第5話 再起(ヴィットーリオ視点)

 エレナ嬢と出会った後、アシュフォード伯爵との商談が進んだ。伯爵は満足そうな顔で言う。


「素晴らしい作品をありがとう。また、君に仕事を頼みたいんだがどうだ?」

「えぇ、是非よろしくお願いします」


 この屋敷を訪れたときには考えもしなかった、次の依頼を快く引き受けることに。むしろ、私からお願いしたいという気持ちさえあった。


 その目的は金銭などではなく、アシュフォード伯爵家の令嬢であるエレナ嬢に作品を見てもらいたいから。ただそれだけ。


 アトリエに戻ってきた私は、次々と溢れ出てくるアイデアを手早くスケッチブックにまとめていった。まるで、今まで失っていたはずのモチベーションが一気に復活したかのように、とてつもない熱意が全身を駆け巡る。長年、自分の中で蓋をしてきた想像力と表現力が、一気に解き放たれた瞬間だった。


 キャンバスに向かう私の手は止まることを知らない。筆を走らせれば走らせるほど、より繊細で美しい色彩が生まれる。まるで、エレナ嬢の純粋な瞳を思い浮かべながら、その輝きに映し出される光景を描き出すように。これを、彼女に見てもらいたい。そして、衝撃を与えたい。


 制作に没頭する日々が続く中、私は次々と新しい作品を生み出していった。どの作品も、つい先日までの私からは想像もつかないような、生命力に満ちあふれている。エレナ嬢との出会いが、私の内なる泉を呼び覚ましたかのようだ。




 完成した作品を、アシュフォード伯爵家に納品する日がやってきた。荷馬車に作品を積み込みながら、私の心は期待に胸を膨らませていた。再びエレナ嬢に会えること、そして私の新しい作品を見てもらえることが、とてつもなく嬉しかった。


 ドキドキしている。若い頃を思い出した。またインスピレーションが刺激されて、アイデアが溢れ出てくる。


 アシュフォード伯爵の屋敷に到着すると、早速エレナ嬢が駆け寄ってきた。


「ヴィットーリオ! 新しい作品があるのでしょう? 私にも見せてほしいな」

「えぇ、ございますよ。今すぐ見てもらいたい」


 そんな私たち2人の間に割り込んでくる女性が居た。アシュフォード伯爵の夫人。


「エレナ! そんなに走ってはダメ。はしたない。それに、先に商品を確認するのは伯爵様のお仕事です。邪魔してはなりません」

「はい」


 アシュフォード伯爵夫人がエレナ嬢を注意する。注意されたエレナ嬢は、頭を下げて謝罪していた。少し落ち込んでしまったようだ。


 私の目的は、エレナ嬢だ。せっかく期待してくれていたのに、ここで見せられないなんて。今すぐ慰めてあげたいが、余計な口を挟むと面倒なことになりそう。仕事に集中するしかないか。後で彼女にも絶対に見てもらう。


「ヴィットーリオ、伯爵様がお待ちしております。依頼した物を持って、ついてきてください」

「はい」


 夫人に案内されて、アシュフォード伯爵が待つ部屋へ作品を持って移動した。




「これは素晴らしい! きっと高く売れそうだ」

「えぇ、素敵ね」


 私の作品を見て、そんな感想を漏らすアシュフォード伯爵。どうやら、前回の作品は貴族間で高く売買されたらしい。それが、彼にとっての価値観らしい。彼の横では夫人も一緒に喜んでいる。


 そんな2人の娘は、私が持ってきた絵を見て唖然としていた。ポカンと大きく口を開けながら。作品から目をそらさずにじっと見つめて、何かを感じ取っている。


「この絵は、スゴイです。まるで生きているみたい……」


 エレナ嬢は絵の前で感嘆の息をもらす。その言葉に、私の心は大きく揺れ動いた。やはり彼女には、作品の本質が見えている。技巧や価値ではなく、そこに込めた私の想いを感じ取ってくれている。


「まるで、絵の中に吸い込まれそうな感覚……。不思議ですわ。もっと見たい」


 その笑顔と言葉に、私の胸は熱くなる。こんなにも私の芸術を理解してくれる人が、目の前にいる。そして、望んでくれている。


 こんな気持ちは初めてだった。モチベーションを超えた、もっと大きな衝動に駆られている。やはり、エレナ嬢には創造する者のモチベーションを上げたり、インスピレーションを刺激する特別な魅力があった。


「もう! この子は、分かったようなことを言って」

「ごめんなさいね、ヴィットーリオ。まだ幼くて、適当なことを言っているだけのようで。気を悪くしたら、ごめんなさい」


 伯爵と夫人の2人は、エレナ嬢の評価が見当違いだと決めつていた。彼女には何も分かっていないと思い込んでいる。


「いえいえ、エレナ様の感性は素晴らしいと思いますよ」


 私がそう告げると、アシュフォード伯爵夫妻は不快そうな顔を浮かべていた。私の言葉が間違いであると思っているらしい。


「エレナの感想は、適当なことを言っているだけですよ。彼女には、芸術の才能などありません」


 伯爵夫人が冷たい口調で言い放つ。その言葉に、私は思わず眉をひそめた。


「そうなんだよ、ヴィットーリオ。エレナの家庭教師からは、そのような評価を受けていてな。芸術に関しては、全く見込みがないと」


 アシュフォード伯爵も同調する。娘の才能を信じようとしない両親の態度に、私は憤りを感じずにはいられなかった。お前たちは、何も分かっていない。ついでに、彼女を教えているという家庭教師に対しても。


「失礼ながら、そのエレナ嬢の家庭教師とは、どのような方なのでしょう?」


 私は、冷静を装いながら尋ねる。


「ああ、あの方は有名な芸術家で、多くの貴族の子女を教えている。その評価は確かなものだ。せっかくそんな素晴らしい方に教えを請うたのに、得られるものは何もなかった。ただ授業料を無駄にしてしまったよ」

「そうでしたか」


 私の質問に答える伯爵。私には、その家庭教師の真の姿が見えていた。彼女の本当の才能を見抜けなかった、三流の芸術家なのだろう。


「ならば、私が彼女に芸術について教えるというのは、どうでしょう?」

「ふむ、君がエレナに?」


 私の提案に、興味を持つアシュフォード伯爵。しかし、夫人は反対のようだ。


「その子に才能はなのでしょう。授業料と時間の無駄ですよ」

「たしかにな」


 このままだと断られてしまいそうだ。私は、続けて言った。


「授業料はいりませんよ。ただ私が作品を持ってきたときに見せて、解説しながら、ちょんとした知識についてお話するだけで。そんなに時間も取りませんから」

「そう? それだったら、お願いしようかしら?」


 授業料はいらないと言った瞬間、前向きになった夫人。こうして私は、エレナ嬢の教育係を引き受けることになった。

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