第2話 家族
わたしの家はアルバイト先のカフェから歩いて二十分ほどのところにある。
アパートの三階にある我が家は、至って普通の家だ。
日ノ宮の本家は都心の真ん中に大きなお屋敷を所有していて、一族の解呪師たちもそこに住んでいる。
「鬼火ちゃん、隠れて」
わたしは自分の家が明るいことを確認すると、鬼火を鞄の中に隠した。
両親と妹は夏休みに入るなり、本家が所有する別荘に出かけていた。いつもはアパートの共有口で別れる鬼火も、最近は家の中にまで入ってきていた。朝になるといなくなるけど、それでも寂しくなかったのは鬼火のおかげだと思う。
玄関の鍵は開いていて、中を覗くと家族の靴が散乱している。ダイニングからは楽しそうな話し声が聞こえてきて、わたしが帰ってきたことには気づいていないようだった。
(みんなが帰ってきても変わらないよね)
家族の中で空気と化しているわたしは、寂しい気持ちを押し込め、急いで部屋に向かう。
「あ、お姉ちゃん、いたの?」
わたしに気づいた妹の凛がわざとらしく声をかけてきて、わたしはびくりと身体を強張らせた。
「またアルバイト? 日ノ宮家の別荘、お姉ちゃんも来ればよかったのに。昔は柊ともよく遊んだじゃない」
わざと置いていかれたことを知っていながら、凛が殊勝な面持ちで言った。
子供のころは柊ちゃんと凛、三人で遊んだこともあった。でも今は違う。
「楓は日ノ宮家始まって以来の無能なんだから、一緒に行けばお前が恥ずかしい思いをするだけだよ」
「ええ、そんなことないのに」
「凛は優しいね」
椅子から立ち上がった父が凛の頭を撫でながら話す。凛はあどけない笑顔で答えている。
「ほんと、凛の足だけは引っ張らないでちょうだいね」
凛の肩を抱き義母が威圧的に言ってきたので、わたしは小さく頷いた。
父は日ノ宮の本家に取り立ててもらうため、わたしを柊ちゃんの嫁にしようと躍起になっていた。
日ノ宮でありながら日の目をみない父は劣等感の塊で、わたしはそんな父がのし上がるための道具でしかなかった。
母が他界するなり家に連れ込んだ今の義母には、一つ違いの妹がすでにおり、父が浮気をしていたことを知った。
それでも妹は可愛くて、柊ちゃんと三人でよく遊んだものだ。
――いつからかわたしはこの家で不当な扱いを受けるようになった。
わたしの解呪師としての力が発現せず、妹の凛に封印の力が現われると、父は凛にのめり込んだ。
凛はわたしと違って道具なんかではなく、父に愛されていた。
凛と比べられ、無能だと罵られる日々。義母からも無視され、わたしは家で孤立した。
両親から放置されたわたしは、冷蔵庫の食材で食事を作ることを覚え、一人で食べた。
中学に上がるころ、凛が柊ちゃんの婚約者に選ばれると、わたしは家政婦のような存在になった。
掃除や洗濯をし、家族の朝食を準備するようになった。夜は三人が出かけていないため、一人で過ごす。
いつからか寂しいという気持ちも錆びついてしまった。
こんな扱いを受けていたわたしだが、体裁のためか高校までは通わせてもらうことができた。
一人が嫌で、アルバイトも始めた。父からは本家の仕事に影響が出ないことを条件に許可をもらった。
父は妹の凛の邪魔にさえならなければ、わたしのことなんてどうでもいいように見えた。
娘でも姉でもない。家族の一員になれないわたしは、この家でじっと息を押し殺して生きていくしかなかった。
(早くこの家を出たい)
三人から逃げるように自室に駆けこむ。
部屋に入ると反射的に涙がこぼれた。
この涙が悲しいからなのかも、もうわからない。日ノ宮ではわたしという存在が消えてなくなる。
(柊ちゃんが凛を選んだのは当然のことなんだから)
机の上の写真たてに目をやると、幼い頃のわたしと柊ちゃんが写っている。
四歳年上の柊ちゃんは日ノ宮の次期当主で、解呪師としての能力も高い。優しくて努力家な彼が衰退していく日ノ宮を案じて凛を選ぶのは当然のことだった。
――その昔、あやかしと人間の間で争いがあった。
そんな中、あやかしの頂点に君臨する鬼の一族の娘と人間の男が恋に落ちた。
二人の間には特別な力を持った子供が生まれた。両種族が歩み寄れるよう二人を中心に話し合いが行われたが、鬼の一族は怒り、ますます人間側を攻撃してくるようになった。
長く続いた争いは、成長したその子供によって終止符が打たれる。
鬼の一族は滅亡し、平和な時代が訪れたと伝えられている。そして逆恨みをした鬼たちがばらまいたとされる呪詛が現代に残っている。
その呪詛は二人の子供が解呪し、安寧をもたらしてきた。それが解呪師の始まり、日ノ宮の成り立ちだ。
凛はその呪詛を封印する力を持つ。時代を経て日ノ宮の力が衰退していたので、本家も大層喜んだ。
解呪師の力を持つ一族が本家の敷地内に家を賜るのもそのためだ。
そして父にはその才はなく、一族に強い劣等感を抱いていた。だからわたしを柊ちゃんと結婚させようと躍起になっていたのだ。日ノ宮の系統から母を選び結婚するも、凛の母とも関係を持っていた。今ならわかる。母も父の道具だったのだと。そしてその娘も役に立たなければお払い箱で。
(ねえ、お母さんはわたしを愛していた?)
母の写真はすべて処分され、残っていない。幼い頃の記憶を必死に辿りながら問いかけた。
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