第36話 月城家の娘として

「それじゃあ日ノ宮さんは転校して、その地で就職するのね」

「はい」


 夏休みも終わりが近づいたころ、わたしは担任の先生と面談をしていた。


 月城家の養女になったことの報告と、転校の手続きも兼ねている。


「月之院グループの伝手で、月城さんが手配してくださったので」


 一緒に面談へ臨んでくれた、隣に座る月城さんのお父さん――圭吾さんを見る。

 圭吾さんは、にこやかに笑って担任の先生に頷いた。


「それじゃあ、元気でね」

「はい。ありがとうございました」


 先生に礼をして、教室を出る。玄関に続く廊下を歩いていると、圭吾さんに呼び止められた。


「君は……これで本当に良かったのか?」


 振り返ったわたしは笑顔で答える。


「これが、夏煌さんのためになるなら」


 わたしの答えに申し訳なさそうにする圭吾さんは、やっぱり優しい人だ。


「だからって、何もあんな遠くに行かなくても……。せめて卒業まではここにいればいいじゃないか」


 わたしの就職先は宮崎にある月之院グループの子会社だった。それに合わせて転校先も近くの学校だ。


「そうでもしないと、わたしが離れられなくなってしまいますから」

「……すまない」


 頭を下げる圭吾さんに、わたしは笑顔を絶やさないように努める。


「謝らないでください……。就職先を斡旋してくださって感謝しています。ただ……夏煌さんと亮磨さんには内緒にしてくださいね」

「もちろんだ」


 転校まではまだ時間がある。その間に夏煌さんに会ってしまったら、決意が揺らぎそうだった。


 どうしてわたしが夏煌さんから離れる決意をしたのか。それは夏煌さんと入院をした次の日に遡る――


♢♢♢


「楓ちゃん、いらっしゃい!」


 月城さんに連れられて行った月城家は、月之院本家の近くにある大きな邸宅で。

 夏煌さんの言う通り、お母さんの涼子さんが歓迎してくれた。


「私、娘が欲しかったのよね~」

「俺も妹が欲しかったんだよな~」


 亮磨さんは元々優しかったけど、涼子さん共々わたしを本当の家族のように迎え入れてくれて、温かかった。

 お父さんの圭吾さんは、月之院の前当主――夏煌さんのお父さんに仕えていて、仕事のタイミングが合わずご挨拶できずにいた。


 夏煌さんが入院している間、月城家でお世話になることになった。

 頻度は減りつつあるけど、解呪の仕事もあるのでお手伝いさせてもらいながら。そうして穏やかに過ごさせてもらって三日目、月城さんのお父さんに呼び出された。


「失礼します」


 圭吾さんの書斎にノックして入る。


 金色がかった茶髪に茶色の目。亮磨さんがそのまま年を取ったような顔立ちに、この人がお父さんなのだとすぐにわかった。


「初めまして! 日ノ宮楓と申します。お世話になっております!」


 勢いよくお辞儀をすると、笑い声が漏れる。


「律儀なお嬢さんだ。それと、君はもう月城の姓を名乗っていい」


 その優しい表情を見てホッとする。


「共にご当主様を支えていこうじゃないか」

「は、はい!」

「ただし、月之院に仕える月城家としてだ」


 にこにこ笑っていた圭吾さんだったが、急に真面目な顔になる。軽い雰囲気の亮磨さんとは違い、重厚感のあるオーラに圧倒されてしまう。


「え……?」


 意味がわからなくて、やっと言葉を吐き出せば、彼はわたしの目を捕らえて、視線を外すのを許さない。


「ご当主様には、時任グループのご息女を婚約者に迎える話が出ている」


 ドキン、と心臓が大きな音を立てる。


「それを差し置いて、月城家からお相手を出すわけにはいかない。わかるね?」

「は、い……」


 わからない。わからないのに、返事をするしかなかった。


「それに今、月之院の中で日ノ宮に対する処罰が甘いと異議を唱える者も出てきている」


 ドクドクと鼓動が早くなり、冷や汗が額から頬を伝っていく。


「君は、月之院に歓迎されない」


 決定的なことを言われ、足元から崩れ落ちそうな感覚に陥った。


「婚約者を迎えられるのだから、もちろん君にはずっとここで生活してもらう。まさか嫁入り前のお嬢さんを家に連れ込んでいたなんて。亮磨もなぜ止めなかったのか」


 呆れ気味に言うと、圭吾さんはわたしに言い聞かすように優しい声で言った。


「君を養女として迎え入れたのは、ご当主様に嫁がせるためじゃない。その代わり、月城の娘として惜しみない援助をしよう。君の能力が素晴らしいのは知っているし、解呪師として活躍したいならば手配するし、大学に行きたいなら行かせてやることもできる」


 破格の条件なのはわかる。


「でも……わたしはただ、夏煌さんの側にいたかっただけなんです」


 こみ上げる涙を我慢する。


「……亮磨のように側で仕えることはできる。君は優秀な解呪師になるだろうからね」


 圭吾さんはわたしの能力を認めてくれた上で、「ただ……」と続けた。


「ご当主様が婚約者を迎えたのち、すぐに結婚準備が進められるだろう。後継者問題はどこも重要なものだからね。この意味がわかるね?」

「はい……」


 わたしは日ノ宮の人間で、ただの高校生で。


 「それでも側で仕える覚悟があるか? 君が苦しむだけじゃないか?」


 側にいることを選べば、他の女の人と添い遂げる夏煌さんを見続け、彼を「ご当主様」と呼び、名前で呼ぶことも許されない。圭吾さんは厳しい現実を突きつけながらも、わたしの心配をしてくれていた。


(やっぱり、優しいな。これ以上困らせちゃいけない)


 月城家は月之院に代々仕えている家だ。もしかしたら夏煌さんのお父さん――前当主の意向を圭吾さんが汲んでいるのかもしれない。


「だったら……一つだけお願いしてもよろしいでしょうか?」

「何だい?」


 わたしは大きく息を吸い、しっかりと言葉を吐き出した。


「ここよりずっと離れた土地での就職先を紹介していただけませんか?」

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