第28話 突然の訪問

「楓、おはよう。今日も愛しているよ」

「おはようございます」


 パーティーの翌日、いつも通りの朝。夏煌さんは今日は出社するらしく、スーツ姿だ。


「今日は嫌な顔しないんだね」


 嬉しそうに夏煌さんが距離を詰める。


「嫌だなんて……思ったことないです」

「楓……嬉しい。昨日は強引に婚約発表みたいになっちゃったけど……俺、期待してもいいのかな?」


 彼が蕩けそうな笑顔でわたしに迫る。嫌じゃないけど、心臓がもたない。


「会社に遅れますよ!」


 至近距離の夏煌さんを押しのけ、わたしは皿をテーブルまで運んだ。


「手伝うよ」


 夏煌さんは嫌な顔一つしないで、わたしに優しい眼差しを向けてくれる。


(わたし、どうしたいんだろう)


 夏煌さんの側は安心するし、ずっと一緒にいたいとは思う。この気持ちが何なのか、わたしはまだ整理できずにいる。

 夏煌さんのおかげで解呪師の仕事に自信が持て始めたけど、彼は月之院の当主で社長だ。本来なら雲の上の人なわけで。


(本当にわたしでいいの?)


 わたしたちを繋ぐ十年前の思い出だけで、わたしなんかが彼を縛っていいのか。夏煌さんの気持ちを疑っているわけじゃないけど、本当にこのままでいいのか。昨日のパーティー以来、わたしはずっとそんなことを考えていた。


「昨日は疲れただろう? 今日は解呪もないし、ゆっくりしてね」


 朝食を食べ終え、食器を一緒に片付けていると、夏煌さんが気遣ってくれた。


(疲れているのは夏煌さんも一緒なのに……。わたし、守られてばかりだな)


「楓? どうかした?」


 片づけを終え、まくっていたシャツの袖を直していた夏煌さんが元気のないわたしに気づく。


「あの……わたしは月之院さんにしてもらうばかりで、何もお返しできていません」

「そんなことないよ。楓は解呪を手伝ってくれているだろう?」


 優しくわたしを肯定してくれる夏煌さんに、胸がきゅうとなる。


「違います……その、解呪の仕事じゃなくて……月之院さん自身に……」

「朝食を作ってもらっているよ?」


 ぼそぼそ話すわたしに感謝を伝えてくれる。


「そんなことじゃなくて……わたしはもっと月之院さんの役に立ちたい……っ!」


 わたしの訴えに、夏煌さんは大きく目を見開いた。


「楓……そんなこと思ってくれていたの?」


 優しい問いかけにこくりと頷く。


「そっか……」


 夏煌さんは目を細めると、わたしの頭を撫でた。


「俺は、楓がいてくれるだけで幸せなんだよ。楓が俺を癒してくれるんだ」

「わたしが……?」

「そう」


 わたしは夏煌さんを見上げると、勇気を振り絞って彼の指先をぎゅうっと握る。


「楓?」

「わたしの浄化が月之院さんの身体を癒しているなら、もっと癒したいです!」


 恥ずかしい気持ちを押さえ、夏煌さんの左頬を右手で包み込んだ。抱きつくのは無理だけど、初めて出会ったときのように彼に触れた。


「……ばかだな。楓の浄化はもちろん気持ちいいけど、楓の存在そのもがって言ってるんだよ?」


 夏煌さんは頬に添えたわたしの手に自身の手を重ねると、逆の手でわたしの背中を手繰り寄せ、抱きしめた。低く甘い声が耳元をくすぐる。


「わ、わたしの存在?」

「そう」


 身体を離し、夏煌さんがおでこを寄せる。


「次同じことをしてきたら、キスするからね」

「!?」


 真っ赤な顔で飛び跳ねるわたしを見て、夏煌さんがくすりと笑う。


「だって俺がこんなに我慢してるのに、好きな子から触れたら抑えがきかないよ」


 ちゅっ、と頬にキスをされたわたしは、口をパクパクとさせた。

 わたしを見下ろす夏煌さんは色っぽくて。わたしはドキドキと心臓が忙しく動き、何も言えなかった。



 それから夏煌さんは出かけて行き、わたしは部屋でぽーっとしている。

 キスをされた頬がまだ熱を持っている。


(そういえば初めてここに来たときも頬にキスされて……)


 あれから色々あったなと思い返す。夏煌さんはわたしへの感情を我慢しなくなったけど、嫌がることはしない。最初から一貫してわたしを優先してくれている。


(やっぱり大人だよなあ)


 ときどき可愛く見えるけど、夏煌さんはわたしよりもずっと大人の男の人で。


(夏煌さんはああ言ってくれたけど、わたしに何ができるか考えよう)


 うん、と自分に気合いを入れたところで、インターホンが鳴った。


(誰だろう?)


 ここに来る人といえば月城さんくらいだ。

 インターホンがある所まで行き、モニターを見たわたしはひゅっと息が詰まった。

 モニターには父と義母が映し出されている。


(どうしてここに?)


 勝手に開けるわけにもいかない。震える指で、モニターを切ろうとしたとき、義母が悲痛な声で叫んだ。


「いるんでしょう!? 出てきなさい! あんたのせいで凛が……凛が!」

「凛が……どうしたんですか?」


 ただ事ではない義母の様子に、わたしは恐る恐るインターホン越しに問いかけた。

 モニターの向こうでは、泣きじゃくる義母の肩を抱き、父が前に出た。


「柊様が婚約者をお前に変更すると、本家で発表がなされた」

「えっ!?」


 唐突な話に驚くことしかできない。


「凛は今、本家の座敷牢に捕らわれている」

「何で凛が……」


 父の言葉に驚いていると、義母が鬼のような形相で涙ながらに叫んだ。


「全部、あんたのせいでしょう!」


 そんな義母の背中を撫で、父が説明を引き継ぐ。


「楓、うちは今、月之院と関わったことで日ノ宮本家から処分が下されようとしている。柊様は、お前が大人しく本家に参上すれば凛を解放するとおっしゃった」

「そんな……」


 たじろぐわたしを、モニター越しの義母が睨む。


「早く! 早く私の娘を……凛を返しなさい! 無能なくせに迷惑ばかりかけて!」

「……っ!」


 一気に暗い気持ちが流れ込み、怯んでしまう。


「楓、無能なお前が我が家の役に立つまたとない機会だ。一緒に本家へ行くんだ」


(どうしたら……)


 父の言葉がわたしを追い立てる。

 今さら、日ノ宮に、この人たちに搾取される気はない。だけど――


(夏煌さんに甘えてばかりじゃだめだよね。自分の足で隣に立てるようにならないと。柊ちゃんには正面からきちんとお断りしよう)


 決意を胸に、わたしは玄関まで行き扉を開けた。

 すぐ目の前には父と義母が立っていて、わたしを見た義母は即座に平手打ちをしてきた。


「鬼の子が!!」


 バシッと強い力で叩かれ、身体を飛ばされたわたしは玄関の扉に背中を打ちつける。


「……っっ!」


 痛みでその場に座り込むと、義母を宥めていた父から冷めた目で見下ろされた。


「早く凛と引き換えにしてもらおう」


(もうこの人たちのところはわたしが帰る場所じゃないんだ。凛を解放したら、わたしも帰ろう。夏煌さんの元に――)


 心の中で家族との決別をしたわたしに残ったのは、夏煌さんへの想いだけだった。

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