第10話 出会い3…ノイアー・エムナール視点

「坊ちゃま……」

「ううん!セバス、坊ちゃまはよせ」

「失礼いたしました」


 ノイアーが屋敷に戻ると、出迎えに出て来たセバスチャンに咎められるように名前を呼ばれ、ノイアーは咳払いをしつつ軍服の上着を渡した。


「令嬢は?」

「ご婚約者様ではないですか。そんな他人行儀な……。ルチア様でございましょう」

「まだ、正式な婚約者じゃないぞ」


 屋敷の使用人は、全て侯爵邸に勤めていたプロフェッショナルを連れてきた。それぞれ武術の嗜みもあり、万が一侯爵令嬢が暗殺者だとしても対応できる者ばかりだった。

 セバスチャンも元軍人で、平民ながら異例の大佐まで昇進したつわもので、怪我による退役後、侯爵邸にスカウトされ、ノイアー付きの執事兼師範をしていた。


「またそんなことをおっしゃって」

「で、ルチア嬢は?」

「お部屋でおくつろぎいただいております」

「そうか」


 ノイアーは花束を持ったまま、セバスチャンを引き連れて階段を上がる。

 夫婦の寝室を通り越して、ルチアの部屋の前に立つ。ノックをしたが、ルチアの返事はない。ドアに手を伸ばすと、鍵はかかっていないからドアは手前に開いた。中を覗くと、誰もいない?


(まさか逃走したのか!?)


 ノイアーが慌てて部屋に足を踏み入れると、ソファーの上で丸まり眠る塊が……。


「眠られてしまったようですね」


 セバスチャンの穏やかな声が小さく響き、ノイアーはそこに眠る少女に視線を落とした。


(なんだこの物体は……。)


 触れたら壊れてしまいそうなくらい華奢で、あまりに小さくて頼りない。十六歳と聞いていたが、年齢詐称なんじゃないだろうか?十二……三でも納得できる。柔らかそうなフワフワしたプラチナブロンドは、それ自体が発光しているんじゃないかというくらいキラキラしているし、閉じられた目を囲む同色の睫毛は、影を作るくらい長かった。ツンと尖った鼻は愛らしく、ふっくらと小さな唇はわずかに開いていた。


(これを嫁にするのは……さすがに犯罪じゃないのか?)


 あまりに自分とはかけ離れた愛くるしい姿に、ノイアーは戸惑い狼狽えた。戦場でも、これだけ心が乱れたことはなかったくらいだ。


「旦那様、ベッドに運んでさしあげた方がよろしいのでは?」

「俺がか!?」


 ノイアーは怯み、生まれて初めて後退った。もし万が一抱き上げた瞬間に目を覚まし、自分の顔を見て泣き出されたりしたら……。


「旦那様のご婚約者様ですから」

「いや、だからまだ正式に婚約した訳じゃない」

「ソファーから落ちたら危ないですし、こんなところで寝て、風邪をひかれたら大変です」


 頑として引かないセバスチャンにノイアーは眉根に深い皺を刻み、手に持っていた花束をセバスチャンに渡した。


「生けてまいります」

「ああ」


 ノイアーはルチアに向き直り、肩と膝下に手を入れて持ち上げる。そのあまりの軽さに、つい勢いよく抱え上げてしまい、ノイアーの胸元にルチアがぶつかった。ルチアが目覚めることはなかったが、彼女から漂う甘い香りに、ノイアーはピシリと固まってしまう。

 いつも鍛錬でぶつかり合う兵士達にはない香りだし、何よりも身体の柔らかさが違った。さり気なく香るルチアの甘い香りを前に、自分が汗臭いのではないかと、ノイアーは初めて気にした。

 しかも、起きていない筈のルチアが、人肌を感じてか、ノイアーの肩に頬を擦り寄せてフニャッと微笑んだではないか。


(うぉっ!?なんだこの顔は!?小動物か!)


 ノイアーはその目つきの鋭さと、常に漏れる殺気から、記憶にある限り、女性から笑顔で接せられることがなかった。それ故、ルチアの笑顔に衝撃を受け……心を射抜かれた。二十六年生きてきた中で、初めて感じた胸の高鳴りに、ノイアーは戸惑い、そして自分に芽生えた感情を正しく理解することができなかった。


「旦那様、ルチア様をベッドに運んでさしあげないと」


 抱き上げたままフリーズしていたノイアーに、花を生けて戻ってきたセバスチャンが声を掛ける。


「あ……あぁ」


 ノイアーは大股でベッドまで歩き、慎重にルチアをベッドに降ろした。タイミングよくセバスチャンが上掛けを剥がし、横になったルチアにかける。


「少し夕食の時間を遅らせましょう。旦那様、よろしいですか?」

「ああ、なんなら起きるまで寝かせておいてやれ」


 ノイアーは、腕の中に残った感覚を消すかのように拳を握り、精神力をフル稼働させてルチアから視線をそらす。思わずそれが殺気として漏れ出てしまい、セバスチャンがたまらずにノイアーから視線を外した。ノイアーの殺気に慣れている筈のセバスチャンでさえ、一歩後退ってしまいそうになるくらいの殺気の強さだったようだ。


「坊ちゃま……」

「悪かった。俺は部屋に戻る。夕食まで時間が開きそうだから、軽食を部屋に持ってきておいてくれ」

「かしこまりました」


 ノイアーの殺気でも起きないルチアは、かなり鈍感なのか神経が図太いのか……、なんの夢を見ているのかわからないが、またもや笑みを浮かべていた。

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