12 缶詰をつくろう

 猫がぐうぐう寝ているのはどうだっていい。どんな理由でキャットフード代の支払いを免れようというのか。


 書状が執務室に届けられたので開いてみる。


「キャットフードを猫に与えたらネズミを捕らなくなった」


「どんどんデブ猫になって寝てばかりいる」


「これでは猫を飼い始めた意味がない」


「よって代金は支払えない」

 まるで納得のいかない内容だ。単純にいちゃもんをつけられたていである。


 猫というのはそこにいるだけでいいのではないか、と思うのだが、思えば昭和の時代の猫は放し飼いにされネズミをやっつけるのが仕事だったわけで、そこにいるだけでいい、となったのは昭和よりずいぶん後だったのではないか。


 ううーんこの時代の猫をめぐる認識、厳しいな~!!!!


 じいや――どうやらこのじいやがわたしの配下の執政官にあたるらしい――に頼んで祐筆を呼びつける。祐筆に怒りのお気持ちを書記させる。


 現代だったらアニメ化の改悪に激怒する原作ファンがno●eに書く感じだ。


 この世界の手紙は、短い内容なら鳥の足にくくって送るのだが、こういう書状は旅人に託して送るので実に届くのが遅い。紛失することもままある。


 なので迅速に送り付けるべく、国外とのやり取りを主にやっている部署の人間、つまり外交官を捕まえて、シュタール国に持っていってほしい、と手紙を託す。


「これ、キャットフードの代金を支払え、って手紙ですよね?」


「ええ。なにか?」


「あー……シュタール国、ああ見えて金払いの悪いので有名ですよ。名産の武器の飾りにする貴金属や宝石を他国から取り寄せて、難癖つけて払わないとかザラだ、という噂です。たぶん送っても色よい返事は来ませんよ」


 そうなのか……。


「でもとにかく催促してみなければ。叩きなさい、そうすれば開かれます……と言うではありませんか」


「アスト姫様の頼みですからやりますけど……」

 外交官はしょうがない顔をして手紙を受け取った。わたしだって不服だよ。とにかく外交官は渋々といった顔で出かける支度を始めた。


 たいへん申し訳ない気持ちである。


 というか最初から「シュタール国は金払いが悪い」と言ってくれればいいではないか。


 わたしは蒸気機関のごとくプンスコ激怒しながら執務室に戻った。


 じいやがしょんぼりしていたので、何があったのか、と尋ねる。


「わしがシュタール国の金払いの悪さを知っていればこんなことには」


「知らなかったのですか?」


「この国からなにかをいまのシュタール国に輸出するのはほとんど初めてだったのです。過去にないわけではありませんがそのころとは領主も違いましょう」

 じいやは深々とため息をついた。


「外交官たちからもっと話を聞くべきでしたね。次から気をつければいいのですし、じいやの悔やむことではありませんよ」


「ああ、姫様はお優しい……無能なじいを許してくださるとは」

 じいやはおいおいと泣いた。


 ◇◇◇◇


 キャットフードをシュタール国に輸出して外貨を稼ぐ作戦は見事に頓挫し、キャットフード工場の操業が危うくなっていた。


 なにかもっといい相手を探さねばならない。それこそアウルム王国に輸出すれば、豪華な暮らしをしている王侯貴族によく売れるのでは、と思ったが、アウルム王国の王侯貴族は猫に茹でた鶏肉を食べさせているのだという。アガット国の人間の食事より豪華ではないか。


 そしてキャットフード工場の操業が止まってしまったら、アガット国内の一家に一匹ネコチャン作戦自体が暗礁に乗り上げてしまう。


 そもそもあのキャットフードはネズミだけでは補えない栄養を猫に与えることと、南方でたくさん獲れすぎて困っている巨大魚の始末のために作らせているものだ。あれだけを毎日たっぷり食べさせたらそりゃデブ猫になるだろうし巨大魚だって浮かばれない。


 なにかないか。


 薄利多売で別の国に輸出すればいいのか。欲しがるひとはいるのだろうか。


 そんなことを悶々と考えているとじいやが目安箱に入れられたカメオスの市民からの意見書を持ってきた。ひとつひとつチェックして気を紛らわせる。


 ……思った以上に、「アスト姫様はお元気ですか」というものが多い。


 そういえば最近新聞のネタになるようなことはまるでしていなかったな。


「気分転換にカメオスの街の様子が見たいのですが、よいでしょうか」


「もちろんです。市民は喜び、衛士たちの士気も高まることでしょう」

 じいやのOKが出たので、衛士数名とじいや、メイド長、シャルルを連れて街に出る。


 市内にはずいぶん猫が増えていた。悪臭などの公害を心配したが、どの家も庭や室内に砂箱を置いて適切に片付けているらしい。


 そもそも野良猫、というのは基本的にいないようだ。


 つい猫ばかり見てしまうが、問題はそこではない。民の信頼を勝ち得るのが大事だ。


「アスト姫様!」


 マスクをつけた中年女性が涙目で手を握ってきた。そうだ、ずっと屋敷にいるから忘れていたが、アガット国では新型コロナウィルス感染症めいた疫病が流行っているのだ。


「疫病はいまもひどいのですか?」


「はい……ついこの間、孫が流行り病にかかって、息子の家族全員にうつって、たいへんなことでした。姫様もマスクをなさったほうが」


「そうですね、わたしが倒れたら大変です」

 メイド長がすっとマスクを差し出してきた。それをつける。ゴム紐でないので耳が地味に痛い。


「なにか困っていることはありませんか」


「食事に魚がないので夫が不機嫌です。いまはお国の一大事なのだから我慢しろと言っているのですが」

 なるほど。その話を聞いて思い浮かんだのは、ツナ缶であった。


 ◇◇◇◇


「民にも楽しみがないと、籠城を強いることになったときに不満が噴出するのではないでしょうか」


「アスト姫様はたいへん聡明であらせられる。しかし楽しみとは?」


「漁村で獲れている、いまキャットフードに加工している魚の、人間が食べておいしい部位を、水煮にして缶詰にして備蓄するのです」


「缶詰……とは?」

 やはりこの世界には缶詰というものが存在しないらしい。


「金属の容器に密閉して高温で処理して、腐らないようにしたもので、こういうもので開けて食べます」


 ギリギリ缶切りの必要な缶詰を知っている世代でよかった。さらさらと、そこにあったメモ帳に缶詰と缶切りの絵を描く。


「それも黄泉の国でご覧になったもので?」


「ええ。こうすれば長持ちしますから、籠城の動物性たんぱく質として優秀でしょう」


「ではさっそく都で試作したのち、漁村のキャットフード工場のラインを分割し、キャットフードとともに作らせます」


「頼みましたよ」

 じいやはメモを持って廊下に出ていった。そしてちょっと転びそうになっていた。


 椅子から立ち上がり、グイっと伸びをする。ずっと座りっぱなしというのは体によくない。


 もし缶詰が上手くいったら、それこそ「現代知識で無双する」だな。


 そういうのは田中信行の趣味じゃないんだよなあ……。


 田中信行は「三国志演義とか封神演義とか水滸伝みたいな、スケールのクソでかい戦記ファンタジーが書きたい」と思って「アウルム王国列王記」を書き始めた。


 それをイメージ通り形にする能力なんてないのに、である。


 そして仮に現代人のWeb作家が、さきほど挙げた古典の戦記もののように、「どこそこになにがしという英雄がいた、この英雄はだれそれを倒したがなんとかの戦いでだれかれに倒されて死んだ」の連続の物語を書けても、面白いことはなんにもないのである。


 ライトノベルの神様は、もっと面白いものを書けと仰せになられた。


 面白い物語は成長と行動の物語である、とハリウッド式脚本術の本は言う。

 あるいは英雄物語というのは人が知らない世界に飛び込み、英雄となって帰ってくる物語だと、ジョーゼフ・キャンベルの「千の顔をもつ英雄」は言う。


 田中信行の責務は、アストリッド・アガットを、英雄にすることだ。


 ◇◇◇◇


 缶詰の試作一号が出来上がったというので見に行く。なんせ技術程度が古代ローマ帝国なのにツナ缶を作る……という無理難題を押し付けたので心配していたが、思ったよりクオリティの高いものができていて感心する。


「素晴らしいです。開けてみても?」


「もちろんでございます」


 缶はたいへん都合よく存在していたアルミ製で、現代の缶詰よりかは若干アルミが厚い。


 中身はとりあえず実験としてキャットフードで作ったらしい。猫缶ではないか。缶切りを力いっぱい押し込むと「ぱきゅ」と音がした。ぎっぎっと開けると、キャットフードがてろりんと入っていた。


 それを実験室で飼われている猫に与える。特に問題はないようだ。


 アルミが都合よく存在していたことに心の中で感謝し、研究者に礼を言った。研究者冥利に尽きる、という顔である。


 さっそく漁村でのツナ缶の製造を命じ、屋敷に帰ってくると、なにやら慌ただしい。適当に小間使いを捕まえて話を聞く。


「なにごとですか」


「さきほど早馬が知らせたのですが、シュタール国にアウルム王国が攻め入ったらしいです」


 なんということだ。キャットフードの代金、まだもらってないぞ。

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