第13話 婚約者(仮)1

 ルチアがプラタニアに来てから一週間、毎朝の食事のみノイアーと共に取っていたが、それ以外は完全な自由時間となっていた。


「今日こそは頑張って起きてる!」


 この一週間、ノイアーと話したのは「おはよう」と「行ってらっしゃい」の挨拶だけだ。ルチアとしては、これからノイアーに殺されない為にも、友好関係くらいは築いておきたいところなのだが、いかんせんノイアーは忙し過ぎた。

 それと、ゴールドフロント国王の婚約許可書はもらってきているが、いまだに婚約誓約書を取り交わしてはいないので、現在のルチアの立ち位置はエムナール家の居候である。ルチア的には、早くノイアーと婚約、結婚まで進みたいところだ。生き延びる為にも、切に願っていた。


「お嬢様、その言葉、三回目です」


 アンはルチアの髪の毛に香油を垂らし、丹念にブラッシングしながら呆れたように言う。


「だってしょうがないじゃない。お腹いっぱいになると眠くなるんだもの」

「まったく、お嬢様の胃は底なしですね」


 今日も沢山美味しいお夕飯をありがとうございます!と、ルチアは料理長のサントスに頭が上がらない。


「あら、底はあるわよ。限りなく深いだけで」

「羨ましいです。食べても贅肉にならないんですから」


 ルチアは鏡越しに、そんなの私の方が羨ましいわよ……と、アンの女性らしい体形を盗み見る。自分も、アンくらい胸が豊かならば、ノイアーももう少し早く帰宅しようと頑張るんじゃないかと思った。

 ルチアは知らないことだが、以前のノイアーは屋敷に帰ってくる方が稀で、帰れない時は軍の宿舎に寝泊まりしていた。セバスチャンなどに言わせれば、毎日どんなに遅くても帰ってくるってだけで、ルチア様効果絶大なのであった。 


「私のは体質よね。家族みんな痩せの大食いだもの。さあ、アンは先に休んでいてちょうだい。私はノイアーが帰るまで頑張って起きているから。その為に、今日の夕飯はデザート少なめにしたんだから」

「お嬢様、くれぐれもソファーで寝落ちは止めてくださいね。お待ちになるなら、念の為ベッドに入って」

「ベッドに入ったら寝ちゃうじゃない」

「大丈夫です。お嬢様はベッドじゃなくても、眠くなったらどこでも寝てしまう特技をお持ちですから、どこにいても寝る時は寝ますから。それなら、あらかじめベッドにいた方がいいですよ」

「なるほど……」


 アンに丸め込まれる形で、ベッドに入らされる。


「明かりはつけておいてね」

「承知しました」


 アンが部屋から出て行った後、ルチアは本を読みながら時間をつぶした。日にちを越えて少したったくらいの時、廊下を歩く音がしてルチアはベッドから飛び降りた。


(帰ってきた!)


 一応、寝巻きではなく部屋着(この辺の線引きは微妙だよね。私が部屋着だって思っているだけだから。夏だし薄着なのよ)を着ていたから、そのまま部屋のドアを開けた。

 主の部屋のドアノブに手をかけたノイアーが、ルチアの顔を見て動きを止めた。


「お帰りなさい、お疲れさま」

「あ……あ、ただいま」

「少し、話をしたいんだけれど」


 ノイアーは数秒の時間差の後に、自分の私室のドアを開けてルチアに道を譲った。ルチアは悩むことなくノイアーの部屋に入ると、キョロキョロ辺りを見て、ソファーを見つけるとそこに座った。


「シャワーを浴びてきていいか。すぐに戻る」


 ノイアーは、ルチアの返事も持たずに足早に奥の部屋に入って行った。水の流れる音がし、わずか数分でガウン姿で肩にタオルをかけたノイアーが戻って来た。黒髪からは水滴が落ち、それをタオルで拭う仕草は男の色気に溢れていた。


「悪いな、部屋には酒しかないんだ。水で良ければ、テーブルの水さしのを飲んでくれ」

「ありがとう」


 ノイアーは、立ったままグラスにブランデーを注ぎ口をつけた。


「座らないの?」

「いいのか?」

「あなたの部屋じゃない」


 ルチアがソファーをポンポンと叩くと、ノイアーはなるべく距離を置くように腰掛けた。


「で、話ってなんだ」

「特に話って……そうだ。私達の婚約って、いつ成立するのかなって。ほら、手続きとかしないとでしょ?」

「手続きは煩雑で、すぐにはできないんだ。それに、一度婚約してしまうと、破棄するにはまた両国の王族の許可も必要で、より七面倒くさいことになる」

「えっ!?私、婚約する前から婚約破棄されるの決定なの!」


 ルチアが目を丸くしてノイアーの袖をつかむと、ノイアーはルチアの手をそっと外させてガウンの襟を正した。


「そうじゃない。おまえがどういう経緯で、……たとえば誰かに脅されるなりして俺に婚約の打診をしたのかなどはわからないが、俺みたいな無骨で戦闘するしか脳のない男など、すぐに嫌気がさすかもしれない。それに、年齢も離れている。これから先、婚約を後悔することがあるかもしれないだろ。主にルチアがだ」

「私?ない、ない、絶対に後悔なんかしない。それに、この婚約は私の意思だもん。誰に脅された訳でもないわよ」


 ここで婚約を撤回され、国に返されたら死へとまた逆戻りだ。ルチアは必死になってノイアーにすがりついた。それこそ、ガウンがはだけてしまうほどに。

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