第32話 初恋を叶えて

「まーったく、夏煌様は無茶するんだから」


 月城さんは凛を病院まで連れていってくれた。その後戻って来た彼は、夏煌さんにお小言を言いながら包帯を巻いている。


 結界を解除したものの、日ノ宮の本家は呪詛の影響を受け、半壊していた。

 月之院の解呪師たちが参入し、今は後片付けがなされている。


 わたしたちは玄関前にある縁台に座って、それを眺めていた。


「まあ、今日は後片付けだけで、日ノ宮を言及はできないでしょうから。ゆっくり休んでくださいよ」

「あとは任せた」


 月之院さんに応急処置を施した月城さんは、にかっと笑う。それに答えるように、夏煌さんの口角も弧を描いた。


「楓ちゃん、夏煌様を絶対病院まで連れて行ってね」

「は、はい!」


 思わず返事をすれば、夏煌さんの口が曲がる。


「病院なんて大げさだ。俺は平気――」

「夏煌様?」


 ずいっと月城さんが夏煌さんに人差し指を立てて迫る。


「初恋が叶わないと言うなら、それは夏煌様もですね?」

「!」

「もし夏煌様が死んでしまったら、証明してしまいますね~」

「わかった! 行けばいいんだろう!」


 ぐぬぬと答える夏煌さんに満足そうに笑うと、月城さんはわたしにウインクをして去って行った。


「楓、病院は一人で行けるから、君は休んで。疲れただろう?」

「そんな、月之院さんこそ――」


 声をかけられ、振り返ろうとしたところで後ろから抱きしめられた。


「浄化といえど、本当はあの男に触らせるのは嫌だった」

「ええ?」


 まるで子供のように拗ねる夏煌さんに、思わずくすりと笑った。


「楓……」


 夏煌さんが辛そうな声でわたしの目元を拭ったことで、自分が泣いているのに気づいた。


「楓は呪詛の根源を断った。それにより多くの者が救われたんだよ」

「…………」

「それでもやるせないよな」


 振り返ると、夏煌さんも泣きそうな顔をしていた。


「はい……っ」


 ぼろぼろと泣き崩れ、わたしは夏煌さんの胸に顔をうずめた。


「楓は悪くない。全て俺が悪いんだ」


 泣き続けるわたしの背中を夏煌さんがさすってくれる。


(違う、夏煌さんは悪くない)


 そう言いたいのに、しゃくりあげて声にならない。


「そうか。そんなにあいつが好きだったんだな」

「!?」


 突然そんなことを言い出した夏煌さんの顔を見上げる。

 彼は悲しそうな顔でわたしから目を逸らし、身体を離した。


「俺はいつだって肝心なときに楓を守ってやれない。これじゃあ、プロポーズする資格もないな」


(待って……)


 夏煌さんが先ほどから悲しそうにしていたのは、わたしの気持ちを誤解していたからだ。


(待って、違う……)


 わたしの気持ちはとっくに夏煌さんにある。

 それを伝えたいのに、夏煌さんが話をどんどん進めていく。


「あいつに偉そうに『初恋は叶わない』と言っておきながら、叶わないのは俺のほうなのにな……」

「月之院さ――」

「俺が楓の初恋を握りつぶした」


 夏煌さんの目に涙が浮かぶ。十年前見た、宝石のような涙が。


「俺はまだ『柊ちゃん』を超えられていなかった――」

「超えています!」


 彼の手を掴んで、ようやく言葉を遮る。


「楓?」


 突然声をあげたわたしに驚き、夏煌さんは目を瞬いた。目の端には涙が残っており、彼の頬を伝って流れ落ちた。


「月之院さんはいつもわたしの気持ちを優先してくれていたけど、今は違う。それはわたしの気持ちじゃない」


 じっと見つめれば、夏煌さんの目が期待で熱を孕んでいくのがわかった。

 わたしの言葉の続きを黙って待っている。


「わたしは柊ちゃんへの気持ちなんて、とっくに持っていませんでした。だって、今は本当に好きな人と出会えたから」

「それは……誰?」


 急に恥ずかしくなったわたしは、掴んでいた夏煌さんの手を離そうとした。が、彼から握り返される。


「それは……」


 まっすぐに見つめてくる夏煌さんに耐えられず、視線が泳いでしまう。

 わたしなんかが気持ちを口に出してしまっていいのか、この期に及んで躊躇ってしまう。


「楓、」


 『なんか』は禁止だとばかりに夏煌さんはわたしの唇に触れた。


「……っ、っ」

「言って、楓」


 わたしの唇を解放し、今度は頬に手を添える。

 触れられた箇所がひんやりと感じられ、頬が熱を持っていることに気づく。


 彼の求めに応じるよう、わたしは口を開く。


「好きです夏煌さん……」


 告げた瞬間、夏煌さんの頬が紅く染まった。


 彼の顔を見て、わたしが唯一あげられるものに気づいた。


「わたしは夏煌さんが好きです」

「楓……っ!」


 彼の瞳に光るものを見たと思えば、次の瞬間には彼の腕の中にいた。


「楓……っ、本当に? 夢じゃない……よね?」

「好き……好きなんです、夏煌さんが」


 口に出してしまえば、とめどなく想いがあふれる。それをこぼさないよう、夏煌さんはわたしを強く抱きしめた。


「わたし、夏煌さんの側に――んっ……」


 彼を見上げたと同時に唇をふさがれ、キスをされたのだとわかった。


「楓、俺の初恋を叶えてくれる?」


 キスの合間に夏煌さんがわたしの気持ちを確かめるように囁く。


「……叶えてください。わたしの分まで」


 幸せな気持ちで目をつぶれば、夏煌さんはもう一度キスをくれた。


 長い夜が明け、東の空には光が煌めいていた。

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