第15話  浄化の力

 大きな邸宅の前に車が止まると、月之院さんが入り口で待っていた。


「楓、来てくれてありがとう。今日はゆっくりできた?」


 車のドアを開け、月之院さんが手を差し伸べてくれる。


「はい。おかげさまで」


 そこに自身の手を重ねると、優しく握られる。車を降りるとすぐに肩を寄せられた。


「楓がゆっくり過ごせたなら良かった」

「!?」


 頭にキスを落とされたわたしの心臓は飛び上がり、真っ赤になって彼を見た。


「どうした?」


 なんともないような顔で優しく笑う月之院さんに、わたしの顔はますます熱くなる。


(ハーフだからスキンシップが過剰なのかな?)


 変に意識しすぎる自分が恥ずかしくなった。


「月之院様、お待ちしておりました」


 立派な邸宅の玄関から五十代くらいの男性が出てきた。黒いスーツに、髪をオールバックにした姿は映画に出てくる執事のようだ。


「そちらの方は?」

 

 穏やかな声色ながらも、眼鏡の奥からじっと目線を向けられドキッとした。


「私の大切な女性です」

「!?」


 迷いなく答えた月之院さんに、わたしは慌てて彼と男性の顔を交互に見る。男性は驚いた顔を見せたが、すぐに目元を緩めた。


「月之院様の……そうですか。ではどうぞ」


 あっさりと納得した様子を見て、わたしは赤くなる。月之院さんを見上げれば、満足そうに微笑んでいた。


 わたしたちは中へと招かれ、最上階にある奥の部屋へと通された。

 男性はわたしたちだけを中に入れると、部屋の扉を閉めた。


 奥には天蓋のついた大きなベッドがあり、年配の男性が寝ている。


「これ……は……」

「やっぱり楓にはわかるみたいだね」


 その男性から放たれる瘴気に息を呑むと、月之院さんは満足そうに微笑み、わたしに説明する。


「呪詛が仕掛けられているね」

「呪詛!? 人に!?」


 呪詛は土地に埋められるものだ。人に仕掛けられるなんて聞いたことがない。

 驚くわたしに、月之院さんの落ち着いた声が語り掛ける。


「本来ならば土地に根付いた呪詛が放つ瘴気によって人が狂う――鬼化と名付けられているんだっけ? 一時、日ノ宮が力を持った時代に全て鬼のせいにされたんだよなあ」

「あなたは一体……」


 美しくも妖しいオーラをまとう月之院さんから目が離せない。

 月之院の成り立ちは神秘に包まれている。


(わたし、月之院さんのこと何も知らない)


 昔の優しい思い出だけが二人の間にはある。そして彼から注がれる愛に戸惑いながらも、わたしは甘えている。


(知りたい……。わたしは月之院さんのことをもっと知りたい)


「こんな話をしても、得体のしれない俺を怖がらずに知ろうとしてくれるんだね」


 眉を下げ、わたしの肩に窺うようにそっと触れる月之院さんをまっすぐに見上げた。


「あなたからは嫌な感じがしないから」


 彼が何者かなんてわからない。でも、瘴気から放たれるような嫌な感じはしない。鬼火から嫌な感じがしないように。

 

 彼が何者でもいい。それでも知りたいと、わたしは思ってしまった。こんな気持ちは初めてだった。


「そういうところ、好きだよ」

「!?」


 月之院さんは嬉しそうに目を細めると、またわたしの頭にキスを落とした。

 甘い言葉とスキンシップに心臓が煩く鼓動を打つ。


「夏煌さまー、ちゃっちゃと終わらせましょうよー」


 隅にいた月城さんが、我慢しきれずといった様子で声をかけた。


(わわ……月城さんもいたのに)


 月之院さんは車の中でも散々甘かったのに、今さらながら恥ずかしくなる。

 半目の月城さんを月之院さんは気にしていないようで。彼はすぐにお仕事モードになった。


「ああそうだな。楓、結界を張ってくれるかな?」

「は、はい!」


 わたしは慌てて両手を前で組んだ。

 命令ではなく、お願いされるなんて初めてで、胸の奥が熱くなった。


いずる――うたかた


 部屋をぐるりと囲むように薄いベールの幕が包みこむ。


「さすが楓! 言霊を操れるなんて、最高の解呪師だよ」


 月之院さんは結界が張られたのを確認すると、わたしの右手をすくいとり、キスをした。


「ひゃっ!?」


 結界を張れるのなんて大したことなくて。いつも当たり前に命令されて、褒められたことなんてなかった。

 月之院さんを見上げれば、本当に嬉しそうにわたしを見つめていて。

 いちいち甘すぎる賛辞には慣れないけど、なんだかくすぐったくて心が温かい。


「……こと、だま?」


 ふと聞きなれない言葉を反芻する。首をかしげたところでハッとした。


「――月之院さんっ!」


 彼の背中越しに異常をとらえ、わたしは呼びかけた。


 ベッドで寝ていた男性がゆらりと浮き上がり、こちらを見ている。その表情は狂気に満ちていて、鬼化しているのだとわかった。


「亮磨」

「了解」


 月之院さんはわたしを月城さんに預けると、男性に向き直った。


「離」

「グギャギャギャギャ」


 彼から放たれた一言で、男性からどす黒いバケモノが飛び出る。邪鬼だ。

 邪鬼から解放された男性は、そのままベッドへと崩れ落ちた。


「楓、これが言霊の力だよ」


 余裕の表情でわたしに視線を向ける月之院さんに、わたしは叫ぶ。


「危ない!」


 邪鬼が月之院さんへと飛びかかり、その鋭い爪が彼を切り裂こうとした。


「縛」

「ギャッ」


 微動だにせず月之院さんが発すると、邪鬼は一瞬で動きを封じられた。


「すごい……」

「あれがあの人の本領ですからね」


 圧倒されるわたしに、月城さんがニコニコしている。


「楓、邪鬼を浄化して」


 月之院さんが振り返って手を差し出してきた。


「わたし、封印さえできないのに浄化なんて――」

「大丈夫、できるよ」


 戸惑うわたしの手を取り微笑む彼に、吸い寄せられるように足を前に進ませる。


 動きを封じられている邪鬼は、恐ろしいうめき声をあげながらこちらを見ている。

 震えるわたしの肩を月之院さんが支えてくれ、なんとかそこまで歩くことができた。


「楓、一緒に。大丈夫、俺だけを見ていて」


 宝石のような綺麗な瞳がわたしを落ち着かせるように語りかける。


 わたしは月之院さんに手を重ねられたまま、一緒に邪鬼へと触れた。


 瞬間、パアンと眩い光がはじけ飛び、邪鬼はキラキラと消滅していった。


「ほら、できただろう?」


 なぜか月之院さんのほうが得意げに笑っていて。

 わたしは目の前で起きたことが信じられずにいた。


「わたし、本当に――?」


 ふっと気が緩んだわたしは、月之院さんの腕の中で気を失い、倒れた。


「楓はあのときのまま清らかな存在だ」


 意識を手放す直前、わたしの耳に届いたのは月之院さんの愛おしそうな声だった。


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