第37話 本心
夏煌さんは退院後すぐに、アメリカへと飛び立つことになり、亮磨さんも慌ただしく付いて行った。
その間にわたしは夏煌さんのマンションに置いてあった荷物を取りに行った。月城の家から車を出してもらい、外で待ってもらっている。
着替えは圭吾さんの協力で実家のアパートから持ち出すことができたので、夏煌さんにもらったワンピースは持っていかない。少ない荷物を鞄に詰めて、ダイニングテーブルまで行く。
「夏煌さん……ありがとうございました」
薬指の指輪を外し、テーブルに置く。
「幸せ……だったなあ」
このテーブルで何度も一緒に食事をした。その思い出を皮切りに、夏煌さんの顔が次々に浮かんできて、涙があふれた。
「離れたくない……離れたくないよお」
テーブルに突っ伏し、ボロボロと泣いた。
夏煌さんがアメリカから帰ってきたら、時任グループのお嬢様との婚約披露パーティーが開かれるらしい。
これでもう夏煌さんに会うこともない。
(幸せを知ってしまって、夏煌さんのいない人生を生きられるのかな?)
それでも。凛に、日ノ宮に搾取され続ける未来を悲観していたころよりはずっとマシだ。
わたしはただ泣くことしかできない子供で。
「夏煌さんの幸せを願っています」
涙を拭いて、立ち上がる。
そうしてわたしは夏煌さんのマンションで一人、別れを告げた。
♢♢♢
八月三十日、夏休みも残り二日だ。
宮崎での住居は圭吾さんが何から何まで準備してくれたようで、わたしは鞄一つで向かえばいい。
明日出発の飛行機のチケットを確認し、部屋を出る。階段を下りる途中、亮磨さんが涼子さんと話しているのが見えて足を止める。
(月城さんが帰ってきたってことは……)
夏煌さんも帰ってきたのだと、ぎくりとした。
時任グループのお嬢様との婚約披露パーティーは、彼が帰ってきてからだ。
(まさか今日じゃないよね)
明日にはここを離れる。夏煌さんが他の女の人と婚約したなんて、話を聞くだけでも嫌だ。
だからこそ遠い地に行くことを決めたのだから。
亮磨さんは涼子さんと話し終えると、階段に目を向けわたしと視線が合う。
「楓ちゃん! 出かけるよ!」
「え?」
きょとんとするわたしに、亮磨さんはにかっと笑った。
♢♢♢
「あの、亮磨さん……またどこかすごい人のお宅へ解呪に行くのでしょうか?」
車の後部座席に座るわたしは、信号待ちのため車を止めた亮磨さんに尋ねた。
亮磨さんに声をかけられた後、わたしは涼子さんに渡されたワンピースに着替えると、ヘアメイクを施された。
ワンピースは朱色のドレッシーなレースワンピース。髪型は編み込みでハーフアップにされ、毛先は軽く巻かれている。ピンクをベースにしたお化粧は、わたしをほんの少し大人っぽく見せている。
「呪詛が無くなったら、そのうちわたしの力も必要なくなりますよね」
時任会長のお宅へ解呪に行ったのが昔のようだ。懐かしい気持ちと悲しい気持ちが混じり合う。
(だからこそ、時任グループのお嬢様との結婚が夏煌さんにとっては利になるんだよね)
「呪詛が無くなっても、人の負の感情が邪鬼を作り出すんだ。人は誰しも悪鬼になりうる。だから、楓ちゃんの力はこれからも必要だよ」
「そう……なんですね。でも解呪師がいるから大丈夫ですよね」
「えっ!? 楓ちゃん、解呪師辞めるの?」
驚いた亮磨さんがわたしに振り返る。
「いえっ、あの、進路に他の選択肢があるなら、考えてみようかな~と思っただけで」
「なーんだ」
安心した亮磨さんが前を向くと、ちょうど信号が青に変わり、車を発進させる。
誤魔化せてホッとしていると、亮磨さんが何気なく言った。
「楓ちゃんさあ、荷物全部引き上げてたけど、夏煌様のマンション出て行くの?」
もうバレていたと、喉がひゅっと鳴る。
「あの……月城の人間になったわけですし、一緒に住むのはどうかと」
「でも夏煌様と結婚するでしょ?」
前を向いているのに、亮磨さんからは容赦なく質問が飛んでくる。
わたしは息を呑むと、膝の上で拳を握った。
「あの……気持ちは伝えましたが、やっぱり結婚となると別かなって……。わたしは高校生で、夏煌さんは月之院のご当主で社長ですし。雲の上の人だなと」
上ずりそうな声を何とか抑えながら言葉を紡ぐ。
「だから宮崎に行くの?」
どくん、と心臓が跳ねる。
「知って……?」
狼狽えるわたしに、亮磨さんが謝る。
「~っ! 親父がごめん!! おふくろも今日聞かされたらしくて、慌ててたよ。意地悪な言い方して悪かったね。もううちに気を遣わなくていいよ、楓ちゃん」
「えっ」
「楓ちゃんの気持ちを優先して欲しい。夏煌様のこと、嫌いなの?」
その聞き方はずるい。亮磨さんはいつだってそうだ。
「でも……わたしなんかが側にいたら、夏煌さんの人生を邪魔してしまうから」
はあ~と亮磨さんの大きな溜息とともに、車が停車した。
「振り出しに戻ったかあ。夏煌様かわいそう」
そう呟くと、亮磨さんはわたしに振り返り、呆れた声を出した。
「楓ちゃんさあ、夏希様の十年分の重たい愛を見くびってるでしょ?」
答えられず俯いたわたしを見て、亮磨さんがにかっと笑う。
「まあいいや。ここから先は本人と話しなよ」
車のドアが開かれる。亮磨さんのほうを見るも、運転席にいない。
「ほら」
いつの間にか外に出ていた亮磨さんに腕を引かれ、車を降りる。
「ここ……」
亮磨さんがわたしを連れて来た場所は、清鬼公園だった。
もう日が沈み、辺りは暗くなってきているが、ランタンが足元を照らしている。
「いってらっしゃい」
有無を言わさぬ笑顔で亮磨さんが道を示す。
ランタンは、わたしを導くように奥の道へと続いている。
わたしは後ろの亮磨さんを振り返りながらも、ランタンが作る道を歩いて行った。
「うん、今楓ちゃんが向かったから。手筈通りよろしく」
亮磨さんは見えなくなるまで手を振ってくれていて、何やら電話をしているようだった。
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