汚れた救い
何が起こった。私の目の前の光景は何だ。無事に終わりかけていた戦闘だったはずだ。
弱って倒れ伏していた最後の魔獣が突然、光ったと同時に動き出した。
刺々しい触手で近づいていった隊員ごと、離れていた隊長を一瞬で貫いて。
まるで、ゴミのように。
そのままその触手を大きく振るって、二人を宙に高く放り投げた。
ズタズタになって回転する彼女たちを、私は汚染された魔力触手で咄嗟に受け止めようとして。
思わず、無意識に、触れることを躊躇ってしまい、手が止まり、
それは致命的な音を立てて地面に堕ちた。
「あ……」
広がる血溜まり。動き出す魔獣。
私は、動けなかった。動かなければならないのに。
隊長の代わりに。この場の最高責任者として。動かなければ。早く、動け。
震える手で、端末を取り出して、救援要請を出す。それから、隊長に代わって、状況判断を、
隊長の代わりに、代わり、に……?
「ぁあ」
隊長が、あの人がいなくなったら。私はどうすればいい。
あの人のおかげで、私は化け物から、魔法少女になれたのに。
それが今の私は何だ。
無差別に穢れを撒き散らすしかない、ただの災厄。
魔獣なんかよりもよっぽど酷い怪物。醜い悪魔。
そう言われていたあの頃のように。戻ってしまったのか。
今の、私は、私は……、
「しっかりしろ副長ッ!!」
バシンと痛烈に頬を叩かれた。いたい。
目の前にいきなり現れたのは私の前に副隊長だった人。
痛覚で突然晴れた視界に戸惑いながらも、状況が少しずつ頭に染み込んでくる。
「……隊長たちは」
「隙を見て回収したいが、多分厳しい」
「……」
輝きながら立ち上がった大木は巨木となり、触手を振り回している。
作戦の要を失った隊員たちが、何とか応戦しているものの、おそらく長くは持たない。
彼女たちはいいところ、第四等級の魔法少女。対して復活した魔獣は明らかに第六等級以上。おそらく、第七等級に届いているかもしれない。
戦闘が成立しているかのように見えるのは、ひとえに彼女たちの戦いかたが上手いだけで。
はっきり言って、勝ち目なんか微塵も存在していない。
何が起こった。第七等級なんか、そんな頻繁に出てきていい等級ではない。
いや、それよりも。
そもそも魔獣が急激に強化されるようなケースは今まで確認されていない。
本当に何が、起こっている。
「副長、私たちは覚悟している。どうか決断を」
魔力弾で前衛を援護している元副隊長が、迷いのない声で決断を迫る。
やる……本当にやるのか。
現在の第九部隊の作戦は基本的に隊長の『浄化』に依存している。
そのため万が一、隊長を失った場合は全てを放棄して即時撤退するか無駄死に覚悟で救援を待って遅延戦闘を続けるかしか、最悪の状況での選択肢が存在しなかった。
だけど、今は私がいる。
部隊の損耗とその場の汚染を度外視すれば、状況を終結させることが、できてしまう。
作戦名、グラウンドゼロ。
決行条件は、通常作戦の続行が不可能であり、撤退による事後被害がその作戦に伴う影響より甚大であり、そして作戦決行による確実な終結可能性があること。
敵は強大だけれど、浄化の弱体化も、汚染のダメージも、残っている。強化されて底上げされただけで、回復はしておらず消耗はそのままだ。
私が決断してしまえば、私が無差別に全力を出してしまえば、勝ててしまう。
私は西側でたった二人しかいない第七等級魔法少女の一人。全てを穢す、化け物だから。
条件が揃ってしまっている。ずっと、机上だけで考えられていて、そんなことずっとなければいいと思っていたことが、いま目の前に差し迫っている。
前衛の子たちも、こちらを一瞬見て、頷いた。
私は、まだ決断できない。
戦線が崩れ始め、元副隊長が私の肩を軽く叩いて前衛に加わった。
私は、まだ決断が、できない。
隊長が。
血溜まりに沈んだままの隊長が、静かにこっちを見ていた。
まるで生気を感じられない穏やかな表情で、こちらを見て、全てを許すように深く、頷き、
──『
世界が、全て醜く穢れて染まる。
・・・
どうしてこうなったのだろう。
後に残されたのは、息づくもののいない不毛の大地。
ひとりぼっちになってしまった。
……状況を、まとめなければ。隊長の代わりに。たった一人の第九部隊の責任者として。状況を。
災厄級の魔獣はあっさりと、完全に穢れ死んだ。余波で周りを穢し尽くした代わりに。
私以外に、この汚れた地獄で動くものは何も存在しない。
フラフラと、隊長だったものに近づいていく。浄化の彼女は、見る影もなく、無惨にも汚れきっていて。
私の目から、汚いものが流れ始めていた。本当に汚らしい。全部私のせいなのに。
私がもっと魔法を制御できていれば。周りを汚すことなく、ただ敵だけを倒すことができたなら。
いや、そもそも最初から私一人だけで特攻していれば、何も問題なかったはずなんだ。
私は汚れてもいい。いくら傷ついてもいい。私は『汚染』の化け物なのだから。
いくらみんなが私を仲間として扱ってくれようと、一緒に戦うだなんてやっぱり無理だったんだ。
視界の端で、いつの間にか地面に落ちていた端末がチカチカと光っていた。
……本当に全く意味のない仮定だけど。あの時、この場にいたのが、私ではなくてあの第八隊長であれば。
こんなことにはなっていなかった。そうに違いない。
私が。私なんかが。
「ごめんなさい」
少女の声が聞こえた。
生きている人間など誰もいないはずの地獄の中で、声が。
「……、だれ……?」
「遅くなりました。助けに来ました」
……。
……何を。
何を助けるというのだろう。
今更、今更何ができるというんだ。
「……早く、消えてください。あなたが、汚れてしまう前に」
「大丈夫ですよ。全部、大丈夫です」
大丈夫……?
何が。
何を言っている。
冷静でいなければならないのに、頭に血が上ってしまって。
近寄ってきた少女の胸ぐらを思わず掴んでしまい、言ってしまった。
「何が大丈夫なものか……!」
「もう、大丈夫です」
「私のせいでみんな死んだんだ!! こんなのどうにも」
「『
視界が、赤く染まった。私が汚した世界が、赤く染め直された。
突然のことに固まってしまった私の腕の先で、少女が力無く項垂れた。
何が、起こった。この少女は何をした。
びちゃびちゃと血を零す少女を抱え、混乱した頭で状況を確認しようとして、気づいた。
汚染が、ほんの少しずつ薄れ始めている。
効力を失っていたはずの浄化が、再び始まっている。
これは隊長の、無意識の自動浄化だ。いや、そんなはずは、何が……?
周囲を伺い、目を疑った。
みんなの身体が、元通り綺麗になっている。何事もなかったかのように。
「え?」
何だ、どういうことだ。いまだに状況が飲み込めない。
魔獣は変わらず死んだままだ。
私たちだけが、助かっている……?助かって……?
あれ……?この腕のなかの、これは何だ?
「あっ……」
一気に頭が覚醒した。そうだ。この少女が何かした。何か、してくれた。
私たちを助けるといっていた。救援だったのか。おそらく第八、ではない。誰だ。
いやそんなことより死にかけているこの少女を何とか助け、
「ょ……かっ…………た……」
再び、私は固まってしまった。頭が理解を拒んだ。
腕の中の少女がいきなり崩れ始め、塩の塊のように、細かくボロボロと、
私は慌てて、掻き抱くように少女を助けようとして、
……最後には、風の中に少女は消えた。
私は動けなかった。……動かなかった。
私は心の底で思ってしまったんだ。最悪なことに。良かったって。
この少女がみんなの代わりになってくれて本当に良かったと。
気づいた瞬間、背筋が凍った。あまりにも最低すぎる。本当に穢らわしい。
だけど、これは心からの本心だった。自覚したら止まらなくなった。
あの少女への、汚れた感謝の気持ちが。本当に、本当に。
「あれ……?」
隊長が、目覚めた。格好だけがボロボロで、身体は傷一つなく。
「これはいったい……?」
「……、……奇跡が」
「……?」
「奇跡が起こったんです」
頭の回っていない隊長を抱き止めて、私は思う。
私は最低の、汚れた化け物。だから、あの少女を悼んだりはしない。
ただ、感謝を。神に祈るように、感謝を送ろう。
私たちを助けてくれて、本当にありがとう。
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