第23話 十年分の想い

「はあっ、はあ……」


 月之院さんのマンションを飛び出したわたしは、気づけば大きな公園まで来ていた。どこをどう走ったのかわからない。太陽がまだジリジリと照りつけているせいか、公園内に人はいなかった。


「ここ……?」


 足を踏み入れればどこか既視感があり、辺りを見回す。「清鬼公園」と書かれた看板を見つける。


(解呪師と関係があるのかな?)


 呪詛の埋められている場所は人が多く集まるところが多く、公園もその最たるだ。


 奥に進めば大木が生い茂り、森のようだった。


(やっぱりここ……)


 都内でこれほどの敷地面積を有する公園は一つしかない。


(あの男の子……月之院さんと出会った場所だ)


 どうしてこんなときに、この場所に辿り着いてしまったのか。

 皮肉だと思いながらも、公園の奥へと足を進める。


「わたし、行くところがないんだなあ」


 月之院さんの所を出たところで、日ノ宮にわたしの居場所はない。

 凛に搾取され、生きている価値さえ見出せない――


「月之院さんはずっと優しかったのに、わたし――」


 月之院さんと過ごしたこの二週間、わたしには幸せな時間だったんだと思い知る。

 それなのにわたしは凛の言葉に囚われ、月之院さんの話を聞こうとさえしなかった。


「わたしっ……、バカだ」


 涙がぽろぽろと滑り落ちてゆく。


「楓ちゃん、いた!」


 木立ち道の途中で進めなくなってしまったわたしは、背後から聞こえた月城さんの声に振り向いた。

 月城さんは息を切らしながらわたしの側まで走って来た。


「どうしてここに……」

「ごめん、鬼火に君を追わせた」


 涙で視界がかすむも、月城さんの申し訳なさそうな声で、彼がどういう表情をしているのか想像できた。


「わたしは監視されていたんでしたね」

「それは否定しない」


 自虐的な発言をしたのは自分なのに、月城さんの言葉に傷付く自分は勝手だ。


「月之院さんは優しいから、わたしに同情してくれたんでしょうか」


 止まらない涙を拭いながら月城さんを見る。彼は少し考えて、真面目な顔で言った。いつも明るい彼は、こんな表情を見せたことがない。


「……それは本人に聞いて。夏煌様は情けないヘタレのストーカーだけどさ、楓ちゃんを迎えに来るために海外で必死に頑張っていたんだ。それだけは知っていて欲しい」

「海外?」


 わたしは月之院さんのことを知らなすぎる。月城さんの言葉に目をぱちくりさせると、彼は表情を緩めた。


「そう。夏煌様がすぐに楓ちゃんを迎えに来られなかったのは月之院の表事業、社長としての勉強と経験を積むために海外に飛ばされていたから。そして、君を見守るために俺や鬼火を付けたんだ」

「楓!」


 月城さんの説明が終わるとともに、彼越しに月之院さんの姿が目に飛び込んだ。

 月之院さんはここまで走ってくると、足を止め、汗だくの額を腕で拭った。


「あとはお二人でどうぞ」


 肩で息をする月之院さんと戸惑うわたしを交互に見た月城さんは、にかっと笑った。



 月城さんを残し、わたしと月之院さんは木立ち道の奥へと歩いて行く。

 お互い無言で、わたしは月之院さんの後ろを付く形で、彼は時折心配そうにわたしを振り返りながら奥へと進んだ。彼のその様子は優しさにあふれていて、胸がきゅうとなった。


 道を抜けると、開けた場所に出る。木々の間から光が差し込み、白と紅を照らす。


「ここ……」

「楓が俺を助けてくれた場所」


 咲き誇るハスをバックに、月之院さんがわたしに振り返る。


「日ノ宮が呪詛を鬼のせいにして解呪師を語っていると聞いた俺は、幼いながらに憤り、亮磨を連れて解呪の現場に来てしまったんだ」


 昔話を始めた月之院さんに、わたしはじっと黙って耳を傾ける。


「あの頃の俺は、まだ言霊を上手く操れていなかった。亮磨ともはぐれ、呪詛を発見するも瘴気にやられて気分が悪くなった。そこを助けてくれたのが楓だ」


『どうしたの? 大丈夫?』


 ――十年前、金色の髪の綺麗な男の子が涙目でうずくまっていたのが鮮明に思い出される。

 あのときは夜で、月の光が彼の金髪を照らしていたけど、今は日の光がキラキラと彼の黒髪をきらめかせている。


「あのときの楓の手を――温かさを忘れたことはない」


 ためらいがちに月之院さんがわたしの手に触れる。


「楓が日ノ宮の人間だとわかっても、好きにならずにはいられなかった」


 真剣な彼の瞳に吸い寄せられるようで、心臓が高鳴っていく。


「それからも亮磨に楓のことを調べさせて……俺は『柊ちゃん』に負けまいと楓との約束に意固地になって、君の前に姿を現せなかった。そうこうするうちに留学が決まって……」

「そうだったんですか……。でも日ノ宮であるわたしを警戒していたんですよね? 監視するうちに、惨めなわたしに同情してくれるようになったんですか?」


 彼の言葉を、想いを信じたいのに、裏腹な言葉が出てしまう。

 月之院さんが血相を変えてすぐに否定した。


「違う! 楓をすぐに迎えに行けなかったのはすまないと思っている! それなのに俺は、楓が日ノ宮当主の婚約者に選ばれなくて安堵するどころか、最低なことを思った」

「最低なこと?」

「苦しむ楓の前に、月之院のトップになった俺がカッコよく現れれば、楓は俺を選んでくれるだろうって」


 辛そうな表情の彼に、わたしは何て言っていいかわからず黙った。


「カッコ悪くて最低だろう? それでも俺は君を諦めきれなくて、やっと日本に帰って来て……楓が泣いているのを見て、いてもたってもいられず会いに行った」

「じゃあ、何で初めて会ったときに名乗ってくれなかったんですか?」


 ――あのとき、今の気持ちを聞かせてくれていたら。


 月之院さんの真剣な想いに泣きそうになったわたしは拗ねてみせた。


「そのときは社長に就任していなかったから」


 いたって真剣に答える月之院さんを見て、目が点になる。


「それだけ?」

「ああ」

「ぷっ……ほんとに!? そんな理由!?」


 彼のしょんぼりとする顔がおかしくて、わたしは吹き出してしまった。

 月之院さんは子供のころに交わした約束を本気で守ってくれたのだ。


「こんなカッコ悪いところ、楓に見せるつもりはなかった」


 顔を赤らめ、わたしから目を逸らす月之院さんが可愛く思えて、わたしは彼の胸に飛び込んだ。


「楓!?」


 狼狽える月之院さんが両手を上げ、宙に漂わせている。

 わたしはずっと心の底にあった気持ちを彼に吐き出した。


「わたしは、ずっと迎えに来て欲しかった! あの家から連れ出して欲しかったのに!」

「ああ……。すまない」


 わたしの叫びごと、月之院さんが優しく抱きしめてくれる。


「全部……本当のことを教えてください。日ノ宮と月之院のこと。月之院さんの――夏煌さんのことなら全部信じますから」


 彼の腕の中、見上げれば宝石のような目と視線が合う。


「楓……」


 その目は熱を孕みつつもキラキラと輝いて見える。

 わたしの心拍数が規則正しく音を響かせる。それが最高潮に達しようとしたとき、夏煌さんの唇がキスをしそうな距離まで迫った。


「夏煌さん!?」


 唇が合わさることなく、彼はわたしに体重を預けるように倒れ込んだ。


「あーあ、充電切れだ」

「きゃ!?」


 どこからともなく現れた月城さんが、ひょいっと夏煌さんの肩を支える。


(い、いいい、いまの見られて!?)


 赤い顔で月城さんを見上げれば、にかっと笑顔が返ってきた。


「夏煌様、楓ちゃんとの同棲に浮かれてさあ。仕事つめつめで解呪の仕事までしてたから、キャパオーバー。解呪なんて一族の奴らに振ればいいのにさ。よっぽど楓ちゃんと一緒にいたかったんだね」

「もしかしてわたしが参加するたびに……?」


 月城さんの説明を聞いてから、よーく夏煌さんを見れば、目の下にクマができている。


(わたし、自分のことばかりで気づけなかった)


「そう。楓ちゃんに解呪を手伝ってもらうときは絶対に自分も行くって聞かなくてさ」

「どうしてそこまで……」


 わたしを見た月城さんの顔がふはっと笑って崩れた。


「それ言っちゃう? 楓ちゃんのことが好きだからでしょう」


 月城さんの言葉で顔に熱が集まる。


「夏煌様、楓ちゃんの前ではカッコつけてるけど、バカみたいに一途でさ。虐げられてきた楓ちゃんに何もできなかったぶん、甘やかして愛してやるっていつも言ってたよ」


 夏煌さんは毎日、わたしに愛を伝えてくれていた。

 それはわたしを騙そうとか、取り込もうといった打算があってのことじゃない。夏煌さんの表情を思い返せば、わかることだった。


「ごめんなさい……」


 月城さんに支えられ、眠る夏煌さんの顔を覗き込む。


「楓ちゃん、夏煌さまのキモイとこ、もう一個教えてあげる。胸ポケット探ってみて」


 いたずらっ子のような顔をした月城さんが、夏煌さんのスーツをめくり、わたしにポケットを差し出した。

 ポケットに手を入れてみると、そこには折りたたまれた革のケースが入っていた。月城さんが「開いてみて」とジェスチャーで伝える。


「!?!?」


 中を見たわたしは、真っ赤になって絶句した。

 そこには、アルバイトをしていたほうじ茶カフェの制服を着た私が写っていた。反対側には、まだ幼いころのわたしの写真まで収められている。


(夏煌さん、これをずっと持ち歩いて!?)


「まあ、夏煌様の十年分の想いがどんだけ重いか、楓ちゃんはこれから知っていけばいいよ」


 口をパクパクさせるわたしを見ながら、月城さんが意地悪く微笑んだ。

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