家族の鳥籠
あれから一週間。
兄が問題なく一日で快癒してしまって、空になった病室をチラリと見る。
次に来るのはいつくらいになるだろうか。
今はお互いの家が違うから、直接会えるのはほとんどがここの病棟となってしまう。
どうせきっと、また来るのだろう。あの人はそういう人だから。
そうなることを、怪我した兄を見るのを、決して楽しみにしてるわけではない。
だけど、通話などのネット上以外で声を、顔を見れるのはこの時ぐらいしかない。
まとまった休みを許されない私に、直接会いにいけるプライベートな時間なんか、無いから。
今だって、忙しい合間を縫って、ついさっきまで彼女の世話をしていた。いつも通り。
そう。それが私に課せられた役目だから。
……、……。
……あぁ、ほんと最悪だよ。
気づいたらまた、彼女のせいにしようとしてた。
彼女も大切なはずなのに。
もう助からないってわかってるから、ほんの少しずつ存在が小さくなっている気がする。
あんなにも大きかったのに。もう二度と帰ってこないと理解した時、あんなにも絶望したのに。
今日もまた、彼女の抜け殻を見て、触って、ほんの少しの期待と、失望を繰り返す。
その度に気持ちがだんだんと小さくなって、代わりに兄の存在が大きくなる。
そんな感覚、きっとまともじゃないはず。
本当に、最悪。
鬱屈としながらも、表向きはいつもどおり、部隊の事務室に向かう。
室内はなんだか慌ただしい様子で……これは、いつものやつかもしれない。
状況を把握するために事務員の女性に声をかける。
「……何かあった?」
「あ……受け入れ準備です。魔獣災害、20名来ます」
「結構、多いね……警報鳴ってないけど魔獣?」
「別地区です。第四部隊によって討伐されましたが、負傷した隊員以外にも運悪く被害者が」
今や交通事故より珍しい魔獣の被害。直接魔獣を見たことのない一般人だって、いると思う。
とはいえ……その被害者は決して少なくはないし、その被害の規模も大きくなりやすい。
きっと明日には忘れ去られるのだろうけど……これもそこそこの全国ニュースになるだろう。
この部隊は普通の患者も治療対象としてるけど、それでも大半は魔獣による被害だ。
というかそれは、対魔獣組織なんだから当たり前といえば当たり前だけど。
色んな傷病者を見てるとその辺の感覚がちょっと曖昧になってしまう。
「緊急の魔法対象者は、5名」
「あれ、思ったより少ない?」
「一人は成人男性、自衛官。重症分類です」
心臓が、止まってしまうかと思うくらい、強く跳ねた。
いや……まって、落ち着け、そうと決まったわけじゃないでしょ。
そう。兄以外にもいるのだから、別地区だから、赤の他人の可能性の方が高いはず。
また、そんな風に、そんな風に、私は他人の悲劇を願ってしまっている。
最悪。最悪だ。最悪すぎる。わかってるよ。わかってる。
それに、だとしても、きっと大丈夫。
重篤までは行っていないから。
大丈夫、大丈夫だから。
「……、そ……う。わかった、早く準備しなくちゃ」
後の言葉は全部耳を滑った。そんなのどうでもいい。
なんてこと、言ってはいけないのは、私にだってわかってる。
魔法対象じゃない人も優先順位で後回しにされてるだけで、命に危険がないとは限らない。
それにどのみち全部魔法をかけるのだから。そうしないと助からない人がいたら、困るから。
私は私に課せられている以上の仕事をする。
言われずとも、それが私に求められていることだから。
だから早く切り替えないと。落ち着かないと。
私は、誰よりも私の仕事をしないと。
でも、だけど、どうか……最悪の結果じゃなければ……。
そうして結局、私の目の前には兄がいる。なんとか、生きている。
──最悪。
命に別状は無かった。そしてそれはこれからも。状態は安定している。
──最悪だ。
運ばれたときは結構ひどかった。でも、命のギャンブルというほどではなかったけど。
──最悪すぎる。
あぁ、でもどうして……こんな考えが。私ってこんなにも、最悪だったんだ。
安堵。そして、あまりにも最低で最悪な……ヨロコビ。
兄には両足が無かった。どこにも無い。
私の魔法では、もう二度と取り返しがつかない。
こんな障害では仕事は続けられない。もう人を助けることもできない。
朦朧としている意識も、直に戻る。その時の絶望はどれほどのものか。
悲しむだろう。悔しがるだろう。兄の努力は今、何もかも消え去った。
治せなかった私のことを、兄は嫌うかもしれない。怒るかもしれない。
でも、それでいいんだ。いいじゃないか。
もう二度とこの人は危険にならないから。
ああ、この場に私以外がいなくてよかった。こんな最悪な顔、誰にも見せられない。
他人の悲劇をあんなにも願ってたのに、今は大切な人の悲劇を喜んでしまっている。
こんなのって……救いようがないくらい最悪じゃんか。
でも、それでも……。喜びを隠しきれない。
やった……。本当に……よかった。やった。
この人の命のチップが今、私の手の中に入った。少しひび割れてて、でも壊れてはいない。
もう二度と、壊れないように、絶対に無くならないように大切に仕舞っておかないと、ね。
心臓が、はしゃいでしまっている。気分が高揚している。
ほんと、最悪な人間だ。とんだ極悪人だよ。でもいいよ。
それが私なんだから、別にそれでいいじゃないか。ふふ。
とりあえず仕事辞めて隊舎を出たら、この人も住むところに困るよね。
それじゃあ私の家に引き取るしかないのかな。まぁでも仕方ないよね。
そしたら遠い昔みたいに、一緒に住める。もうずっと、離れ離れにはならない。
今は忙しくて帰れてないけど……家に帰れば兄がおかえりと言ってくれるんだ。
そんな嬉しいことが待っているんだ。だったら忙しくても帰らないといけない。
でも、本当に言ってくれるかな。嫌われるかもしれないし、口を聞いてくれるかな。
でも、でも、嫌でも私と、どんな風に思っててもずっと一緒に暮らすしかないから。
一緒にいれるなら、きっとなんとでもなるよね。また少しずつ好きになって貰えばいいんだから。
歩けない兄を、私がお世話するんだ。ふふ、何から何までとは言えないけど、私を頼るしかない。
そうだよ、私がお世話をしないといけないんだから、やっぱり、毎日帰れるように頑張らないと。
もし……両腕もなくなれば本当の全部のお世話ができるけど、やめた方がいい……よね。
でも、彼女の抜け殻のお世話する経験が、こんな風に役に立つなんて。感謝しなくちゃ。
彼女はもう二度と笑ったり怒ったりもしないけど、彼は何かきっと反応を返してくれる。
費やせば費やしただけ、返ってくるんだ。無意味じゃない、意思のこもった反応が。
たとえネガティブな否定的なものでも、その全てが、想像するだけでワクワクする。
怒って、嫌って、恨んで、悔しんで、死にたいとも思うかもしれない。でも絶対に死なせてあげない。
少しずつ死ぬ意味を奪って死ぬ手段も取り上げて、それからずっとずっと私の手の中で生きてもらう。
そして少しずつ、少しずつ、それを幸せに思ってもらえるように。幸せな箱庭で、一緒に過ごすんだ。
ああ。それは、それは、すごく楽しい。
そう。明るい未来って、きっとこんな。
──ガンッ、と頭を壁に打ち付ける。
振りかぶり、強く、もう一度。
……おい、何を考えている。落ち着け、冷静になれ。
どうしたんだ私。狂っちゃダメだろ。
私は正常じゃなきゃいけない。誰よりもここで、必要とされているのだから。
いつだって万全じゃなければ駄目なんだ。気を付けろ。いつも通りちゃんと抑えるんだ。
鋭い痛みとともに、額を血が伝う。酷く呼吸が乱れている。
「……『
鈍くなった痛みが、じわじわと癒される感触。
でもまだ何か、色々と足りないような感覚。
ああもう、ほんとダメ。最悪。
疲れてるのかな……いくらなんでも流石にちゃんと休んだ方がいいのかもしれない。
といっても、彼女の世話が一日3回あるからそんながっつりは休めないんだけど。
そんなことを考えながら、変わり果てた姿で安定した、彼を眺める。
そう……さっきの思いは偽りではない本当の気持ち。それはわかっている。
でも目覚めた時、私はどう声をかけるべきなんだろうか。
また色んな想像して口角が上がり掛けたので、自分で自分の顔をビンタする。だから落ち着けって。
ひとまず、ここでやることは終わったのだから、次へ行かないと。
私の助けを待ってる人はたくさんいる。
その全部終わらせることができてから、その後のことを考えればいい。
病室を出て、廊下を歩く。近くて遠く、喧騒が聞こえる。
まるで世界に取り残されたかのような仮初の静寂を抜け出すように、その音へと足早に歩く。
その、途中。
不思議な少女とすれ違う。
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