頂点の魔法
その魔法はあまりにも規格外だった。
あらゆる命令を、現実に執り行う。事象の全てが、彼女の武器。
11年前、この国に初めての第八等級魔獣が現れた。
なんて……そんな簡単な言葉では表せないくらい、この世の絶望を煮詰めたかのような最悪な状況だったそうだ。
人類に甚大な被害をもたらした始まりの魔獣ですら、第七等級だったと今は言われているのに、それをも上回る強靭さと凶悪さ。
そんな絶望の化身が海から現れ、ゆっくりと、この国に上陸した。
まるでこの国を真っ二つにするかのように縦断し始めた魔獣は"始まり"以来の多大な被害をもたらし、それを押し留めるために組織が総力戦を仕掛けようと……その時のことだった。
当時7歳の彼女がどこからともなく現れて、
──『
たったの一言で、その最悪の魔獣を瞬殺した。
そのとき私は6歳だったけど、とてつもなく大きなニュースになったから私も覚えている。
組織が認知していなかった在野に、組織の誰よりも、いや、世界の誰よりも強い魔法少女がいたのだから。
世界を瞬く間に巡ったそのニュースには一切の誇張も誤魔化しもなかった。
組織は面子よりも、あまりにも大きすぎる実利を取ったということだろう。
どういった経緯を経たかはわからないけど、その少女は組織に属すことになる。
人類の希望の象徴として。
彼女がいれば、ついに、人類は魔獣に打ち勝てるのだと。
そんな、夢のような熱狂とともに。
なんの躊躇もなく、こんな小さな子供の両肩に、世界の全てがのしかかった。
その末路が、これ。
見るも無惨に押し潰されてしまった、英雄という名の、犠牲者の姿。
今も隠され続けている……私たちの大きな罪。
──唐突に目が開いた。パチクリ、と。
思わず、固まってしまう。
奇しくも拭身のために、彼女の服をはだけさせている状態で。
しかもその身体を起こそうと、気を付けて慎重に、その晒け出された白い肌に手を伸ばしてる途中で。
あ、いや……違うんですよ?
そう。私は医療行為出来ないから呼吸器とかには迂闊に触れないし?
やれることって魔法をかけたら着替えさせることとか身体を拭くこととかくらいしかできないし?
えっと、あの、流石にこれは不可抗力なので……?
……。
……、……あぁ。でもいつものこと。
……どうせ意識なんか無いのだから言い訳する意味なんて、
「……ぅん?」
「あ……」
……?
え、もしかして……意識が、ある?
「……」
「……えっと」
「……、こ……、れ……?」
「……あの」
「ボク、に……、セクハ……ラ……?」
「……」
「……」
「ちがいます……けど」
「冗……談だ、よ」
弱々しくも、冗談混じりに自分の身体を庇おうとする仕草を見せる。
その様子は意外にも元気そうで、呼吸器越しの声にも少しだけ余裕を感じさせる。
嘘みたい……嘘みたいだ。本当に、目覚めた。
「……、『
「……うん。……ありがとう」
こんなの、焼石に水の回復。大した効力はない。
この人の症状は回復不可能なところまできていたのだから。
それでも、本人も身体に魔力を回し始めて、息くらいはまともに出来るようになったようで。
自分から呼吸器も外して、澱みなく言葉を話せるようになった。
それを勝手に外して大丈夫かはわからないけど、見た目は普通そうにはしている。
服を整えながらも、さっきまでのほとんど生気を感じさせなかった表情が嘘のように、かつてのように不敵に口角を上げて。
まるで、自分死に掛けてなんかないですよ、冗談ですよ、とでも言いたげに、薄く笑っている。
いや、ドヤ顔してますけど、あなたまだチューブもコードもついてますよ。
「さって……ひとまずは状況を確認しないとね」
「はい」
「今回のボクは何日くらい寝てた?」
「一年半です」
「……」
「……」
「……ごめん、よく聞こえなかった。もう一回」
「一年半。つまり18ヶ月になりますね」
「……」
「正確には550日」
「……冗談?」
「マジです」
そう……この人は遷延性意識障害、いわゆる植物状態だったのだ。
それは私の魔法がほとんど効かない、つまり、回復の見込みなんか全くと言っていいほどの状態。
そんな状態になっててなお、組織は、国は、彼女を手放す決断ができなかったのだから。
ほんと、最悪なこと……なんだけど……。
目を覚ましたのは奇跡に近い。というより奇跡そのもの。正直まだ、信じられない。
でも、今こうして、目の前に意識のある彼女がいる。嘘みたいな、あり得ない光景。
本当に、本当に……。
お偉いさんの判断は……今回ばっかりは珍しく、正しかったのかもしれない……。
「あー……いや、なんか大袈裟なことになってるし流石に今回は拙い感触がしたから嫌な気がしてたけど、うぁー……寝過ぎたな」
「……後遺症などは、無いですか? どこか痛むところは? 記憶などは?」
「多分大丈夫だ。魔力様様かな。倒れたのは"七星"を片づけて、内々の処理をしたあと……で合ってる?」
「大丈夫です」
「ボクのいない間、組織はどういう運用をさ、ッ、」
息が詰まったのか、重たい咳を何度も繰り返す。
喘鳴混じりの荒い呼吸を、必死に落ち着けようとするその姿。
こんなの、決してまともな状態とはいえない……けど。
チラリと、つながったままのベッドサイドモニターの、バイタルサインを見る。
素人目にも健康的な数値ではなさそうなものの……思った以上に安定しているようには見える。
少なくとも、以前から秘密裡に入院を繰り返してた時と、そこまで変わらない。
……これは、小康状態と見て、いいのだろうか。
「……ああ、オーケー。大丈夫だ。で、どうなってた?」
「第一部隊に関しては『模倣』さんが総隊長の影武者をやってますね」
「なるほどなぁ。うーん、しかし……一年半は長すぎだ。周りに勘繰られては?」
「ボロは出していないものの世間的にあまり良い状況とは……実務は副隊長の『阻害』さんが」
「ふぅむ……。……っけほ」
そうして、そのまま考え込んでしまった。無言のまま、小さな指がくるくる回る。
十年以上もずっと魔法少女の頂点だった人だ。考えるべきことはたくさんあるのだろう。
例え、倒れても、死にかけても、目の前にはやるべきことだらけの問題の山。
どれだけ強くても、凄くても、その身体は一つしかないのに。
一人でほとんどのことができるからこそ、数少ないできないことが重くのしかかる。
どう考えてもキャパオーバーで、だけど規格外すぎて手助けできる人は誰もいない。
いつまで経っても、自分の代わりは生まれない。いつまで経っても、世界は自分頼りのまま。
そんなの、いやに……投げ出したりしたく、ならないのかな。
……そんなことを微塵も感じさせずに、彼女は今も不敵な表情を見せている。
「まあ、ところでさ。至極どうでもいいことなんだけど」
「はい」
「あれから一年半経ったってことは、ボクは18歳というわけだろ」
「はい……?」
「正直、18で魔法少女ってさ……少女というにはちょっとキツい気がするよな……」
「それは17の私にも刺さるんでやめてもらえますか……?」
「……冗談だよ。だいたい、倍の年齢で堂々と少女を名乗ってる奴もいたし」
「それもコメントしづらいのでやめてください」
「あー、というかさ、18ということはついにボクも……合法なロリってやつでは?」
「いったいなにいってるんですか……」
「つまり合法的に君のお兄さんと」
「は?」
「なんでもないです。うん。……、いやそういうキャラだっけ、君……?」
「……」
「あ、そうそう。気づいた時に割とショックだったんだけどさ」
「はい」
「……、この年になって……オムツを穿く羽目になってるとは正直思ってもみなかったよね……」
「まあ仕方ないですよそれは。まだ替えてないので替えましょうか?」
「え、いや、いやいや! というかもうこれいらないよ!? ボクの尊厳をなんだと!?」
「これまで散々私の手で替えてきたので、今更ですよね」
「え?」
「はい」
「……え? 他の看護師さんとかじゃなくて、え? 君が?」
「はい。そもそも関係者が限定されてるので私が、この手で。あと身体も隅から隅まで拭いて綺麗にしてます。全部見てます」
「えぇ……」
「はい」
「……あぁそっか……そーなのかぁ……今更かぁ……はは……」
「そうですね。今更です。受け入れてください」
「ふふふ……実はまだ夢だったり」
「しないです」
なんて。
そんな中身のない冗談をダラダラと言い合いながらも、その指先はくるくる回っている。
そう。これは考え事をしている時の、彼女の癖。
こうしてる時は話している最中も思考が止まっていることはない。
魔法の治癒効果か、魔力が馴染んできたのか、最初よりも元気になった様子で。
時折、咳を堪えるようにしながらも楽しそうに雑談を続け、くるくると。
そして、その動きがピタリと止まった。
「……うん。ともあれ情報だな。端末を用意して欲しい」
「はい」
組織用の端末と、他にも多分、世間の情報収集とかもしたいだろう。それ用の端末も必要そう。
ノートパソコンとかよりはタブレットのが良さそうかな。確認せずともこの辺りは以心伝心だったりする。
この人は昔っから『療養』対象だったからその度によく頼まれごとをされてたので慣れてるし、お安い御用だ。
実際のところそんなことを気安く繰り返してて、恐縮ながら私とこの人は友人関係であるともいえるし。
まだ4年しか……実質的には2年ちょっとしか付き合いはないけど、それにめちゃくちゃ雲の上の人だけど、心から気の合う、大切な友人。
いや正直、私だって友人の身体を隅々まで拭いたりオムツを替えたりするのを一年以上も続けることになるなんて、思ってもみなかったけどね……。
……うん、でもまぁ。
大きすぎる存在の彼女が起きたことで、状況は大きく動くだろうけど。
たくさんの嫌なことも、また彼女に降りかかるのだろうけど。
そう。でも、それでも……目覚めてくれて良かった。
私はようやく、大切な人の命の賭けに、勝てたのかもしれない。本当に、良かった。
こんなふうに人の苦難を自分勝手に喜んでしまうだなんて……やっぱり最悪、かな?
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