第23話 遠征前日 3
「俺は……」
ルチアは眉を寄せて険しい表情のノイアーを見た途端、その頬を両手で挟むと、勢い良く伸び上がるようにして顔を寄せた。
ゴツンという音がして、ルチアのおでこがノイアーの高い鼻にぶつかる。
「痛っ!」
いや、より痛いのはノイアーの方だろうが、おでこを押さえて崩れ落ちたのはルチアだった。
「大丈夫か!?」
「も……目測誤った」
涙になっておでこを擦るルチアを、ノイアーは心配そうに覗き込んだ。
「何がしたかったんだ」
「何って……。好きじゃないとか言われたくなかったんだもん。そんなの言われる前に、口を塞いじゃおうかと思って」
ルチアは、キスをして口を塞ごうとしたのだ。ただ、勢いが付き過ぎたのと、思ったよりもノイアーの顔の位置が高過ぎて、唇まで到達できずに鼻に頭突きをする形になってしまった。
「口を塞ぐ……」
鼻に衝撃を受けても顔色を変えなかったノイアーが、ルチアの言葉に表情を曇らせた。それを見て、ノイアーが勘違いしていることに気がついた。
「ノイアーが想像してるのと違うからね。攻撃を仕掛けたんじゃなくて、キスをしようとしたの!」
ルチアはヤケクソ気味に叫ぶ。これぐらいでそんなことする人だとは思わないけど、雷靂将軍と言われるノイアーに攻撃を仕掛けたとか思われて、斬り捨てられたら洒落にならない。
「キス……」
あ然としたノイアーの声に、ルチアは恥ずかしさで顔が熱くなる。
「もう、おしまい!」
部屋に戻ってしまおうとルチアは立ち上がったが、ノイアーに手を引かれてよろめいた。
「え?」
綺麗にノイアーの膝に座ったルチアは、何が起こったのか分からずに、間近でノイアーと見つめ合った。
「どうやら俺はルチアのことが好きなようだ」
「ようだって何よ!?」
ルチアの唇が不満気に尖る。
何故、断定じゃなくて推定なのか。確たる根拠がない曖昧な告白など、何の意味もないではないか。ノイアーの上に座っているという予想外の出来事に恥ずかしがることも忘れ、ルチアは不満を爆発させる。
「酷いわ。私は、ノイアーのことが好きだって、ビシッとはっきり言えるのに。どこが好きかって?美味しい物をいっぱい食べさせてくれるとことか、真夜中だから食べるなとか言わないとこととか。それに、こうやってお土産まで持って来てくれるでしょ」
「食べ物関連が多いな」
そう言われると確かに。
「ギャップ、そうギャップが素敵なの!強面なのに優しいでしょ、強面なのにたまに可愛いでしょ、あと強面なのに……」
「強面はマストなんだな」
ノイアーの唇の端が上がり、クツクツと笑い声をたてた。
「ほら、それ!いつも笑わないノイアーの、たまに見せてくれる色んな表情が好きよ。ふふ、笑顔は初めて見たけどね」
「そうか?」
「そうよ。苦笑だったり、微笑んでるくらいは見たことあったけど、声をたてての笑顔は初めてだわ」
「そう言えば、あまり笑った記憶はないな。いや、笑顔だけじゃなく、感情をあまり出さないように訓練しているせいだろう」
「そうなの?」
ノイアーいわく、ノイアーの実家のエムナール侯爵家は代々優秀な軍人を輩出してきた家門で、子供の時から軍人になる為の英才教育を受けるらしい。自ら剣を振るうことはもちろん、指揮官としての兵法などと共に、感情のコントロールの仕方も徹底的に仕込まれるらしい。
「じゃあ、ノイアーの表情筋が動かないのは、訓練の賜なんだ」
「いや、元から感情の起伏は少ない方だったな。笑わない子供だと、スーザンにもよく言われていた」
「スーザンって誰」
いきなり出てきた女性の名前に、ノイアーの過去の女かと思い、ルチアは不機嫌さを隠さずに聞く。
「侍女頭のスーザンだ。彼女は俺の乳母だったからな」
ふっくらとしていて人の良い中年女性が頭に浮かぶ。仕事も丁寧で、使用人の少ないエムナール伯爵邸が居心地良く整えられているのは、スーザンの采配のおかげだった。
「そうなんだ。ノイアーの過去の恋人かと思って、モヤモヤしちゃったじゃん。でもそっか、侍女長が乳母かぁ。なんか、ノイアーの子供の頃って想像できないな」
「ルチアはそのまんまだったんだろう」
「どうせ今も子供っぽいって言いたいんでしょ」
プンっと膨れてルチアはそっぽをむく。
誰にも言えないが、ルチアはこの人生は四回目だ。トータルすれば今よりも七歳くらいは余分に生きているのだから、年齢相応に見ないで欲しい。ノイアーとの年の差だって、そう考えればそこまでないのだから。
「そうじゃない。元気で、笑ったり怒ったりする小さなルチアが想像しやすいというだけだ。それに、俺は子供が好きな訳じゃないしな」
「じゃ、誰が好きなのよ」
ルチアはそっぽを向いたまま聞く。
「ルチアだ」
ルチアはパッと笑顔になってノイアーに向き直った。
「もう一回。目を見て言って」
「目を見てか。おまえは本当に俺の目が怖くないんだな。俺と真正面から視線を合わせて笑顔を浮かべられるのは、ルチアくらいだ」
「怖くなくはない……かな。でも、それ以上にあなたの瞳が好きだし、見たいって思うから」
何回もやり直した人生を思い出す。恐怖と共に見つめたノイアーの瞳、あの畏眼に射抜かれた瞬間、夜空のようなこの瞳に飲み込まれたのかもしれない。
「俺はルチアが好きだ」
ルチアは笑み溢れる。
愛情籠もった告白の筈が、ノイアーの表情は凝り固まり、畏眼からは覇気が漏れていたからだ。こんな告白を受けて、ノイアーからの愛情を信じられるのは自分くらいだろうと思うと、嬉しさとおかしさが同時に込み上げてくるのと同時に、こんなに綺麗な目を直視できないノイアーの周りの人を可哀想に思う。
「私もノイアーが好き」
しっかりと目を見て言い、今度こそは自爆しないように、ノイアーの肩に手を置いて伸び上がって唇を合わせた。ノイアーの唇は少し乾燥していたが、思っていたよりも温かくて柔らかくて……。
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