無意味な心



 どれくらいの時間が経ったのだろうか。気づいたら仕事は片付いていた。

 私には疲労感というものが無いので、どうにも時間感覚が薄い。

 その気になれば何日だって問題なく続けて作業できてしまう。

 なので大抵の場合、仕事が終わるのは仕事が無くなった時だ。


 ……たまに様子を見にきた他の隊員に無理やり休憩を取らされることもあるのだが。

 不要だと言っているのに、ただの時間と資源の無駄遣いではないか。

 でも断ると居座られるのでいつも困ってしまう。


 そもそも休憩という意味で言えば、私にとっては食事と睡眠の真似事がそれにあたるだろう。

 これこそ時間と資源の無駄遣いだし仕事していたら度々忘れてしまう程度のものだが、日常のルーティーンとして欠かすことは出来ればしたくない。


 隊長室に窓はないので廊下に出て窓から外を見てみると、ぼんやりと薄暗かった。

 かなり手間取った気がしたが、時間をそこまで使ってなかったようだ。誰も邪魔しに来なかったわけだな。

 少し早めの夕食としようと考えて、妙に静かな廊下を歩き、食堂に向かう。




「おはよう、まだ仕込み中だよ。流石に早起きが過ぎるねぇ」


 ……日の入りではなく日の出の時間だったらしい。

 どうやら知らない間に一夜を明かしていたみたいだ。


「……目が覚めたから。早く来すぎた。出直す」


 また徹夜したと思われると小言を言われて面倒なので、適当な言い訳をして退散する。

 私よりもずっとずっと弱い癖に、心配性なのだ。このお婆さんは。


 第一、私に健康不良という概念は存在しない。傷も病も、私を蝕めない。

 たとえ、どんなことがあったって私は死なないというのに。


 睡眠、栄養、空気が無くても問題ない。

 毒、病原菌、負傷、魔法、どんなものも私を殺せない。

 殴られても、潰されても、千切れても、焼かれても、溺れても、死にはしない。

 すべては巻き戻るように『再生』する。無事に、無傷で復帰できる。


 損耗の無い人的資源。消耗の無い戦術兵器。他の人とは何もかも違う。

 私に心配など意味が無い。人の心配をするより自分の心配をするべきだ。

 大体、健康に気を遣うべきはお婆さんの方だろう。

 私と違って、失われてしまうのだから。


「無事でよかったよ。昨日顔を見せなかったから気になっていたんだ」

「?」


 そもそも顔なら前日の朝見せたはずだが……ボケたのか?

 ……いや流石に失礼か。単に勘違いだろう。

 全員が全員ではないが、食堂は他の魔法少女の隊員や一般事務員なども利用する。

 それなりの人数が出入りするから、いちいち覚えていられないだろうしな。


「1時間したらまたおいで。美味い飯を用意しとく」

「……また来る」



 隊の事務室に向かい仕事をいくつか引き取って時間を潰すことにしよう。

 流石に日が出てきたばかりの時間では誰もいないだろうが。


 そして案の定、事務室には書類が溜まっていた。

 一部だけは綺麗に片付けられているが、大多数は散らかっている。

 私が定期的に引き取りに来ているが、前回よりも増えた気がするな。

 本来、隊長の仕事にそこまで事務系の仕事はないのだが、この隊の最高責任者は私だ。

 ここに私が見ていけない書類など存在しないのだから、こうして勝手に回収しても問題は無い。

 適当な事務机に座り、雑然と並んでいる未処理書類を順番に眺めていく。


 魔獣情報、魔法情報、備品情報、隊員情報、日報週報その他諸々。

 決裁待ちのものの中から隊長決裁で処理が終わるものを順番に消化する。

 保管期限付きで書庫に保管するもの、複写して本部に送るものを振り分けて処理箱に突っ込む。

 地味な書類仕事はとにかく人気が無く、ちょっとした報告書を書くことすら嫌がる隊員もいる。

 だがこうした裏方の仕事量を知ればそんな苦労、瑣末なことだ。

 縁の下で働く人たちのおかげで部隊は戦いに集中できるのだから、それを忘れてはならない。



「え、隊長さん? どうして……?」


 適当に作業を続けて、小一時間が経ったころ。

 まだかなり早い時間ながら事務員が出勤してきた。

 私と同年代の、アラフォー女。事務歴が20年近いベテランだ。

 当然、顔見知りであり顔を合わせれば雑談くらい交わす関係ではある。

 のだが。


「早起きして暇だった。もう出ていく」

「あぁ……そうなの。私も昨日やり残したことあって早起きしたんだけど……」


 ……気のせいかも知れないが、なにやら挙動が不審な気がする。

 あからさまに見ているわけではないものの、先ほどから奥に片付けられている書類の方を気にしている。


 この部隊で、最高責任者たる私の管轄下に無いものは無い。

 とはいえ全てを管理するつもりなど毛頭無く、軽い誤魔化しやサボりぐらいは黙認してもいいと考えている。

 組織は成果至上主義だ。結果さえ完全にフォローされれば問題ないのだから。

 それに、人間誰しも少しくらい楽をしたいという気持ちはあって然るべきだろう。


 だが、

 長く働いている割に誤魔化し方が下手だ。

 黙って立ち上がり、書類を覗きに行く。


「え……、あ、」


 私に見られて困るもの、ともなれば選択肢は限られる。

 査問による戒告程度に留まる範囲で、済む問題だったら良いのだが……。



 ……。




 ……。





 あったのは、何の変哲も無い魔獣情報。

 それに関連する討伐記録。

 記述は正常であり、嘘も誤魔化しも感じ取れない綺麗な書類。

 不正などどこにも無い、決裁待ちの正式な書類。



 




「……急ぎ確認することができた。後ほど話を聞く」

「あ……」




 事務室を出て、書庫へと向かう。

 記録には保管期限があるので、少なくとも五年分は遡れるはずだ。

 今までは興味も関心もなかったので見返すことは無かったし、事務員たちが優秀なので監査的な意味でも監督する必要は無かった。


 だが、もしかしたら、私はとんでもない愚鈍だったのかもしれない。


 新しいものから一つ一つ見ていく。すぐわかる範囲だけでも数件。

 いつからだ。一年くらい前からか?


 これは、意図されたものであったとしても査問にかけるのは難しい。

 証明できないからいくらでも言い逃れできるし、そもそもやる利点がない。

 単に私が間抜けだったというだけの話に終わる。


 ……全部を見る必要は無いだろう。

 食堂へと向かう。そろそろ来るか、すでに来ているはずだ。





「あれ、隊長珍しい。二度寝でもした?」

「話がある」



 決裁は隊長代理で行われていた。

 副隊長たる彼女が始めたことと見て、まず間違いない。






「何故、私が知らない出撃記録がある」






 ほんの一瞬、虚を衝かれたような表情をする。

 やはり主犯か。いったい何故。



「……何の話?」

「事務室に書類があった」

「ああもう……凡ミスじゃん。おばちゃんたち何やってんの」

「何故、こんなことを。何の意味が」

「いや……あのさぁ、前々から思ってたけど隊長って結構バカだよね」

「……何の話」


 呆れ果てたような顔。

 なんだ。私はまた何か見逃しているのか。


「考え無し。度が過ぎてる。どっちの意味でも全力でバカだよ。私たちの気持ちも考えないで」

「だから、何の話だ」

「いつもやりすぎなんだよってこと。大体さ、」



 ……曰く。

 私の戦い方が気に食わない。

 模擬戦の時はともかく、実戦だと目も当てられない。

 毎回毎回、真っ先に突っ込んで、真っ先に傷ついて。

 何度も何度も他の人の代わりに死ぬ思いをしている。

 そんな戦い方をさせたくない。


 でも言っても聞かない。改善されない。

 だから隊長の負担にならないようにみんな鍛え始めた。

 少しでも早く魔獣を倒すために。少しでも傷を減らせるように。

 そんな時、たまたま隊長室の警報器の故障を事務側で検知した。

 故意か偶然か、わからない。しかしともかくとして、その故障を放置することに決めた。

 せめて、隊長が思い出の隊長室に篭っている間くらいは、戦いから遠ざけようと、全会一致で。

 今の部隊は強い。隊長がいなくても戦うことはできるのだから。

 いつバレてもおかしくはないけど、それまでは。




 ……。




「わけがわからない」


「何で、わからないんだよバカ」

「利点が無い」

「そういう問題じゃ」

「意味が無い」

「みんな心配を」

「必要が無い」



「……だからッ!!」



 突然の激昂。胸ぐらを掴まれ、触れ合いそうな程に顔を近づけられる。

 何が起こっているのか、よくわからない。



「見てられないんだよ痛々しいッ……!! 命を、もっと自分を大事にしろッ!!!」



 一瞬、彼女に別の顔が重なった。

 ああ、なんだ……そういうことか。



「そうか」

「そうだよ! わかったか!!」







「──ああ、実に、くだらない」



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