安らぐ救い
目に留まったはずなのに、よくわからなかった。
少女は壁にぶつかるようにしながら、フラフラと私が来た道へと進んで行く。
貧相で、痩せて、青白い肌をした、存在感のない、自然すぎて不自然な気配。
そこにあるのが当然のような、いるのかいないのかわからないけど、いてもおかしくない雰囲気の、希薄で透き通った存在。
それはどことなく、あの、抜け殻になった彼女に似ているような気がした。
一瞬、違和感を感じることができなくて無視するように通り過ぎてしまったけど……急に気になり始めたので、引き返す。
兄の病室が近づくにつれて、嫌な予感がどんどん膨らんでいく。
いったい何が……何だっていうの。
そしてそこには。
眠っている兄の横でゆらりと。
不思議な少女が、不思議そうな顔で首を傾げていた。
「っ、あなただれ……!?」
「?」
「部外者は、出てってよ……!」
「……?」
思わず言葉が荒々しくなってしまう。でも、だって仕方ない。
いくらなんでも怪しすぎる。何をするつもりかもわからない。
それは、私だけの大切なものなんだから近づかないでほしい。
彼に手を出すつもりなら……私は弱いけど、絶対に許さない。
「……聞いてるの!?」
「えっと……」
「このっ……!」
なに。なんなの。この女の子は。
目の前にいるのに、魔法少女だってこと以外、なんにもわからない。
敵か味方か、部隊の魔法少女か、殉教者の残党か……何の判別もつかない。
ただ、当たり前のようにいる。
それを受け入れそうになっている、自分が恐ろしい。
この子は、いったい……何?
「……迷っちゃった」
「──……は?」
いや、ただの迷子?なわけないでしょ。
というか……そもそもどこから入ってきたの?
「でも……うーん……」
「……出ていくなら、案内するから」
私の顔をチラチラ窺いながら、迷うように視線を動かしている。
はっきり言って完全に挙動不審なのに、疑問に思うように思い続けていないと……それが消えそうになる。
この子は危険じゃ……ないのだろうか。危ない感じはしないけど、それすら罠かもしれない。
さりげなく、少女と彼との間を塞ぐように、立ち位置を変えながら少女を出口へと促す。
「力が、まだ足りないのかな……出直した方がいいのかも……?」
「……何を言ってるのかわかんないけど、ほら、出口はあっちだから」
「でも……、」
ブツブツ呟く少女の手を、無理やり引く。
ほとんど手ごたえもなく、たたらを踏むようにこっちへ踏み出し、ゆらりと。
直接触れているはず、なのに……存在感が無い。
まるでどんどんと幻になるように、視界の中から気配が薄らぐ……。
「とりあえず……、今のだけでも、助けなきゃ」
「……たす?……なに?」
「『
「え?」
それは……あまりにも唐突すぎて、わけがわからなかった。
ぴちゃりと、赤いものが降りかかる。え、何、これ。なんなの。
部屋中を赤く覆う少女の血……それが、蒸発するように不思議な光の粒に変わっていく。
それは惨い光景であるはずなのに、どことなく幻想的な光景のように、何かの宗教画のようにも見えて。
「っ、『
思わず、反射的に魔法をかける。
意識のある相手にはあまり効果的とは言えないけど、それでも回復する可能性があるなら命を繋ぎ止めるくらいできる。
でもダメだ、この子は死んでしまう。
何もかも足りない、これまでの経験と同じ、確信的な失敗の感触。
わかってる。意味がわからないけど、これが単なる自爆なわけがない。
この子の魔法は何らかの効果をもたらした。
まとまりの無い思考が絡まるように錯綜していく。いったい何がしたかったんだ。
なんの魔法だ。なんの目的が、なんの効果が、なんで死にかけたんだ。
……?
……使ったら死にかける?
それって……?
「あ……」
少女が倒れた。握っていた手は……身体から離れた。
そう。物理的に、千切れるように、その腕が砕けた。
それは幻想的に煌めく、砂でできた人形のように。あまりにも呆気なく。
不思議そうな表情で私を見ていた少女は、最後に彼の方に視線を移して。
そして小さく頷き、薄く、人間味のない微笑みを浮かべながら……。
……そのまま空気に溶けるように、光の粒となってどこかへ消えてしまった。
何もわからないまま、凍り付いた空白の心のまま、辺りを見回して、見てしまう。
愕然とした。
何が起こったのか、彼を見て、理解してしまった。
「そん……な」
彼が、何もかもが元通りになっていた。文字通り、前までのように。
彼が……救われてしまったんだ。……何から?
残酷な現実から。最悪な私から。
どろどろと、よくわからないものが心から溢れてくる。
震える手で、無かったはずの、彼の両足に触れる。全て……綺麗に。
衝動的に、弾かれるように、この場から弾き出されるように病室を飛び出した。
他の傷病者を、確認する。
無傷。
健康。
正常。
傷病者は……いったいどこへ?
理解したくない光景。そんな、どういうこと……?
なに、なんなの……私じゃできない、あり得ない不可能。
だったらそんな……私って……いったいなんなの?
まるで何かから逃れるように、全力で駆け出した。
必死で、病棟の奥へ、最奥へ、息を切らしながら。
走り続けて……辿り着く。
そして扉を開け、
この場所で唯一、何も変わってない光景を見た。
扉に背を向けて、呆然と立ち尽くす。
そう、今、私はいつも通り、魔法をかけて、お世話した……?
そんなことする必要ないタイミングなのに。私は何を思ってたのだろう。
心の中で、何かがミシミシと揺らいで音を立てている。
私の中にたった一つだけ残されていた、命のチップ。
それがまだあることに、安堵し……そして落胆した。
それでも、砕けたそれに、縋りついてしまっている。
これは……私は……なんなんだ。本当になんなんだ。
考えてしまった。
真っ黒な欲望が、思いが、滲み出してしまった。
頬が生ぬるい。両手が、勝手に顔を覆う。
それは最悪の思い。最悪な考え。
心を埋め尽くして、何もかも嫌になる……最低最悪な、極悪。
ああ、彼はあのままで良かったのに。
だったら代わりに彼女が目覚めれば良かったのに。
「は……はは……」
砂のように乾いた笑いが、零れる。
ざらざらと乾いているのに、汚いもので濁って淀んでいる。
なんだ、これは、なんで、どうして。
なに、なんなの、なんだっていうの。
どろどろな私の思いは、きっと、どうしたって叶わない。
「ひっ……あ、」
呼吸が、乱れる。ああ、苦しい……過呼吸になってる。
意識が、遠のいてしまう。
早く、落ち着かせなきゃ。ここで、私が倒れるわけにはいかない。
ここには、私が必要だから、もとめられてるから、絶対に、私は、
私がいないと、私が、私が……、
……、……少しくらい倒れても、いいのでは?
今、プツリと、何かが切れた。
そうだよ。だって見たでしょう。
今の私の仕事は、彼女の世話以外に、何も無いじゃないか。
私は、何もする必要がない。
そう。今だけかもしれないけど……今は、忙しくなんかないんだ。
視界が白く塗り潰されていく。チカチカと、狂ったような光を放つ。
壁にもたれて、そのまま心を手放すように……何も考えずに安息の中へと。
そう。救われたんだ。最悪な私と規格外の彼女を除いて。
喜ぼうよ。
私なんかがいなくても、それ以外のみんなが助かってたんだ。
喜んで、つかの間の休息を、甘受しようよ。
そう。大丈夫だよ。大丈夫。
だから今だけは……眠ってしまおうよ。
眠って、元気になって……元気になった彼を見送ろう。
そして私はまた、彼女の世話をする。彼女を看取る、その日まで。
そう。それで……いいじゃない。
ほんと疲れた。きっと私は……疲れ過ぎちゃってたんだよ……。
だからもう、お休みなさい……最悪な私。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます