異常な正常
そんなこんなの平穏。
あれから魔獣警報もなく、私たちは表向き普通に過ごしている。
いつも通り私は隊長室にこもって仕事をしながら、たまに息抜きで配信を見たりエゴサしてみたり、それなりに充実した日々と言ってもいい、かもしれない。
副隊長の彼女はたまに私の様子を見に来るけど、相変わらず穏やか。
おかげで平和なんだけど、なんだか物足りない気がしないでもない。
ちょくちょく彼女の様子が気に掛かる、でも何をすればいいのかもわからない。
何かすべきなのかもしれないけど……気にしすぎなのかなぁ。
やっぱり私らしくない気がする。
「ああ、隊長さん。事務室に向かう途中ですか?」
「……」
「隊長さん?」
「……ん。あ、はい。なんでした?」
考え事してたらなんか隊員に話しかけられてた。
えーと、彼女は……中堅どころの魔法少女、だったかな。
目隠れ系の、他にあまり特徴はない隊員さん。
そんで私は今、事務室に書類を持って行く途中。
そのうちあっちから取りに来てくれるんだろうけど、早めに片付いたし自主的に持参することにしてる。
ほんとは隊長ってもっとこう、どんと構えるべきなんだろうけどね。ぶっちゃけ敬われてない自覚あるからね……。
好かれるための努力はなかなかする気になれないけど、せめて嫌われないための労力は払うべきかなーって。
ああ、ほんと他の部隊ってどんな感じでやってるんだろうなぁ……。
「私も事務室に書類を提出しに行くところなので、もしよろしければ一緒に持って行きますよ」
「あ、別に、大丈夫、です……」
「そうですか、じゃあ事務室までご一緒しましょう」
「えっ? あー、はい」
あんま絡まない人なのに、なんか急にパーティ入りしてきた。
もちろん会話も自然発生するような仲じゃない。
気まずいので会話デッキから話題をドロー、……天気が無難かなやっぱ。
「えっと、今日もいい天気……?」
「フッ」
鼻で笑われました。つらい。
そんなふうに、私が一方的に気まずい思いをしながら二人並んで廊下を歩く。
これもまた、はっきりいっていつもと変わらない、いつも通り。
そう、いつも通り──
──突然、何かが天井から降ってきた。
「うひゃぁ」
思わず無意識の自動反射が弾き飛ばしたけど……?
え……?
「……なにこれ、生肉? イタズラ?」
ペタンっと床に落ちたのは、謎のピンクっぽい物体。
よく見るとぴくっぴくっと脈動するように動いている。えぇ……気持ち悪っ……。
イタズラにしては悪趣味というか……え、マジでなにこれ?
上を見ると換気口がある。結構老朽化してて、小さなネズミが通れるくらいの穴が空いてて。
そこから落ちてきたってことだろうか。じゃあこれは、病気のネズミとか……?
だとすると衛生的に色々まずい気がするので、毒も細菌も自動反射で影響を受けない私が処理と確認をすべきなんだろうけど……。
「なんでしょこれ、正直触りたくないんですけどー……」
「はぁ」
「え……? いや、あれ……」
「……?」
「えっと、リアクション、薄くない……?」
「ああいえ。こんなのどうでもいいことかなと。早く事務室に向かいませんか?」
「え?」
……え?
どうでも、いい? これが?
目隠れ隊員さんは本当に、この不気味な物体に興味が全く無いかのような顔をしている。
何かわからない。何なのか、何にもわからない。
だけど、これまでずっと感じてた漠然とした違和感。
それが今この瞬間、一気に警戒心へと昇華した。
「っ!」
無意識に戦闘体勢に入り、素早くそれを掬い上げる。
それは……ケロイド状に溶けた、肉塊。ネズミなんかでは決してない。
力を込めて握りつぶすと、それはぐちゃり、と湿った音を立てながら……魔力に還り始めた。
「て、敵襲っ……!?」
間違いない……魔獣だ。
潰した感覚だと等級はめちゃくちゃ低い。
見たことないタイプの魔獣だけど多分第一等級程度……でもおかしい。
なんで隊舎に魔獣が?
なんで警報が鳴らない?
なんで誰も気づいてない?
私は魔力察知が苦手だけど、他の人はそうでもない。
なのにどうして。なぜ。
おかしい。おかしい。絶対にこれは、まずい状況下にある。
「隊長さん……?」
「っと、えっと、避難、じゃなくて、招集っ! 非常事態のハザードBっ! 急いでっ!」
「え……、……あ、はいっ! わかりました!」
明らかな魔獣の形跡を見ても、全く気にしてなかった様子の目隠れ隊員さんを見て思う。
私しか異常を感じないのであれば、真っ先に疑うべきは私自身の異常。
でも私の精神は正常だ。そんな幻覚を生むような精神的予兆なんかなかった、と思う。
そして私の魔法特性的に、外から何かしらの干渉を受けたとも考えられない。
であれば……私以外の周りに何かが起こっている。
何が起こっているかまではわからない、けど。
とにかく隊員を集めて早急の対処が必要だ。
部隊の隊舎には事務員や作業員などの非戦闘員が何十人もいる。
あれが1体だけと考えるのは、あまりにも楽観的だし……危険すぎる。
私は真っ先に副隊長と合流をして、みんなの元に向かう前に話をしたい。
即応態勢に移行して、状況確認、情報共有、避難誘導、捜索戦闘。
……大失点だけど外部通信も確保しないといけない。
目隠れ隊員さんにほんの一瞬だけ、なに言ってんだこいつ、みたいな白い目で見られたけど幸いにも指示にはすぐ従ってくれた。
普段から威厳ある隊長だったらこう言う時ビシッと決まるんだろうなと思うけど……仕方ない。
慌てて持っていた書類を私に押し付け、目隠れ隊員さんは速やかに走り去っていく。
って……、いやこれ、私に渡されても困るんですが……。
そうして廊下を急ぐ私の姿は、両手に紙束を抱えた間抜けな格好。
だけどこんな感じが、無様な私には相応しいのかもしれない。
隊長になってから、隊長にふさわしくないと言われたことは数知れない。
私がこの立場にいるのは単にその時、他に候補がいなかったからにすぎない。
前線に出る以上、魔獣との戦いに貢献できないような強さの隊長じゃ、意味がないから。
どんな魔獣とも戦えてしまう、私が槍玉に上がっただけ。
そして一度なってしまったがために、消去法の候補だったはずの私は、未だに隊長のまま。
戦果を挙げている最上位魔法少女を降格させるには、それ相応の理由が必要になる。
私が明確に致命的な失態を犯すこと、もしくは私を上回る圧倒的な力、そんなところだろう。
それ以外はきっと、考慮の余地もないと、本部に思われている……のかもしれない。
私は私よりも、副隊長の彼女の方が隊長に相応しいと考えている。
彼女のことは苦手だけど、その後ろについて行くのは嫌じゃないと思っている。
何年も一緒にいて、彼女の有能さは身に染みているから。いなければ、この部隊は回らない。
だからそう、本部に打診したこともある。色よい返事は、まだないけど。
よく人を見て、人のことを動かし、人のために動ける。
そういうリーダーにこそ……人はついて行きたいと思うんじゃないのかな。
それこそ『誘惑』の魔法なんかがなくても、彼女にはみんなを導く資格があるんだろう。
私はそんなふうになれない。私には人の気持ちなんか何にもわからない。
私は世界を拒む鏡。私の世界には私自身しかいない。
私を覆う薄皮一枚の分厚いガラスが、相手を隔てて拒絶してしまう。
透明な、無意識の私が勝手に、受け入れるものを、拒むものを選別する。
意識できない無意識の扉。鍵は私の意識の中に無いから、私の意識は何も選べない。
私以外の世界は、全てガラスの向こうにある。
透き通って全部見えてるようで、確実に何かが反射して弾かれている。
何が見えて、何が見えないのかも、本当はわからない。
向こうから、こちらから、届くもの、届かないもの、それすらも実はわかってない。
ただ、私だけが、みんなと違う。それだけがわかってしまっている。
こんな私が形だけでも隊長として務まってるのは、私の気まぐれな意識に、みんなが気まぐれについてきてくれてるってだけ。
まさしく烏合の衆といえるんじゃないか。集団のリーダーとしては失格でしかない。
だけど、だけども。
それでも、仮にも……私はこの部隊の隊長だから。せめて隊長らしくありたい。
みんなの気持ちはよくわからないけど、これは私の、壁の内側から生まれる気持ち。
そう思いたいと思ったから、思ってる。
私が唯一はっきりわかる、拒みようのない自分勝手な本心。
だからどうか、どうか。
「ん、どうしたのアンタ」
副隊長室にいたのは、書類と向き合う、不自然に穏やかな彼女。
いつも通りと言えばいつも通りの、最近よく見る彼女。
前までのずっとイライラしてた姿ではない彼女。
メガネをかけて、まとめられた編み髪で、吊り目でニコリとも笑わない、私の相棒。
「……」
「なによ。なんか用があったんじゃないの?」
「えっ、と……魔獣が、隊舎内で確認された、ので、」
「魔獣……それで、初期対応は?」
「あ……駆除して、ハザードBの発令をしました」
「妥当ね。死骸は?」
「完全魔力体。何も残らず、です」
「なるほど。班編成の指定は?」
「……緊急なので、デフォでも、いいかなと」
「うん、即応性が高いならそれで正しい。ちゃんとやれるじゃない」
「……ありがとう、ございます?」
……いや、なんで今褒められた?
場違いにも少し嬉しいけど、やっぱり違和感しかない。
こんなに優しい彼女……なんか変。
「状況確認、敵性存在の規模と現在地」
「あ……っと、見たのは第一ないし第二等級相当、前例にない見た目、一言で表すと……えっと……生きた肉塊?」
「いやそれじゃ範囲が広すぎるでしょ……で、他は?」
「見た目もそれ以外も謎が多くて、数も不明で……侵入経路も不明」
「そいつだけの可能性は?」
「ない、はず」
あれがたまたま迷い込んだだけの1体?
そんな可能性あるわけがない。断言してもよかったくらい。
そもそも、魔獣対策の最前線とも言える部隊に、魔獣が迷い込めるのか。誰にも気付かれずに。
私と一緒にいた目隠れ隊員さんは、あの魔獣のことを気にも留めてなかった。
他の人たちも同じような状況で、誰の気にも留められていないって……こと?
有り得ない。じゃあ、あれは何。わからない。
わかるかもしれないけど、わからない。
だから私はここにいる。
そうでも、そうじゃなくても、きっと彼女が答えをくれるから。
「毒、汚染、副次被害の可能性」
「高い、……のかも」
「封鎖と防疫を急いだほうが良さそうね……発見者はアンタ一人?」
「えっと、私ともう一人。……でも、実質私一人」
「実質?」
「っ……そう、認識阻害に近い、精神干渉。私以外の誰も、おかしいと思わなかった」
もしかしたら、これが核心。……どうなる?
「そう……。とにかく私たちも急いで作戦室へ、」
「……」
「……? ……誰、も?」
「……」
「……、あ……、れ」
「……?」
「敵、肉塊……、魔、獣……? 私……?」
「あの……?」
「……、……」
「……」
「……」
「えっ、と……?」
「『
「……っ!?」
私の意識は全く反応できなかった。
でも無意識が自動的に、干渉を反射する。
私への魔法は勝手に、そのまま彼女へと返される。
私には何の意味もない。
そんなこと……彼女だってわかってるはず。なのになぜ?
いや、そもそも、どうして今、私に魔法を使った?
答えは、やっぱり、それだって……こと?
「は、はは……そういう……」
「な……にを……?」
なにかの糸が切れたかのように、彼女が崩れ落ちた。
メガネが落ち、乾いた笑いを浮かべて、顔を覆う。
わからない。なにが、なにが──
「なんて、愚か」
──ぽつり。言葉が零れる。私は動かない。
「なんて、醜い」
──ゆらり。彼女が身体を起こす。私は動かない。
「なんて、汚い」
──どろり。濁った眼差しが射抜く。私は動かない。
彼女の腕が、スローモーションのようにゆっくりと、でも確実に、こちらに向く。
私は動かない。私は、私は、どう、動けばいい……。
「死んでしまえ」
第六部隊副隊長、『誘惑』の魔法少女。第六等級の上位魔法少女。
その全力。室内で放つにはあまりにも強大過ぎる、魔力弾。
それは副隊長室の悉くを破壊して私へと襲い掛かり。
──私の無意識は、それを呆気なく彼女へと返した。
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