第30話 初恋の人②

「凛!」


 吊るされた凛の元に駆け寄る。凛の胸に耳をあてると、心臓が規則正しく音を立てていて安堵した。


「大丈夫。殺してないよ、まだね」


 後ろからは柊ちゃんが続き部屋に足を踏み入れ、わたしは凛を抱きしめたまま身体を固くした。


 言いようのない恐ろしく嫌な気が柊ちゃんから漂う。どうして気づかなかったんだろう。


「あなた、誰?」

「日ノ宮家の次期当主、柊だよ」


 当然のように答えた柊ちゃんを見据える。


「凛を解放して」

「ねえ、日ノ宮が衰退していっているのは楓も知っているでしょう?」


 柊ちゃんの唐突な話の切り出しに、わたしは息を殺して耳を傾ける。


「力の強い女性と後継者を作るだけではダメだ。当主自身の力も高めないといけないだろ? だから、日ノ宮で力のある女性を伴侶に選び、それ以外はこの私に霊力を捧げてもらうことにしたんだ」

「何を言って……?」


 べろりと舌なめずりする柊ちゃんにぞっとして、凛を隠す。


(まさか凛は……)


 青白い顔でぐったりする凛は、目を覚まさない。柊ちゃんの言うことが本当なら、凛も霊力を奪われたのだろうか。


 霊力は解呪師の力を発現させるのに必要なもので、それが枯渇すると命に関わると聞いたことがある。


「早く凛を病院に……」


 想像して怖くなったわたしは、柊ちゃんに懇願した。


「やっぱり楓は優しいね。君ほどの力を持った女性が日ノ宮に誕生していたなんて。やっぱり私たちは運命だったんだよ」

「何を言っているの? 柊ちゃんは凛を選んだんだよ」

「妬いているの?」


 話がさっきから通じない。柊ちゃんがわたしの側に来て、顔を首に埋めた。


(気持ち悪い……!)


 あんなに好きだった柊ちゃんも、柊ちゃんを好きだったころのわたしももういない。


「わたしは月之院さんと――」

「ふうん? 楓は凛を見捨てるんだ?」


 耳元で囁く柊ちゃんの脅しにびくりとして俯く。


「楓が私と一緒になってくれるなら、凛は解放するよ」

「……」


 柊ちゃんがこんな卑怯な手を使うなんて。こんなの、凛の命はわたしがにぎっているも同然だ。


「ふふ、良い子だね」


 ぎゅっと目をつぶったわたしの髪をすくい取ると、柊ちゃんはキスをした。


(夏煌さん……けっきょくわたしは一人で何も解決できない)


 その場所は夏煌さんがキスをしてくれた場所だ。彼を想って涙があふれる。


「じゃあ」


 話がついたとばかりに、柊ちゃんはわたしの両手を頭の上で拘束した。


「柊ちゃん!? 何を――」


 強い力で抑え込まれ、びくともしない。柊ちゃんは袂から帯留めを取り出すと、器用にわたしの両手を縛り上げた。


 わたしは畳の上に倒れ込む。


「何って……楓がまた月之院のところに行かないように、手足を不能にするんだよ」


 恐ろしいことを告げる柊ちゃんの指には鋭い爪がギラリと光る。


(悪鬼……!)


 柊ちゃんから漂う嫌な気配の正体に、身体がすくむ。

 いったい、いつからなのだろうか。日ノ宮の気に紛れていて、気づかなかった。

 

「はあ、はあ……っ」


 迫る爪から逃れようと、足で何とかお尻を引きずらせるも、激しい動悸で思うように動けない。


「楓は私のものだよ。一生ここから出さない」

「いやっ……!」


 帯留めで拘束されたわたしの両手を柊ちゃんが掴むも、必死に抵抗する。


「凛が死んでもいいの?」

「……っ!」


 凛はわたしにとって恐ろしい存在で、そんな義妹からは早く解放されたいと思っていた。

 でも、死んで欲しいなんて思ったことはない。わたしの脳裏には子供のころの、あどけなく笑う凛の顔が浮かんだ。

 俯いて黙るわたしの顎を、大きく口角を上げた柊ちゃんが、掴んで上向かせる。


「良い子だ。やっぱり楓は凛を見捨てられないよね。大丈夫だよ。手足を失っても私がこの部屋で一生楓を愛してあげるから」


 わたしから目を逸らさないまま、柊ちゃんが爪をわたしの右手に沿わす。つうっと撫でられた腕からは血が滲んだ。


「なつ、き……さん……助けて」


 涙を流しながら口にしていた。


「無駄だよ、楓。――なっ――!?」


 突如、夏煌さんからもらった指輪が赤く光り出し、その眩しさから顔を歪め、柊ちゃんがわたしから離れる。


「鬼火ちゃん!?」


 指輪の放つ光から鬼火が現れ、わたしの前をふよふよと浮く。


(夏煌さんが守ってくれたんだ!)


 鬼火はわたしの両手を拘束していた帯留めを焼き切ってくれた。柊ちゃんの目がくらんでいるうちにわたしは立ち上がり、凛の拘束を解こうとした。


「月之院、小癪なっ……!」


 しかし、すぐに態勢を立て直した柊ちゃんがすぐ後ろに迫った。


「ふふっ、こんなもの、一時しのぎにしかならない!」

「鬼火ちゃん!」


 わたしを守ろうと前に出た鬼火が柊ちゃんの手に払われ、畳に叩きつけられた。


「残念だったね、楓。逃げようとした罰に、手足だけでなく喉も潰してしまおうか。忌々しい月之院の名前などもう呼べないよう」


 鋭い爪を光らせ、柊ちゃんはその手を構える。凛の拘束はまだ解けていない。


(どのみち、凛を連れて逃げるなんて不可能だ)


 今度こそダメだ。そう思って目をつぶる。柊ちゃんの爪が空を切る音がして――


 ドオオオオン


 大きな音とともに地面が揺れた。目を開ければ、天井に円錐型の穴が空いていた。


「縛」


 わたしも柊ちゃんも、驚く間もなく言霊が降り注ぐ。


「なっ――」

「悪鬼に身を落とすとは、日ノ宮も終わりだな」


 動けなくなった柊ちゃんを見下ろしながら、ふわりと穴から降りて来たのは夏煌さんだった。

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