魔力弾、彼女とは比べ物にならないくらい弱い魔力弾でも。
数を撃てば、きっと足りる。
苦手な射撃も、このゼロ距離なら外しようがない。
ゆっくりと、腕に手を添え、その化け物に、彼女の胸に向けて……。
不意に、彼女の手が、私の腕を掴んだ。
「ここ。しっかり……狙いなさい」
固まった。
躊躇って、しまった。
私の意識が、致命的な行動を、止めてしまった。
なぜ。どうして。わからない。
どういう。
「……バカ。ほんと、やっぱり、……無垢」
「あ……」
「そう、わかってた……、私が嫌いな、美しい、鏡……。汚れて見える……のは、映った私……」
傷だらけの顔で、涙を流して微笑んでいる。
その表情は、見たことないくらい、柔らかくて、脆くて、壊れてしまいそうで……。
「……さよなら」
突然、極大の魔力弾が放たれた。
それは鏡の私を経由して、彼女に返る。
ゼロ距離の、致命的な衝撃とともに。
私には何の意味もない攻撃が、彼女と化け物を吹き飛ばす。
私だけを、置き去りにして。
私は何を間違えてたんだろうか。どこで見逃してたんだろうか。
選択肢。バッドエンドの分岐点。致命的なフラグ。
間抜けな私には、正解を掴めなかった。
ただ、わかったことがある。
ちゃんと考えたらわかったっていうのに。
彼女は……大きすぎる間違いをしただけ。
敵なんかじゃ……なかったんだ。
私の馬鹿な考えだけど、多分きっと、そう。
みんなへの精神干渉は彼女のもの。この魔獣への興味を他に誘って、限りなく薄められていた。
だから誰も気づかなかった……というより気にも留めてなかった。
そして彼女も、何かしらの精神干渉を受けていた。
それが、さっきの魔獣の魔法か、それとも違うものか、わからないけど。
この二つの干渉は、全くの別物。彼女は魔獣についての意識があったってこと。
だけど不自然にも、自然とその魔獣を受け入れてしまっていた。
そういう存在という認識になってたって……こと、だろうか。
それが多分、私との会話の中で、致命的に矛盾した。
彼女の無意識の自動誘惑を私が自動反射しちゃってたって可能性もある。
それも切っ掛けの一つだったかもしれない。
だから私に魔法をかけた。明確に、アクティブな、強い強度の『誘惑』を。
私にかけた『誘惑』は跳ね返り、自分自身への『誘惑』になる。
自分の中に生まれた小さな興味、疑問点を無理やり誘って引き上げて、自己分析と自己内省をしたって……こと。
そうすることで、精神干渉を振り切れた、のかもしれない。
全部、馬鹿な私の想像に過ぎないけど、そう考えるのが正しく思える。
だとしたら、あの瞬間から彼女は正気ということ。
……ああ、そう、そうだ。思い出せ。
正気に戻った後、彼女は……何をした……?
「とーちゃくっ!」
「隊長さん!」
「お待たせしました」
「敵!」
あ……だめ、まずい、来て、しまった。
早く、早く、止めなくちゃ……。
弱々しくも、未だに蠢く肉塊の化け物。
生きてるのか死んでるのかわからない彼女。
そこへ殺到する……敵意に興奮した、魔法少女たちを。
──ぁ……あ……『
「え……? あぇ、あ……?」
「あ、れ……?」
「……大丈、夫?」
「……かわいそう」
攻撃が始まる瞬間、間隙を縫うように赤子の肉塊が、魔法の言葉を呟いてしまう。
敵意を一気に沈めてしまった彼女たちに、散らばる肉塊たちが静かに這い寄り……。
「『
それは翻って彼女へと戻っていく。
徐々に、蠢く肉に覆われる、彼女の姿。
ああ、何をしてる。何を見ているんだ。何で見過ごしているんだよ。
動け、動いてよ、私の意識、私の身体。
「『
もはや彼女は、肉塊を集めて一つにした、歪な化け物。
なぜ。なんで。どうして。
「え、あ、違う! やっぱ敵! 『
ぐちゃり。
「なんて……生命力……! この……!」
降り注ぐ魔力。容赦の無い、飽和攻撃。
何で私は動かない。何で私は止めない。
わからない、わからない、わからない。
「タフすぎる。でも、確実に効いてる」
飛び散った肉塊が、彼女の元へ再び誘われ、蠢きながら集まり戻る。
でも動かない肉塊もあって、あれは、何なのか。
動く肉と動かない肉が混ざり合う。
そのシルエットは、もう。
ああ、なんだろう。私は、いったい何を見せられているんだ。
彼女への興味を薄められ、魔獣への敵意を高められた彼女たち。
知らず知らずに、無邪気に、無遠慮に、無造作に、無慈悲に、壊していく。
無自覚の惨劇の中で、悪魔のような化け物と、彼女が心中する。
続いてしまったバッドエンドの先。最悪の事後。生まれてしまった地獄。
そんな結末、誰が救われるんだ。こんな終わり方、あまりにも、残酷すぎる。
ああ、やめて、どうか……。
とまって、おねがい……。
「あと少し! 動かなくなってきた!」
目を背けるように思考が飛んで、現実から逃避する。
私は鏡。ガラスの中にいる私。向こう側のものは届かない。
なのにいつの間にかずっと、内側には何かがあった。
何なのかわからなかった。わからないまま、それ以上考えもしなかった。
私の感情を内側から揺さぶってくれるもの。それが、今更わかってしまった。
もう、取り返しがつかないのに。もう、とっくに手遅れなのに。
気づいてしまって、強引に意識が現実に引き戻されてしまう。
さあ、これを見るんだと。目を離すなと。
これがお前の罪なんだと。
まるで鏡に映るように、私の過ちが目の前にある。
「やったよ! ……もう、たいちょー。サボってちゃダメじゃん」
化け物の肉塊が全て魔力に還った。
その跡には。
本物の肉塊だけが。
人の形など。
もうどこにも、彼女の姿はない。
「……っ!」
「……えっ? えっ??」
「隊長さん……!?」
胃酸が喉を焼いた。びちゃびちゃと吐き出されたのは、きっと魂の一部。
受け入れ難い現実が、私の視界に火花を散らす。頭がクラクラする。
ああ、あまりにも今更。間抜けで、無様。
でも……そっか。そういうこと、だったんだ。
本当はこんなに執着してたんだ。本当に、なんて無意味な気づきなんだろ。
ただ単に、苦手だと思ってたのに。本当はただ、嫌われたくないと思ってた。
なのに漠然と、努力もせず。なんでだろうなんでだろうって、わかろうともせず。
意識が怠けてる裏側で、無意識がいつの間にか扉を開けて、魂の中に刻み込んでた。
それが、彼女。私の相棒。
嫌われ、ぶつかりながらも、一緒に道を歩んだ、私の片割れ。
もう二度と戻らない、私の内側の一部。
大事な魂が、欠けてしまったって……こと。
「あ、が、はっ……ふ……」
「え……大丈夫……?」
「大丈夫……だい、じょぶ……です。私が事後処理は、やる、ので……」
「ほんとに大丈夫……? 手伝うよ?」
「酷い顔色……無理しないほうがいいんじゃ……?」
「……ゆっくり休むべき」
「そうですよ、あんな気持ち悪いの、元気な私たちが調べた方が」
「私がやるって、言ってるだろっ……!!」
感情が、振り切れかけた。
爆発させてしまった方が、楽だったかもしれない。
でも私は仮にも、隊長だから。責任を果たさないといけない。
誰かに、触れさせるわけにはいかない。
彼女が私を褒めてくれたように、呼んでくれたように。
私はもっと隊長らしくしないと。
もう、それしか残ってない。私と彼女の関わりは。
だから、私が弔うんだ。そう。誰にも、触れないでほしい。
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