第27話 不穏な空気

「お姉ちゃんは生贄じゃなかったの? どういうこと……?」


 楓を連れ去る夏煌の後ろ姿を見つめながら、凛は呆然としていた。

 夏煌が楓を見つめる眼差しや触れる手つきを見れば、一目瞭然だった。


「凛」

「しゅ、柊!」


 いつの間にか背後に立っていた柊に凛はぎょっとしつつも、慌てて駆け寄った。先ほどの会話が聞かれていたかの心配よりも、自分の疑問をぶつけるのが先だった。


「ねえ、月之院は日ノ宮の血が欲しかっただけなんじゃないの? あれじゃあ本当にお姉ちゃんが夏煌さまに愛されてるみたいだわ」

「それが月之院のやり口なんだよ。でも、凛は楓を取り返すのに失敗したみたいだね?」


 いつも通り穏やかな口調なのに、目の奥は笑っていない。凛は柊の言いようのない空気に恐怖を感じた。


「待って柊! お姉ちゃんはあたしが必ず日ノ宮に帰してみせるから!」

「君と入れ替わって?」

「っ!」


 焦って出した言葉を柊はぴしゃりと跳ね除けた。


(さっきの話、やっぱり聞かれて……)


 じりじりと迫る柊に、凛は思わず後ずさりする。


「っ!」


 背中がバルコニーの柵に行き当たり、これ以上逃げられない。


「しゅ、柊? あんなのお姉ちゃんを連れ戻す嘘に決まってるじゃない! だってあたしたち愛し合っているでしょう?」


 追い詰められた凛が必死に訴える。凛は柊が彼女を好きすぎるあまり嫉妬しているのだと考えた。


「君は本当に愚かな子だね、凛」


 目の前に立った柊は、自身の右手で凛の頬を包み込んだ。


「日ノ宮の血を月之院に渡すわけにはいかない。せっかく奪った鬼姫の力を取り戻させるなんて」

「柊? 何を言っているの?」


 目の前の人物が本当に自分の婚約者なのかと、凛は恐ろしくなった。

 穏やかで生真面目、しかしときに情熱的な愛を示す――そのどちらでもない。柊は狂気じみた笑みで凛を囚えた。


「あなた――……んっ!」


 目を逸らせないまま、柊が強引にキスで唇を塞いだ。


「んんっ……ん――!?」


 口内にねじ込まれた何かを確認する間もなく、凛はがくんと崩れ落ちた。その身体を柊が抱きとめ、怪しく微笑んだ。


「凛、君には楓を取り戻すための贄になってもらうよ。楓は優しいからね。必ず助けに来てくれるさ」


◇◇◇


「!?」


 凛は目を覚ますと、日ノ宮本家の奥座敷にいることを認識した。柊の私室であり、何度か訪れた場所だ。そして自分の置かれた状況に驚愕する。手足を帯留めで縛られ、身体は天井から吊り上げられていたからだ。


「目が覚めた?」

「柊!」


 畳の上で寛ぐ柊が凛を見上げている。凛は自分をこんな状態にしたのが誰なのか、すぐに理解した。


「ねえ、あたし、こういう趣味はないんだけど?」


 手足を動かすがびくともせず、凛は不機嫌そうに柊を見た。


「まだ状況が理解できていないようだね」

「!?」


 柊が手をかざすと、凛から力が抜け、がくりと前に倒れ込む。天井に吊られているため、身体が畳に叩きつけられることはない。


「なにを……したの?」


 顔を歪めた凛が柊を見る。そのとき、ふすまの向こうから日ノ宮の解呪師が声をかけてきた。


「柊様」


(助けて!)


 力が入らず、声が出ない。必死にふすまの向こうに助けを求めようとする凛を気にすることなく、柊はふすまを少しだけ開け、何やら話した。


「そうか……!」


 柊は何やら嬉しそうに声を弾ませると、ふすまを閉めた。


「くく、まさか楓のほうにこそ強い力が現れていたなんてな」

「おねえ、ちゃん?」


 楽しそうに笑う柊の口から姉の名前があがり、凛は顔を歪めた。


「ふふ、可哀相に。凛、君は私の伴侶から愛妾に降格だ」

「!? 何言って――」


 ようやく出た声を荒げるも、凛の唇を柊の人差し指が押さえた。


「でも大丈夫。凛、君は私の力の糧にするため、食らってあげるからね」


 ニタアと笑った柊の口から鋭い牙がのぞき、凛は息をのんだ。


「あ……悪鬼……! かはっ!」


 柊の中に潜む正体を言い当てたときには、凛は首を絞められていた。


「やめ……柊……!」


 抵抗しようとする凛の首に絡めた手に、柊はさらに力を入れる。


「悪鬼は月之院のほうだ。日ノ宮が君臨するのに邪魔な存在……。今度こそ壊滅させてやる」

「あなた……だ、れ」


 問おうとして合わせた目線は外れ、凛はがくりと意識を失った。

 柊は凛の首を解放し、舌を這わせる。べろりと凛の首を舐めあげると、霊力を吸い上げた。


「君は繋ぎだが、まだ命は取らない。大事な楓を取り戻さないといけないからね」


 妖しく笑う柊は唇をぺろりとなぞり、奥の部屋に続くふすまを開けた。


 そこには凛と同じように天井から吊り下げられた日ノ宮の若い女性たちが四人ほどいた。

 皆、顔に精気はなく、意識も朦朧としている。


「こいつらももうダメだな。新しい女を手配させるか。当主の相手と言えば喜んでほいほい部屋にあがるからな」


 四人へ舐めまわすように視線を向けたあと、柊は順番に女性の首へ吸い付いていった。


「最後の一滴まで私の糧にしてやる。それこそが日ノ宮に生まれた女の誉れ。そしてわたしに選ばれた頂点の女こそが後継を産むことが許される。凛はあと一歩だったのに残念だね」


 霊力を吸い終わり柊が手を叩くと、一族の一人が走って来る。


「お呼びでしょうか」

「ああ。この女たちを処分しておけ。それから、凛の両親へ手紙を出しておけ」

「承知いたしました」


 男は柊から手紙を受け取ると、足早に去って行った。


「ふふ。楓、君は私に選ばれた女だ。喜ぶといい」

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