9 ライトノベルの神様

 わたし、つまりアストリッド・アガットは、城壁の上に立つ。


 容赦ない夏の日差しと湿った風が吹き付け、ここが稲作地帯であることを示している。


 アストリッド・アガット、いや田中信行の周りを、衛士たちが囲んでいる。そうだ、城壁の向こうにいるのはアウルム王国軍だ。マリューが銃器を持っていた、ということは、アウルム王国軍が銃器を持っていてもおかしいことはなにもない。

 オラーツィオ・アウルムを探すが、あのいけ好かない金髪碧眼の姿は見つからなかった。国に残って戦況の報告を受けているだけなのかもしれない。


 なんでこんな胸糞悪い異世界を書いてしまったのだろう。


 もっと楽しい異世界だって書けたかもしれない。モフモフした神獣と友達になるとか、いわゆるハーレムものとか。


 というかどうして、アストリッド・アガットを序盤で殺されてしまうかませ犬として登場させたのだろう。こんなにいろいろな人に愛され、信頼されているというのに。


 自分で作った物語だというのに、知らないことが多すぎた。


 あまりに評価されないゆえに、区切りのいいところまで書いたらやめてしまおうと思っていた物語の中に転生するとは思っていなかった。

 いや、評価されない、なんて言ってはいけない。Xのフォロワーが「これ面白いっす」と言ってくれたではないか。あれをもってこの物語の評価だと思わねばならない。


 だれか一人に刺され、と思うものの、その一方でみんなに読んでほしい、どんどん応援やレビューが欲しい、書籍化したい、と思うのはおかしいのだろうか。

 アストリッド・アガットは、もっと活躍させていいキャラクターだったのだ。メイド長やじいや、マリューやシャルルを登場させて、アストリッド・アガットの周りの人々として描写し、魅力的なストーリーの材料にしていいキャラクターだったのだ。


 ただ田中信行の想像力の限界を感じるのは、やはりどうしてもどこかで見たキャラクターしか登場していないことだ。メイド長は「アストリッドとラファエル」のラファエルだし、じいやはヘ●ダーソン先生である。


 まあそんなことをいま考えたとてどうしようもない。

「姫様、」

 衛士に促されて、わたしは頷く。


「アウルム王国軍! よく聞きなさい!」

 アウルム王国軍はざわついた。


 そうか、アストリッド・アガットは言葉を話すことができない、という設定だったな。アウルム王国軍はその情報のまま攻めてきたに違いない。


「わたし、アストリッド・アガットは、一度死に、そして戻ってきました! 黄泉の国で、わたしはお前たちが滅びる未来を見た!」

 アウルム王国軍は動揺している。たたみかける。


「わたしたちアガット人はお前たちには屈しない!」

 衛士たちから歓声が上がる。


「アガット国を、お前たちの好きにはさせない!」

 太陽が眩しい。めまいがする。


 眼前のアウルム王国軍は、なにやらガチャガチャと動いていた。

 もしかして、銃器に弾薬を詰めているのでは?


 そう思ったが眩しくてよく見えない。目をすがめてアウルム王国軍を見つめる。



「姫様、どうされました?」


「眩しくてよく見えないのですが、あれは武器に弾丸を詰めているのでは?」


「武器……と申されますと?」


「西のほうで発明された、火薬で弾丸を飛ばす武器です」


「……そんな武器に、人を殺める力がありましょうか?」

 ……元寇じゃん。火薬を見たことがなくてモンゴル軍にボコボコにされるやつ……。

 そう思った次の瞬間、アウルム王国軍の銃器が烈しく火を吹いた。


 ばすっ、と体に衝撃を感じる。


 続いて骨の砕けるような激痛が、左肩に走った。


「アスト姫様!」


 激痛をこらえて立ち上がる。トラックにはねられたときよりはぜんぜん痛くない。


「お前たちの卑劣な行為は、長く語り継がれることとなろう!」


 そう叫んでやる。攻撃されたのだから反撃を許すと衛士に伝えると、城壁の上では投石機の準備が始まった。

 そのあとの記憶はない。


 ◇◇◇◇


「ふぅーむ」


 どこまでも真っ白い世界に、俺はぼんやりと佇んでいた。


 これは死んだのかな。


 アストリッド・アガットは、やっぱり序盤で死んでしまうのかな。


「どうじゃ? 滅ぼされるものの気持ちが、いささかでも分かったじゃろ?」


 じいやにそっくり、すなわちヘ●ダーソン先生にそっくりな神様が、俺に近づいてくる。


「わしはライトノベルの神様じゃ。わしがOKを出さないかぎり、スニー●ー文庫大賞で大賞を獲得する作品は出ない」


 ラノベの神様。


 なんというか中学生のころ、隣の席の女子がガラケーで書いていた、「主人公がトラックにはねられ、これは神様のミスだから好きなキャラクターのいる世界にヒロインとして飛ばされる話」みたいだ。つまりは夢小説というやつだ。


 好きな作家がXで「悪役令嬢というのは夢小説の『嫌われ』というジャンルで、主人公を貶める好きなキャラクターの親衛隊の令嬢が発祥ではないか」と言っていたのをふと思い出す。


 そうか、Web小説の異世界転生って夢小説の神様に行き先を相談するくだりをすっ飛ばしただけなのか。


「なにを考えておる?」


「……いえ」


「そちは真剣に、ライトノベル作家を目指して、『アウルム王国列王記』を書いておったんじゃろ?」


「ええ、まあ」


「直すべきところは分かったか?」


「え、また現実に戻されるんです?」


「そうじゃよ。わしはそちに期待しておる。もっといい物語を書いて、カクヨムコンで受賞して書籍化する。それがそちのやるべきことじゃ」


「えっ」


「不満か?」


「不満といいますか……俺としてはアストリッド・アガットとして、アガット国を守りたいです。ダメですか?」


「ふぅーむ、物語を納得いくまで追いかけてみるつもりのようじゃな」


「というか、現実よりあの異世界のほうがいいと言いますか」


「ふぉふぉふぉ! そうきたか! 戦争、飢饉、死、そういったもののほうがいいのじゃな、面白い男じゃ」


「えっ、飢饉起こるんですか?」


「推しのライトノベル作家がバカ稲病の話をしておったじゃろ。農業はいつも不測の事態が起きるものじゃよ。まあそこは見てみよし」


「えっ、ちょっ、まっ……!」


 ◇◇◇◇


「アスト姫様!」


 メイド長が、ベッドにすがりついて泣いていた。

 少し離れたところにはじいやがいて、泣き腫らした目をしていた。


 シャルルとマリューも心配そうな顔をして俺、ではなくアストリッド・アガットを見ている。


「アスト姫様……よくぞ戻られました」

 じいやが鼻をぐすんっと鳴らす。


「わたしはどうなったのですか?」


「アウルム王国軍の武器で肩に傷を負われ、そのまま気を失われて、医師が手当てをして、みなで祈りつつアスト姫様が意識を取り戻されるのを待っておりました」


 じいやは涙目である。マリューがそっぽを向いたのは目の化粧が落ちるからだろうか。


 果たして、田中信行がトラック事故から生還したとして、みんなこんなふうに悲しんでくれるだろうか?


「――そうだ。アウルム王国軍は?」


「アスト姫様に怪我を負わせたあと、逃げるように退いていきましたよ」

 シャルルが答えた。そうなのか。それはよかった。


「でもことはもっと大きくなるだろうね」

 マリューがつぶやく。


「やはりそうですか」


「アウルム王国軍はアガット国を滅ぼして属州とする気だ。その警告としてアスト姫を撃ったんだ」


「――わたしの周りの衛士たちは?」

 急に心配になって尋ねると、マリューはわたしのほうを見た。


「みんな無事。よろいは少々凹んだり傷になったりしたけど」

 よかった、と安堵する。


「とりあえずあの武器を輸入する手立てを考えましょう。あれだけの威力だから高価なはずですが、敵軍の装備を上回る力がないことには」

 わたしは体を起こした。左肩に痛みが走る。もしもう少し狙いがずれていたら心臓を貫かれていたのだ。恐ろしや。


「マリュー、この先飢饉が起きる可能性はありますか?」


「飢饉……農業をやるかぎりその可能性をゼロにすることはできない、とだけ言っておくよ」


 やはり飢饉が起きるのだ。


 それを、ほかの仲間にバレない形で、わたしに伝えてきたのだ。


 メイド長とじいやはよく分からない顔をしている。シャルルは薄々感づいたような表情。


 なんとかしなくては。そういえばXでフォローしている好きな作家の書籍化デビュー作は、聖女さまがジャガイモを育てる女性向けの大判ラノベだった。


アストリッド・アガットは聖女ではないが、なんとか飢饉を防がねばならない。

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