第29話 初恋の人

 二人は外にタクシーを待たせていたらしく、それに乗って日ノ宮本家へと向かった。


 逃げないようにと父に腕を掴まれたまま、本家の玄関へと辿りつく。

 中から一族の男性が出てきて、父はわたしを引き渡した。


「凛は!?」


 わたしだけが中へと通され、両親が叫ぶ。


「楓さんを柊様に会わせてからです」


 一段高い玄関に上がった男性が両親を見下ろし、無表情で言った。


「っ、楓! 凛を解放してもらえるよう、必ず柊様にお願いするんだぞ! たとえお前がどうなろうと、必ずだ!」


 男性に屋敷の奥へと促され、歩き始めたわたしの背後で、父が叫んでいた。

 わたしは悲しみが広がるのを抑えきれず、込み上がる涙を必死に拭った。


 広い屋敷の奥へと進むと、男性は一礼して去って行った。


(柊ちゃんの私室……)


 幼い頃、この部屋で、ここから繋がる中庭で、凛と三人でよく遊んだ。


「やあ、よく来たね楓」

「柊ちゃ……柊様」


 ふすまが開かれ、柊ちゃんがそこに立っていた。


「昔みたいに柊ちゃんって呼んでよ。君は私の婚約者なんだから」


 わたしを部屋へ入るよう促すように、柊ちゃんは部屋の奥へと進んで行く。

 ごくりと喉をならし足を踏み入れると、畳の軋む音だけがその場に響いた。奥にある部屋だけあり、とても静かだ。


「柊ちゃんの婚約者は凛でしょう? どうしていきなり……」


 わたしは立ったまま彼の背中に問いかける。

 柊ちゃんはわたしに振り向くと、穏やかな笑みをたたえた。


「楓、今まで君の能力に気づかずすまなかった。君の結界はこの日ノ宮にはなくてはならないものだった。楓がいない間に思い知ったよ。君は無能なんかじゃない」


 柊ちゃんの謝罪に、ドクンと心臓が苦しくなった。日ノ宮にやっと認められたのに、嬉しくない。


「でもわたしは凛のように封印ができませんから」


 俯くわたしの耳に、畳を擦る音が聞こえる。柊ちゃんがわたしに近付いて来ているのだとわかった。


「でも、浄化ができるだろう?」


 ドクドクと暴れる心臓を押さえつけ、顔を上げる。すぐ目の前には柊ちゃんが立っていた。


「なんで知って……」

「君が月之院に連れて行かれたときは焦ったが、楓の能力を開花させてくれたんだ。むしろ婚約者としてお礼を言うべきかな?」


 わたしの問いを無視して、柊ちゃんがじりじりと迫る。わたしは逃れるように柊ちゃんの反対側へと移った。


「結婚しよう楓。君は私のことが好きだろう?」

「でも柊ちゃんはわたしのことを好きじゃない」


 前までのわたしなら、この言葉も夢のようだと喜んだかもしれない。

 でも今は違う。柊ちゃんへの気持ちは一切なかった。柊ちゃんはわたしの気持ちなんてお構いなしに、勝手な言葉を投げ続ける。


「さんざん無能だとバカにしたことを怒っているの? 許して欲しい。私は日ノ宮の当主として、より能力を持った者を伴侶に選ばなければいけなかった。でも、楓が選ばれたよ? 凄いことだよ? 君は凛を押しのけ、頂点に君臨したんだ。日ノ宮の女としてこれほど嬉しいことはないだろう!」

「わ、わたしはそんなの嬉しくない」


 柊ちゃんが疑問の表情でわたしを見る。


「どうして? 月之院だって楓の能力に目をつけたからこそ伴侶にと言い出したんだろう? あんな奴らに搾取されるより、私と結婚したほうが良いだろう?」

「違う!」


 反射的に否定していた。

 わたしの脳裏には、いつだってわたしを優先しようとしてくれて、本気の愛を伝え続けてくれていた夏煌さんの顔が浮かんでいた。


「月之院さんはわたしの能力じゃなくて、わたし自身を愛してくれているの!」

「それが月之院のやり口なんだよ?」


 わたしを説得しようとする柊ちゃんの手を拒む。


「わたしは月之院さんを信じてる! それでも、万が一にも柊ちゃんの言う通りだったとしても、構わない! だってわたしも――」


 勢いで叫んで、ハッとして口をつぐんだ。


(わたし、月之院さんのこと――とっくに好き……だったんだ)


「わたしも、何?」


 自分の想いに浸る猶予を柊ちゃんはくれなくて。

 いつも穏やかに笑っていた彼は、笑顔のまま怖い顔になっていた。

 その恐ろしさから答えるのに躊躇した。


「そうか……月之院め、楓をうまく取り込んだものだ。まあ、このときのために凛を繋ぎとめいておいたんだ」

「凛は座敷牢にいるんですか……」


 呟くように話す柊ちゃんから凛の名前が出て、嫌な予感がした。


「あんな目にあっていたのに、凛のことが心配なんだ? 楓はやっぱり優しいね」

「柊ちゃんは凛のこと知って……?」


 にたりと笑う柊ちゃんに震えが止まらない。


「ああ。凛の力が上位にあるうちは好きにさせていたんだ。凛はバカだけど、単純で可愛いからね」

「凛と……想いあっていたんじゃ……」

「ああ、それで楓の気持ちが月之院にいってしまったのか。それは誤算だ」


 柊ちゃんは少し思慮すると、続き部屋のふすまに手をかけた。


「でも楓は私の元に戻ってくるよ。必ずね」

「何を――」


 がらりと続き部屋のふすまが開け放たれる。


 わたしは目の前に飛び込んできた光景に驚愕した。


 そこには、天井から吊り下げられ、ぐったりとしている凛の姿があった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る