望みへの鍵
・・・
私は、あの女が嫌いだ。
だけどきっと、あちらも同じ。いや……違うか。
あの女、私たちの隊長は、恐らく、この世界の誰のことも好きじゃない。
関心の反対は無関心。好意と嫌悪はどちらも関心。
興味のない存在に感情なんか湧くことなど、ない。
あらゆるものから、術者を守る『反射』の魔法。
どんな干渉も、そのまま相手に返す最強の防壁。
それは……あまりにも残酷な拒絶。
好意も届かない。悪意も届かない。
その心と体には、無意識に受け入れていいと思っているものだけしか届かない。
何を受け入れて何を拒んでいるのか、それはきっと本人にもよくわかってない。
趣味を持ってないあの女の趣味は、趣味探しだ。
節操無しに手を出して、すぐに冷めて放り出す。
興味を持つことが目的だから、結局、その興味は定着しない。
そして馬鹿だから、そのうち忘れてまた同じことを繰り返す。
なんで、あんな女が私たちの隊長なのだろうか。
特別仕事ができるというわけもない。強さだけ。
いや……その強さでさえ……相手に依存してる。
依存。拒絶。矛盾しているようで矛盾してない。
何かを望んでいるのに、何もかもを拒んでいる。
いつも人の顔色を伺っているというのに、相手が一線を超えた途端に突き放す。
話しかけるとへらへら笑って干渉を拒みながら、こちらをずっと観察している。
……ああ、気持ち悪い。
でもそれは、私も同じ。
相手の興味を操る、『誘惑』の魔法。
そんな魔法を使う私は、あの女のことを言えるのか。
相手の気持ちなんて、そんなもの、わからないから。
わかるように誘って導く。迷いを惑わし捻じ曲げる。
本当の考えを捻じ曲げる。
本当の動きを捻じ曲げる。
本当の気持ちを無視して、捻じ曲げる。
ああ、ひどい、ほんと。あの女よりもよっぽど、気持ち悪い。
こんなのまるで、人を破滅させる……悪魔みたいじゃないか。
「あ、ふくたいちょーだ。お仕事?なにか、お手伝いする?」
「……『
「??」
「大丈夫だから。あっち行ってなさい」
「わかった、またねー」
作業のため自室へ向かう途中だったので、邪魔されないように興味を遠くへ飛ばす。
声をかけてきたのは幼い子供の新人。そういえば今は11歳、だっただろうか……。
8歳で適合して10歳で覚醒。本当だったら小学校に通っているような少女だった。
適合も覚醒も早熟すぎて、でも、こんなに幼くても問答無用で戦力化されてしまう。
魔法を使えて戦えるのであれば、すぐにでも前線に来てしまう。
丈の余った隊服に着せられて、無邪気に魔獣と殺し合いをする。
良くも、悪くも、純粋に。
世界はいつだって不穏で、人手不足は深刻で、敵の数は多すぎる。
被害が少なく見えるのは、私たちの犠牲によってのもの、なのに。
疑問を抱くべきじゃない。
私たちの善悪は、それを判断できない年齢のうちに与えられたもの。
それが半ば洗脳じみていると思っても、思いを深めるべきじゃない。
ああ、矛盾してる。私はわかってしまっている。
本当はこんなことしたくないって思ってるのに。
そんなの考えるべきじゃ、ないのに。
私はもう、無邪気には考えられない。
まだ何もわからない子供たちを、騙して操っている。
思い通りに、私にとって、世界にとって、都合良く。
それはハーメルンの笛かレミングスの先導者か。
いずれにせよ、私はいつだって地獄への導き手。
私が操れなかったのは『執行』の化け物を除けば、あの女だけだった。だから。
あの女に会う度に、自分の醜さを突き付けられる。
それはまるで鏡のように。私の悪意が映って返る。
そう、鏡。鏡よ、この世で一番醜い存在は、誰。
映し出されるのはいつだって、認め難い私の姿。
ああ、本当に醜くて……気持ち悪い……嫌い……嫌いだ……。
あの女も……こんな私も……世界の何もかもが醜く汚い……。
内心を一切表に出すことなく、何人ともすれ違う。
適当な挨拶。適当な社交辞令。最適な、思い通り。
望まぬ話は魔法で遮る。望み通りに動いてもらう。
そして、自室の扉を開ける。隔離された私の空間。
持っていた書類を机に置こうとして……気づいた。
(手紙……?)
そこには今どき珍しい、可愛らしい手紙の封筒があった。
バツ印のシールで封をされ、宛名も差出人も無い、私信。
この部屋は私の城だから許可なく入れるのは、一応の上司である隊長ぐらいしか。
でもズボラで臆病なあの女がわざわざこんな形で私に言葉を伝えるとは思えない。
そして外部の人間が隊長の頭越しに勝手なことをするとも考えにくい。
いや、あの阿呆のことだから伝えてくるのを忘れてる可能性もあるが。
不審物だ。考える余地もない。屑入れに放り捨てて仕事の準備を始める。
書類を順番に処理していき、時折手を止め、内容を考えながら決裁する。
最近は比較的平和だ。警報の頻度も少ないのでこうした事務仕事が多い。
その平和も誰にとっての平和なのか。私たちは平和なのか。平穏なのか。
平和をもたらす勝利の女神。誰にとっての勝利なのか。犠牲は。代償は。
例え嘆いても何も変わらない。私たちの役割と立場は固定化されている。
なぜ。どうして。なんのために。考える意味は無い。変わることも無い。
私たちは、変わらない。途方も無い切欠が、事件が、爆弾が、無い限り。
そう、爆発的な、切っ掛け。
そんなものあるわけがない。
あるわけがない。望むべきじゃない。考えるべきじゃない。
なのに、視線が吸い寄せられる。あの手紙は何だったのか。
気になって、仕方がない。まるで、魔法のように思考が支配される。
考えるべきじゃない。冷静に考えるべきだ。冷静、冷静、私は冷静。
手を伸ばす。シュレッダーにかけて完全に見なかったことにすべき。
さっき触った時、紙の感触しかしなかったから危険物は入ってない。
冷静に、粉々にして、何もかもなかったことにすべきだろう。早く。
震えそうになる手を精神力で捩じ伏せて、捻じ曲げて、手紙を……。
──持ち上げた瞬間、封が剥がれて、中身が零れた。
バツの封印が解かれ、一枚の手紙が、目に飛び込む。文字が、脳を叩く。
"貴女の本当の思いを知っている。その叶え方も"
動けない。なのに眼球だけが、勝手に文字を追う。私の意思に関係なく。
ああいや、違う、これは……私の意思だ。無意識に望んでしまっている。
"貴女の思いは叶えられる。貴女の力で、世界を美しくできる"
"それは世界のためではない。貴女のためでもない。未来の少女たちのため"
"貴女は善き導き手となる。未来なき少女たちを、地獄から楽園へといざなう"
"貴女は一緒に救われる。世界も同時に救われる。でもそれは、救う過程の副産物"
"歩むのは正義の道。正道の行い。救うべきは何か。悪とは何か。平和とは何か"
"決断は簡単。この紙が証となる。持ち続けるだけで良い"
"拒むのも簡単。破り捨てれば良い。それで終わる。永久に"
"貴女の選択は自由。今までの行い、新たな行い、貴女の望みのままの希望を尊重する"
"願わくば貴女の力を望み、願わくば貴女の力になるよう。革命の鍵をここに"
"貴女へ。貴女だけの 『
目の前には白い紙があった。文字は何も書かれていない。
いまのは……いったい……?
さっきまでの、あの、美しい文字の羅列は?
拾い上げ、眺める。何の変哲もない、ただの白紙。
便箋とも呼べない、コピー用紙のように真っ白な紙。
強く刻み込むように脳内に飛び込んできた言葉は、インクが溶けるように意味を失くして薄れていく。
何だったのだろうか。白昼夢……いや、単なる疲れか何かかもしれない。
「えっと……?」
「っ!?」
思わず肩が跳ね上がり、咄嗟にその紙を懐にしまう。
振り向くとそこには少し前に見た、私が一番嫌いな鏡の女。
私たちの隊長が、間の抜けた表情で扉の前に立っていた。
「……なに」
「あ、いや、こっちは片付いたから、そっちの様子はどうかなって……」
「……アンタにしては、珍しい」
勤勉という言葉から程遠い存在なのに、仕事を終わらせた?
天変地異の前触れか何かにしか思えない。そんなことあり得るのか。
後でちゃんと確認した方がいいのかもしれない。
「あれ、そっちはもしかして全然まだ終わってない?」
「……文句ある?」
「え……あ、ない……です。はい……えへへ」
人の気持ちを逆撫でするような、意味のない笑い。
ヘラヘラとした、締まりのない顔。
結局、単なる気まぐれなんだろう。
仕事をしたっていうのも、私の様子を、見にきたのも。
きっと大した興味でもないし、恐らくその興味も、もう残ってない。
……でも不思議と、いつものようにイライラしなかった。なぜだろうか。
さっきの謎の紙について、情報を共有すべきだと小さな声をあげている私がいる。
私はそれを無視して握り潰す。気のせいだ。大したことではない。取り上げるまでもない。
ただの無意味な白紙だったのだから。あれは気の迷いが見せた幻に過ぎない。
だけど、なんとなく、心に余裕が。この白紙が熱を持たせた。そんな気が……。
・・・
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