第3話 エリュシオン

「ここに居ましたか、エレナ嬢」


 暗い夜道を歩いていると、男性の声が聞こえてきた。振り返ってみると声の主は、エリュシオンのトップであるヴィットーリオだった。彼は60代半ばの老成した男性で、芸術界では知る人ぞ知る存在である。


「ヴィットーリオ、どうしてここに?」

「色々と大変なことがあったと聞いて、駆けつけました」


 あの出来事について聞いて、わざわざ私のことを探しに来てくれたようだ。それがとても嬉しかった。でも。


「ペトルス様に婚約を破棄されてしまって。それから、伯爵家からも追い出されてしまって。私にはもう、何もありません。そんな私を気に掛ける必要は、もう」


 伯爵家の令嬢でなくなった私は、ヴィットーリオに心配してもらうような立場も失ってしまった。現状について口に出した瞬間、とても悲しくなった。けれど事実でもある。それを私は受け止めないといけない。


「エレナ嬢、あなたは伯爵家の令嬢であるかどうかに関わらず、私たちエリュシオンにとって掛け替えのない存在です」


 彼は真摯な眼差しを私に向けてきた。彼の言葉は、私の不安と恐怖を和らげてくれる。


「我々は、あなたの評価と称賛を望んでいるんです。それこそが、私たちの進むべき道を照らす灯火なのです」


 ヴィットーリオの言葉に、胸が熱くなるのを感じた。こんな私を必要としてくれる人たちがいるのだと。


「ヴィットーリオ、私は……」


 言葉は、込み上げる感情に遮られた。ヴィットーリオは優しく微笑むと、私の手を取った。暖かくて、安心感に包まれる。


「さあ、エレナ嬢。私たちと一緒に来てください。エリュシオンの仲間たちが、貴女が無事だという報告を待っていますよ」


 その言葉に、私は思わず顔を上げた。ヴィットーリオの目には、確かな信頼が宿っている。


「みんなが……、私を待ってくれているの?」

「もちろんです。これから、エリュシオンの拠点へ参りましょう」

「ありがとう。それでは、エスコートしてくださる?」

「はい、喜んでエスコートさせていただきますとも。どうぞ、こちらへ」


 ヴィットーリオの案内で、ゆっくりと歩き始めた。先程まで感じていた、夜の街の恐ろしさは一切なくなっていた。




 やがて、私たちの目の前に、馴染み深い建物が見えてきた。エリュシオンの拠点、アトリエ街だ。温かな明かりが灯る窓からは、皆の賑やかな声が聞こえてくる。


「よく来たわね、エレナ!」

「待っていたわよ!」

「君が無事で良かったよ」

「色々と大変だったようだね」


 アトリエの中に入ると、皆が口々に声を掛けてきてくれた。馴染み深い顔ぶれが温かく温かい言葉で包みこんでくれて、思わず涙が零れそうになる。


「みんな……、ありがとう。こうして迎えてくれて、本当に嬉しいわ」


 実家を追い出されてエリュシオンとの関係も失われたと思った私は、みんなと会えなくなるかもしれないと考えていた。でも今、私は彼らと会えている。元令嬢になってしまった私でも、みんなが普通に接してくれる。気遣ってくれる。


「我らがエレナ嬢の無事を、みんなで祝おう!」


 ヴィットーリオが高らかに宣言すると、皆が大きな拍手で迎えてくれた。胸が熱くなって、もう涙を堪えきれない。


「エレナ嬢、君の実家や王家が君のことを認めなくても、我々は永遠に君の味方だ。君は、我らがミューズなのだから」


 ヴィットーリオの優しい言葉に、私は涙を拭いながらこくりと頷いた。


「皆さん、心から感謝します。私、これからもエリュシオンのために全力を尽くします。そして芸術の力で、世界を良い方向に変えていきたい。皆さんと一緒に」


 私の宣言に、皆が大きな拍手と歓声で応えてくれた。


「よし、それでは皆で乾杯といこうじゃないか! 我らがミューズ、エレナ嬢の新たな門出と、輝かしいエリュシオンの未来に!」

「カンパーイ!」


 ヴィットーリオの音頭で、全員がグラスを掲げた。シャンパンの栓が弾け、黄金の泡が溢れ出す。


 最悪だった1日が、最高の1日に塗り替えられた。


 エリュシオンは、私の新しい居場所。ここで、みんなと共に歩んでいきたい。それが新しい人生への第一歩だと、私は確信していた。

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