11 現実に負けるな
アガット国において、石炭はただの燃料として使われていて、蒸気機関などはまだ発明されていない。なのでガソリンによるエンジンや灯油のストーブなど望むべくもないであろう。
しかし田中信行は蒸気機関の仕組みなど学校で習ったはずなのによく覚えていない。とにかく蒸気を発生させてその空気に圧力を加える力で動かす機関を作れないか、とわたしはじいやに尋ねた。
「そんなむつかしいことをいっぺんに申されましても、このじいは困るばかりです」
じいやはよく分かっていない。たぶんこの世界の誰に言ってもこのリアクションだろう。
この世界の科学ってどれくらい進んでいるのだろう。アウルム王国のイメージは古代ローマ帝国なので、恐らく科学力も「タツノオトシゴはハゲに効く」くらいの感じではあるまいか。
じゃああれかな。プリニウスみたいな歴史家というか博物学者がいたりするのかな。まああまり田中信行の意識の外側に頼るわけにもいくまい。
そんな中、北方の農村に派遣した学者たちが帰ってきた。なんというか「キリストを礼拝する東方の博士」といった風情である。大丈夫なんだろうか。
「調べたところ、畑の土はたいへんよく燃えましたので、土に染み出しているのは油だと思われます」
「よろしい。それではさっそく油の採掘と蒸留による純度の高い油の精製、油で動く機械の開発を頼みます」
「そんなむつかしいことをいっぺんに申されましても」
博士たちの反応はじいやとほぼほぼ同じであった。
ああ、田中信行がもうちょっと車に興味があったら、エンジンだって作れたのに。
田中信行は令和の若者らしく車に興味がない。車なんて一生自力で買うことはないと思っていた。だって維持費やばそうじゃん。
きちんとした職に就いたわけでもないので免許も持っていないし、車をステイタスだと思っている人とは分かり合えないと思っている。
田舎の人間なので生活には車が必須なのだが、田中信行が家にずっといても家族が勝手に買い物なりなんなりに出かけるし、なにか用があれば乗せていってもらえるので気にしていなかったのだ。
それこそ「書籍化して印税が入ってくるようになったら免許とるかぁ」くらいの気持ちであった。
でもスニー●ー文庫の名作、「スー●ーカブ」はアニメも観るくらい好きだったので、それを観ていたときはちょっとバイクに憧れもした。
だが乗り物を買う実際的なお金を持っていないので、バイクは憧れで終わったのであった。
恨むぞ、田中信行。
とにかく田中信行は、まず蒸気機関の開発を博士たちに頼んだ。
博士たちは少し困っていたが、石炭が水を熱して出た蒸気で動く機械、と簡単に説明したら、つまりピストンのことか、と聞いてきたので、それだ、とわたしは答えた。
それと並行して、畑にしみ出した石油の利活用の方法も考えてもらうことになった。
博士たちは無理難題を押し付けられた顔をして帰っていった。
わたしだって無茶ぶりをしたと思っている。それでも作らねばならんのだ。
ため息をつく。猫が膝に乗ってきたのでひたすらヨシヨシして吸う。
猫を吸っているとなにやら廊下が騒がしくなった。
「申し上げます! アウルム王国軍が山の向こうの王都から出るのを見たと、峠の監視小屋から鳩で連絡がありました!」
「こちらに攻めてくるのですか?」
「いえ、まだなんとも」
「一応衛士たちの出撃の準備を。投石機も用意させなさい。籠城の支度も」
「ははぁっ!」
わたしは、いや田中信行はドンヨリした。うドンヨリそばが好きだ。
◇◇◇◇
戦争は愚かしいことであると原作・野坂●如、監督・高●勲のアニメ映画「火●るの墓」は言っている。配信で観られるようになって「ジ●リのアニメだ!」と喜んで見たアメリカ人が死屍累々……というのはいまのところどうでもいい。
いまやるべきは、ドロップと間違えておはじきをしゃぶる子供が出ないようにすることだ。独りぼっちで街の中に倒れて死んでしまう子供が出ないようにすることだ。
そのためになにができる。
考えろ、田中信行。
考えろ、アストリッド・アガット。
蒸気機関の研究や、石油の利活用にはまだまだ時間がかかるだろう。簡単にできてしまったらあまりにもWeb小説すぎる。
それでは現代知識で無双! というやつになってしまうし、そんな知識、田中信行にもアストリッド・アガットにもない。
ああ、大谷●平。ああ、藤井●太。彼らのように常人離れした人は間違いなくいるのに、その活躍を文字に起こすとただの行き過ぎたWeb小説である。
現実に勝つ必要はいまのところない。
これは野球小説でも将棋小説でもない。異世界ファンタジー小説だ。
それもアマチュア作家の考えた、途方もなくクソな異世界ファンタジー小説だ。
だからきっとデウス・エクス・マキナだって許されるはず。オラーツィオ・アウルムが攻め込んでくるころには蒸気機関車が完成していて、あのいけ好かない金髪野郎を轢いてミンチにできるかもしれない。
もっとこう、カメオスの地下に眠る大魔神が動き出してオラーツィオ・アウルムをポイしてくれるかもしれない。この世界は田中信行の想像力の外側に広がっているからだ。
しかしそれを、あのライトノベルの神様は許してくれるだろうか。
ライトノベルの神様は、田中信行に「面白いライトノベルを書いてカクヨムコンで受賞せよ」と言っていた。それはきっとデウス・エクス・マキナをするな、ということではないのか。
少なくとも面白い小説は、デウス・エクス・マキナで終わらない。
主人公が行動し成長することが大事、と、田中信行が読んだ脚本術の本は言っていた。
アストリッド・アガットは、成長しているだろうか?
民を守るのが、アストリッド・アガットの仕事である。自分の能力のなさを嘆いても成長するわけではない。いまは行動のときだ。
じいやに、相手の攻城やぐらより高い城壁を作れないか聞いてみる。
「今からでは遅かろうと思われますし、ここまでアスト姫様がもろもろお金を使ってしまわれましたので……」
じいやは実に歯切れ悪くそう答えた。
「つまり金欠、ということですか」
「ええ……シュタール国へのキャットフードの輸出も、まだ代金が届いておりませなんだ」
うーん異世界、コンビニ決済が欲しいな~!!!!
わたしは、いや田中信行は考えた。
「……経験でなく、歴史に学べ……」
「どうされました?」
「いちど黄泉の国に下ったので忘れてしまったのですが、この国は以前に戦争をしたことはあるのですか?」
「ええ、ございますよ。大昔ですがそれこそアウルム王国と何度か戦って、独立を勝ち得ております」
「そういうことは早く言ってください!!!!」
「アスト姫様がそこにご興味を持たれるとは思いませんでしたので……」
というわけで屋敷の書庫に向かう。じいやが書架の上のほうから歴史を記した「アガット国史」という書物を出してくれた。
ふむふむ、どれどれ。
さっそく開いてみると、アウルム王国との戦いで国土が傷つく様子が、丹念な筆致で綴られていた。
なんというかえねっちけーでやっていた、よしな●ふみ原作のSF時代劇「大●」の没日録のようだ。
歴代の執政官たちがコツコツ綴ったアガット国の歴史は、度重なる他国との戦乱と農民の反逆、資金難、そのほかありとあらゆる苦難に満ち満ちていた。
歴史に学べ、と言われてもこのボコボコぶりでは痛みを伴う方法しか選べない。田中信行は小学校のハンコ注射を怖がったくらい痛いのが嫌いだ。
だから民に痛みを強いる気にはならない。
なおハンコ注射はビックリするほど痛くなかったが、クッキリと痕が残ったのだった。
しかし自分も民も傷つくことを覚悟しなければ、こたびの戦には勝てそうにない。
歴代の領主たちは、傷つくことも、罵られることも、すべて覚悟して戦っている。
そして戦いを切り抜けるたびに、カメオスの都には復興されない区域が生まれ、そこがスラムとなり、貧しい人は増えている。
それはまさに焼け跡に闇市ができるのと同じ仕組みである。朝ドラで見たやつだ!
いや「朝ドラで見たやつだ!」ってそんな、進●ゼミのダイレクトメールじゃないんだから。思わずクスッと笑ってしまう。
「……アスト姫様、笑っておられるので?」
「あ、え、ご、ごめんなさい」
いいのですよ、とじいやは恵比須顔になった。
「アスト姫様、笑っておられるというのが大事です。どんな領主でも、笑顔を忘れては民はついてこないのです」
笑っていいとも! ということらしかった。
とにかく「アガット国史」を抱えて書庫を出る。なにやら騒がしい。
「どうしたのですか?」
小間使いの少年に声をかける。
「それがですね……シュタール国に出した書状の返事が参りまして」
「それに問題があったのですね?」
「はい……猫のエサの代金は払えないと」
「なぜです!?」
わたしは間抜けな大声を出した。小間使いの少年は困っている。小間使いだけに。山●くん、田中信行の座布団ぜんぶ持ってって。やるかジジイ!
「それが分からないんです……」
とにかく問題の書状を手元に回すよう手配して、執務室に戻る。
猫の親子がなにも考えずにぐうぐう寝ていた。
こういうものにわたしはなりたい。
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