第24話 真実と変わらない想い
「楓っっ!!」
翌朝、いつも通り朝食の用意をしていると、夏煌さんが慌ててダイニングに駆けこんで来た。
「おはようございます」
振り返って挨拶をすると、夏煌さんはひどく安堵した顔を見せた。
「良かった……」
そのままわたしを引き寄せ、抱きしめる。
「愛してるよ、楓」
わたしに届けようとする夏煌さんの切ない想いが耳を伝って、心臓に達する。
「愛してる……どれだけ伝えても、これ以外の言葉が出てこない」
「あの、もうわかりましたので大丈夫です……」
愛を囁かれるのが恥ずかしくて、わたしは彼の胸を押して顔を逸らしてしまう。
「楓にだけは気持ちを疑われたくないから」
「……もう疑いません」
わたしを窺うような目で覗き込む夏煌さんが子犬のようで、わたしの胸がきゅんと音を鳴らす。わたしの返事に嬉しそうに笑うと、夏煌さんは思い出したかのように言った。
「あ、そうだ。楓の妹が君に見せた写真、合成だからね」
「えっ!?」
「楓は素直すぎるから、疑うことも覚えないとね」
凛がそこまでしたことに驚いた。と同時に、冷静ではなかった自分に恥ずかしくなる。
(凛が夏煌さんに接触できる機会なんてなかったはずだもの)
夏煌さんは会社の仕事と解呪師の稼業を、わたしの面倒を見ながらこなしていたのだから。
そのせいで昨夜は倒れてしまったのに。
「あの……。――――っ!?」
謝罪しようと顔を上げたわたしはぎょっとした。
「合成だったか確かめてみる?」
夏煌さんがシャツのボタンをはずし、脱ごうとしていたからだ。
「大丈夫です!」
右肩が露わになった夏煌さんはセクシーすぎて、わたしは慌てて顔を逸らすと同時に、確かめるのをお断りした。
「そう? 俺の無実は証明された?」
シャツを直した夏煌さんは、わたしの顎を優しくすくい上げる。
「俺が愛しているのは楓だけだからね?」
「――っっ!!」
潤ませた瞳を至近距離で向けられ、わたしの心臓はバクバクだ。
スマートでかっこいい大人の印象だった夏煌さんは、甘く愛を囁いてくれるところはいつもと変わらないのに、素を見せてくれるようになった気がする。
昨日わたしに想いを晒してくれたからだと思うけど、その甘さが容赦なくなって、たじたじになってしまう。
「俺は楓しか見てないから。そこだけは誤解されたら死ぬ」
「わ、わかりましたから!」
必死にわたしへ訴える夏煌さんが可愛いと思いつつも、おでこがつきそうなくらいの至近距離に心臓がもたない。
慌ててわかったと伝えれば、夏煌さんは嬉しそうにはにかみ、ようやくわたしを解放してくれた。
「あの、わたしからもお願いが」
「何!?」
落ち着いたところで、改めて夏煌さんを見上げる。彼はぱっと顔を輝かせ、期待に満ちた目でわたしを見た。
「恥ずかしいので、わたしの写真を持ち歩くのはやめてもらえませんか?」
月城さんに教えてもらった話によると、夏煌さんはことあるごとに写真入れを取り出しては眺め、写真にキスまでしているとか。それは月之院家でも有名な話で、みんな表立って聞けないが、相手は誰なのかと常に噂になっているらしい。
夏煌さんの気持ちは嬉しいけど、恥ずかしい気持ちのほうが上で。凛のように可愛いならいいけど、わたしみたいな地味な子が噂の子なんて申し訳なさすぎる。
「楓のお願いでもそれだけは却下」
「でも……」
どんどん下がる視線を夏煌さんに戻す。彼はとろけるような甘い表情でわたしの手を取った。
「じゃあ、写真の代わりに本物を常に側に置いて良いのかな?」
「???」
目をぱちくりさせるわたしに夏煌さんは意地悪な顔で続ける。
「仕事のときはもちろん、寝るときもお風呂のときだって――」
「どうぞ写真を持ち歩いてください!!」
ぎょっとしたわたしは思わず声をあげてから、しまったと思った。
「ほんと? ありがとう」
「~~っ!」
ほくほくと笑う夏煌さんに、言いくるめられたことに気づく。お風呂にまで写真を持っていくわけがないんだから。
(え、ないよ……ね?)
にこにこと嬉しそうにわたしの腰に手を回した夏煌さんを見て、わたしは考えるのをやめた。夏煌さんがわたしの写真なんかで本当に幸せそうにしてくれるのが嬉しかったから。
「楓、朝食を終えたら昨日話そうとしていたこと、改めて聞いて欲しい」
「はい」
真剣な顔の夏煌さんに頷いた。
夏煌さんは昨日、話があると言っていた。最初から説明してくれるつもりだったのだ。
(それなのにわたし、凛の言うことを真に受けて迷惑かけて)
「楓、君は何も悪くないんだからね。君に嫌われたくなくて、話を先延ばしにした俺が悪いんだから」
「そんな……」
夏煌さんは、どこまでもわたしを甘やかしてくれる。
(甘えているだけじゃダメだ)
優しく微笑む夏煌さんに、このままじゃいけないと思った。
朝食後、わたしたちはリビングに場所を移した。
ソファーに並んで腰かけると、夏煌さんが話し始める。
「日ノ宮家には日ノ宮当主と鬼姫が恋に落ちて結婚した話が伝わっているんだよね?」
「はい」
日ノ宮に生まれた者なら、誰でも幼いころから聞かされる話だ。
「鬼姫は確かに人間と恋に落ちた。でもそれは、語り継がれている日ノ宮当主が相手じゃないんだ」
「えっ」
驚くわたしに頷くと、夏煌さんは続ける。
「鬼の力を得ようとした日ノ宮の当主が、その男を人質にして鬼姫を無理やり自分のものにしたんだ」
「ひどい……!」
憤るわたしの手を夏煌さんが握ってくれる。わたしは落ち着くと、再び耳を傾ける。
「鬼姫を取り戻そうとしたのが、一族でもある月之院だ。しかし鬼姫は恋人のために争いを望まなかった。そうこうするうちに日ノ宮が鬼姫に産ませた子供が強大な力を持ち、あやかしを狩り始めた。戦う者もいたが、月之院は鬼姫の意向を守る形で姿を消した。そしてすべてを鬼のせいにして、日ノ宮は解呪師としての地位を確立させた」
「日ノ宮が鬼の一族を迫害したんですね……」
「楓が気に病むことじゃないよ」
申し訳ない気持ちでいっぱいになれば、夏煌さんが握っていたわたしの手をもう片方の手で包んだ。
「水面下で月之院も動いてきた。社会的地位を得て、怪異にも密かに対応してきた。そうして時代が移り変わり、月之院が日ノ宮を凌ぐ地位を築いたころ、日ノ宮のトップには存在が明らかになった。しかし解呪師の仕事は国を通して月之院が実権を握っていたから、日ノ宮も手を出してくることはなく、お互い距離を取りながら今日に至る」
「そうだったんですね」
知られていない月之院の成り立ちには驚いたけど、すんなり頭に入ってきた。
(トップは知っているということは、柊ちゃんも知っているんだよね? 凛が聞いたっていう話は……?)
「日ノ宮を悪く言ってすまない。でも信じて欲しい」
考え込んでいると、真剣な瞳がすぐ目の前にあった。わたしの手を握るその手は震えている。
「わたし、悪い気はわかるので月之院さんのこと信じます。日ノ宮は都合のいいように史実を捻じ曲げて伝えてきたんですね」
「楓……」
まっすぐに夏煌さんを見れば、彼は泣きそうな表情をしている。
「そんな酷いことをしてきた日ノ宮の人間なのに、月之院さんはわたしなんかに優しくしてくれて……」
「かーえで、わたしなんかって言うの、禁止でしょ? 楓は素敵な女の子なんだから」
わたしとの距離を詰めた夏煌さんは、おでこを突き合わせる。
「まだ自信ない?」
黙ってしまったわたしへ夏煌さんが上目遣いで視線を向ける。
「はい」
返事をしたわたしに、さらに顔を寄せる。
「俺がこんなに楓のことを愛しているのに?」
「! ……それは……伝わっています」
「楓!」
夏煌さんは顔を輝かせると、わたしを抱きしめた。
ストレートに感情をぶつけてくる夏煌さんは、どうやら本当に繕うのをやめたらしい。
「俺は楓と結婚したい」
「っ……」
身体を離し、夏煌さんがまっすぐにわたしを見る。言い淀むわたしに彼は穏やかに笑った。
「10年待ったんだ。いつまでも待つよ。また『夏煌』って呼んでくれるのもね」
「あ……」
昨日は呼べたはずなのに、恥ずかしくてまた夏煌さんを名前で呼べずにいた。そのことを彼は気づいていたのだ。赤くなるわたしの耳に唇を近付け、囁く。
「ただし、楓が俺を見てくれるまで逃がさないからね」
(!! 逃がさないって、そういう……!)
ことごとく昨日の会話を誤解していたことに気づかされる。
『まあ、夏煌様の十年分の想いがどんだけ重いか、楓ちゃんはこれから知っていきなよ』
月城さんの言葉が思い出され、わたしは夏煌さんの愛の深さを今さらながらに思い知った気がした。
「そうだ楓、時任会長から快気祝いパーティーの招待状が届いているんだ。喪が明けたし、この前のお礼もかねてらしいから一緒に行こう」
夏煌さんが思い出したと、わたしを覗き込んで言った。
「わたしもですか?」
「だって会長を助けたのは楓だよ。一緒に行って欲しい」
「はい……」
誇らしげにわたしを見る夏煌さんに、胸がきゅうっとした。わたしはそんな彼に吸い込まれるように返事をした。
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