第19話 名前を呼んで
「あのっ、月之院さんっ……」
試着用のカーテンを開け、わたしは戸惑いながらも月之院さんに声をかけた。
この試着している部屋は一つの個室になっていて、わたしはカーテンで仕切られた広い場所で、さきほどから女性の店員さんにたくさんのドレスを着替えさせられ、まるで着せ替え人形のようだ。
わたしに呼びかけられた月之院さんはソファーで本を手にくつろいでおり、視線だけをこちらに向ける。
「楓はいつになったら俺のことを夏煌と呼んでくれるのかな?」
「そ、そんなことより、困ります! 服は十分すぎるほどいただいたので、これ以上は……!」
大人の色気を漂わせ微笑む月之院さんが論点をずらすので、わたしは必死に訴えた。
今日月之院さんはお休みらしく、朝食を終えるとわたしをこのブティックに連れて来てくれた。
高級ブティックが立ち並ぶ、この銀華という街だけでも緊張するのに、こんなお店は気後れしてしまう。それに月之院さんからはすでに素敵なワンピースをたくさん贈られていた。
「残念。そんなことよりかあ」
残念と言いながら、余裕そうに笑う月之院さんがとんでもないことを言い出した。
「楓は何を着ても可愛いからね。なんならこの店ごと買い占めようか?」
「!? そんなに着られません!」
慌てて否定するわたしは、着替えを手伝ってくれていた店員さんにも「冗談ですからね!?」と必死に伝える。
店員さんはニコニコと立っていて、動じない。さすがだ。慌てているのはわたしだけだった。
「そう? じゃあそれだけにしておこうか」
くすっと笑った月之院さんが、今着ているわたしの服を指差すと、店員さんが素早く動き、あっという間にお会計の手続きをとっているようだった。
「~~っ……!」
言いくるめられたようで困惑していると、月之院さんがわたしのところまで来て手を取る。大人の余裕というやつだろうか。穏やかに微笑み、わたしを見つめる。あたふたするわたしは子供で、何だか恥ずかしくなった。
(わたし、こんなに甘やかされていいのかな?)
月之院さんに連れ出されてからは毎日が穏やかで。わたしは幸せを感じていた。
「せっかくの夏休み、楓には解呪に付き合わせてしまっているから、そのお詫びだと思って欲しいな」
月之院さんにソファーまで導かれ、隣に腰掛けた。
テーブルの上にはアイスティーが用意されていて、わたしはそれに口をつけた。
月之院さんのマンションでお世話になって十日が経った。
(お世話になる代わりに解呪を手伝っているんだよね?)
あれからもわたしは夜になると月之院さんと解呪に赴き、浄化を行っている。
月之院さんを手伝っていて驚いたことがある。それは月之院家が膨大な解呪を担っていたことだ。
日ノ宮への要請なんて微々たるものだ。呪詛がこんなにも存在していたことにも驚いたし、邪鬼が湧いて被害が出る前に月之院家が対処していたことを知らなかった。国を守る月之院が信頼を得ているのは当然のことで。
それを妬んでよく思っていない日ノ宮が恥ずかしくも思った。
「お詫びなんて、そんな……」
当然のことなのに、月之院さんはわたしを甘やかす。それがくすぐったくて、なんだか嬉しいと思ってしまう自分がいるのに戸惑っていた。
「呪詛は昔、鬼の一族が仕掛けたもの……その割には多すぎませんか」
話を変えるように疑問に思っていたことを口にした。
「早く解決して楓と結婚したい」
「!?」
その疑問に答えは与えられず、月之院さんがわたしに顔を近付けて囁いた。
月之院さんは、隙あれば愛を囁いてくれる。わたしはいつまでも慣れなくて、真っ赤になってしまう。
「外でそんなことを言うのはやめてください……」
「なぜ?」
恥ずかしさで目を逸らせば、月之院さんに手を取られ、詰め寄られる。
「なぜって……」
ちらりと部屋を見渡せば、いつの間にか店員さんは姿を消していた。この部屋には月之院さんとわたしの二人きり。
「……!」
それがわかり、ますます顔が熱くなっていく。
「俺は楓がわかってくれるまで愛を伝え続けるよ」
「月之院さ――」
取られた手を彼の背に回され、腰を寄せられる。バランスを崩したわたしは、ソファーの背もたれに倒れ込んだ。
月之院さんはわたしから手を放さず、覆いかぶさるように視線を注ぐ。
「夏煌」
「っっ……」
彼の熱い眼差しがわたしに迫る。
「呼んで? 楓……」
「ひゃっ……」
耳元で甘く囁かれ、ぞくぞくと身体がしびれるような感覚がした。
心臓は煩く音を立て、ここから逃げ出してしまいたいくらい恥ずかしい。
彼はわたしの手を掴んでいた手と逆の手で、わたしの頬を撫でると、指を唇に這わせた。
「呼んで、楓」
ドッドッドッ、とわたしの心臓は最高潮に達し、涙が滲む。
その美しい顔がわたしに懇願している。形の整った色っぽい唇からわたしの名前を発している。
わたしはぎゅっと目をつぶった。
「な――」
ピリリリリ
決意を固めた瞬間、月之院さんの携帯が鳴った。
目を合わせた月之院さんは、ふっと笑みを作ると、わたしの頭に優しく手を置いた。
「俺だ」
そして電話に出ると立ち上がり、部屋を出て行った。
わたしは月之院さんを見送りながら、ただただ煩い心臓を押さえつけるように、ソファーに沈み込んだ。
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