第31話 初恋にさよなら

「月之院さん!」


 天井から舞い降りた夏煌さんは、まるで神様のようで見惚れてしまった。


「残念。もう名前で呼んでくれないんだ?」


 わたしの目の前に降り立った夏煌さんは、意地悪な顔で微笑んだ。


「えっ……まさか?」


 指輪から鬼火が出てきたことから思い至り、恥ずかしくなった。


「指輪に鬼火を仕込んでおいたおかげで、楓の助けを呼ぶ声がばっちり聞こえたよ」

「ス、ストーカー!」

「うん。楓を守るためだもの」


 口をぱくぱくさせ訴えるも、夏煌さんは開き直って微笑んでいる。


「~っ!」


 赤い顔のまま夏煌さんを睨む。彼は優しい表情のまま目を細めると、わたしの頭を撫でてくれた。


「楓のそんな顔が見られて良かった。一人でよく頑張ったね。偉いよ」


 いつの間にか恐怖心も絶望も、わたしの中から消えていることに気づいた。


「……助けに来てくれてありがとうございます、月之院さん」

「心配した。無事で良かった」


 お礼を伝えると、抱き寄せられた。夏煌さんの身体は震えていて、本当に心配をかけたのだと思い知る。


(やっぱり、わたしの帰る場所は夏煌さんのところなんだ)


 彼に抱きしめられると安心する。そのことを実感していると、柊ちゃんから膨大な邪気が立ち上った。


「月之いいんんんん! 楓を返せええええええ!」


 見たことのないどす黒い邪気が柊ちゃんを包み込む。びりびりと雄叫びに近い叫び声が屋敷中に響いた。


「縛が破られそうだ。楓、結界を張ってくれる?」

「は、はい」


 冷静な彼に引っ張られるように、わたしは慌てて結界を張った。


「あっ、凛!」


 凛はいまだ繋がれたままだった。結界を張っても、凛は中に取り残されてしまう。


「君の妹なら大丈夫だよ」


 わたしを落ち着かせるよう、夏煌さんの手が肩に置かれる。

 夏煌さんの視線を追えば、月城さんが凛を抱えて、こちらに向かってピースをしていた。安心したわたしは、悪鬼と化した柊ちゃんに向き直る。


「柊ちゃんはどうなってしまうんでしょう?」


 頭を抱え、その場に留まる柊ちゃんはどんどん邪気に取り込まれていく。幼馴染である彼の面影は、もうない。


「柊ちゃん……ね」


 夏煌さんは面白くなさそうにそう言うと、柊ちゃんを見た。


「呪詛を各所に埋めていたのは、どうやら日ノ宮柊だったらしい。自作自演の言葉、そのままそっくり返すぞ」


「グギイャあああ……つき、の……いん」


 人ならぬものへと身を落とした柊ちゃんには、もう夏煌さんの言葉は届かないのだろう。苦しそうにうめきながら、恐ろしい姿へと変貌していく。


「その代償は大きかったようだ。瘴気に蝕まれ、邪鬼に乗っ取られ、悪鬼と化している。ここまできたら邪鬼を切り離すのは無理だ」

「そんな……」


 非情な現実を聞かされ、わたしは戸惑った。

 柊ちゃんのことはもう何とも思っていないけど、凛と同様、大切な思い出がある幼馴染だ。


「消滅させるしかあいつを救う手立てはない」


 わたしの迷いを見透かすように、夏煌さんが真っ直ぐに瞳を覗く。


「楓、大丈夫?」


 即答なんてできるはずもなく。


 わたしは少しだけ躊躇い、逡巡し、目を閉じる。


「――はい」


 そして覚悟を決めると、夏煌さんをまじろがずに見た。

 夏煌さんは少しだけ悲しそうな顔をすると、すぐに正面を向く。


「俺があいつを押さえるから、楓は浄化することだけ考えて」

「はいっ!」

「ぐおおおおおお」


 夏煌さんの合図とともに、邪気を押さえきれなくなった柊ちゃんが縛を解き、こちらに向かってくる。


「破!」


 邪気を飛び道具のように扱い、攻撃してくる柊ちゃんの身体はバケモノで、顔だけが原型を留めていた。

 次々に繰り出す柊ちゃんの攻撃を、夏煌さんが相殺していく。


「破」


 次の言霊で、柊ちゃんは壁に叩きつけられた。


「縛」


 距離を縮めたところで、再び柊ちゃんの動きが封じられる。


「楓!」

「はい!」


 夏煌さんの後ろで守られていたわたしは、前に出て柊ちゃんに触れようと手を伸ばした。


「かえでっ……うっ……たす、け……」


 柊ちゃんと目が合う。面影を残した柊ちゃんが、苦しそうにわたしへ助けを求めていた。


『柊ちゃん、だーいすき!』

『柊も楓ちゃんのこと好きだよ』


 幼いころのわたしたちの声が脳内で再生される。


 柊ちゃんはいつの頃からか自分を「わたし」と呼び、笑わなくなった。日ノ宮一族の皆を呼び捨てで呼ぶようになり、儚げながらも冷たくなった声色に、当主としての重荷がのしかかっているのだろうと想像した。


(柊ちゃんはいつから苦しんでいたの? もっと早くに気づいてあげられていたら)


 柊ちゃんの悲しそうな瞳に吸い寄せられる。


「柊ちゃ――」

「楓!!」


 夏煌さんの慌てた叫び声にハッとなると同時に、柊ちゃんの口元が歪んだ。

 鋭く尖った異形な手がわたしに迫る。


(しまった……!)


「楓!」


 目を閉じると同時に、何かを引き裂く音が耳をつんざいた。


「月之院さん!?」


 夏煌さんがわたしに覆いかぶさっていて、庇ってくれたのだとすぐに理解する。


「月之院さん! 月之院さん!?」


 わたしの呼びかけに彼が身体を起こす。


「大丈夫だ、楓。ったく、日ノ宮柊の自我も残っているらしい。優しい楓につけこむなんて」

「月之院さん――っっ」


 青白い彼の顔にハッとして気づく。

 

 柊ちゃんの手が、ナイフのように夏煌さんの腕に刺さっていた。


「縛」


 夏煌さんは息を荒くしながら、柊ちゃんを言霊で縛った。


「月之院さん、治療を……!!」

「大丈夫だ。それより、今がチャンスだ。言霊で縛り、俺がこいつを捕まえているうちに」


 柊ちゃんの手が刺さる腕を指し示し、夏煌さんが笑う。

 腕からは血が流れ、彼の顔からはますます血の気が引いて行く。


(わたしが柊ちゃんを浄化するのを躊躇したせいだ)


 涙を拭い、目の前の悪鬼、、に向き直る。


「かえ、で……私が初恋、だろう……?」


 オおおおおと轟音のような悪鬼の中に幼馴染の声が混じる。


「さよなら」

「!? かえでえええええええ!」


 手を伸ばしたわたしを拒むように、悪鬼が最後の力を振り絞るが、夏煌さんが後ろで支えてくれている。


「初恋は叶わないって言うしな! 縛!」


 夏煌さんが押しとどめてくれる。そう信じていたわたしは、悪鬼に手を置いた。


「くそおおおおおおおかえでえええええ! ひのみやのえいこ――――」


 わたしが触れると黒い邪気は光に変わり、浄化された悪鬼は焼けるように身体を消滅させていった。


「さよなら柊ちゃん」


 邪気が完全に消えゆくのを眺めながら、わたしは初恋の人にお別れを告げた。

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