8 己の業と戦おう
職業訓練のために集まったスラムの人々を、農業と衛士のやりたいほうに振り分けていく。
男性のほとんどが衛士希望であった。まあそうだろうな、とは思っていた。
衛士見習いになったスラムの人々が練兵場に出ていき、農業研修生になったスラムの人々を、農業ギルドの人たちが仕事に連れていく。
これでなんとかなるとは思えない。相変わらず状況は「なんとかなれーッ!」である。
なんとかなったらこんなに悩まねえんだよなぁ……。
季節はそろそろ夏といったところだろうか。暑い。しかし令和の日本よりはマシだ。
執務室で、衛士団や農業ギルドに支払う謝礼の計算(電卓が欲しいのだが通貨が基本的に十進法でないのでたぶん役に立たないだろう)をしていると、シャルルが駆け込んできた。
「どうされました司祭さま」
じいやがのんびり尋ねる。
「アスト姫様。猫たちが妙に怯えているので、塔から山のほうを見てみたのですが」
ついにきたか。わたしは覚悟して立ち上がった。
塔に通される。間違いなく都カメオスでいちばん背の高い建物だ。長い階段を延々と登り、てっぺんに到着する。置かれている実に原始的な望遠鏡を除くと、山肌を無数の軍勢が進んでくるところだった。
幸い乗り物がロバなので馬のように速くはない。投石機や攻城やぐらなどは到着してから組み立てるつもりのようだ。
「いかがいたしますか」
「城門を閉めなさい。農民も農地から離れさせて、街の壁の内側に入れて」
「しかし……それでは食糧不足になるのではないでしょうか」
シャルルが心配そうな顔をする。
そうなのだ、てっきり攻めてくるのは収穫の季節を過ぎてからだと思い込んでいたのだが、残念なことにオラーツィオ・アウルムはそういう優しさが1ミリもない男である。
「ただ籠城するだけではありません。こちらからも、投石機などで敵陣を攻める支度を。それと城壁の上から射掛けて、相手に投石機や攻城やぐらを作らせないようにするのです。じい、衛士団長に以上のことを命じて」
「は」
じいやは細かくメモを取っていた。年齢からくる忘れっぽさをメモで補っているのだ。
シャルルも、街の人々に命令を出すべく動き出した。
メイド長は屋敷の窓に紙を貼って養生するので忙しい。
わたしは、田中信行はひとりぼっちになってしまった。
ひとり悶々と、なんでこんなクソ異世界を書いてしまったのか、ぐるぐる悩む。
最初は「異世界戦記ものを書きたい、できればリアルで深いやつ」と思ったはずだ。
しかし戦争なんて朝ドラでしか見たことがないし、田中信行が書きたかったのは二次大戦のような「陰惨」なものではなかった。
陰惨でない戦争なんて存在しないのに、田中信行はただただ血沸き肉躍るバトルものを書こうとした。その結果血も涙もない無双ヒーローであるオラーツィオ・アウルムが生まれ、オラーツィオ・アウルムに滅ぼされるためだけにアストリッド・アガットが生まれた。
無双する主人公の影には、ボコボコにされた敵キャラがいるということに、さっぱり気付かなかったのである。
わたしは、田中信行は、ボロボロと泣いていた。
怖かった。戦争が怖かった。
肩が震え背筋が冷たく、ただただ恐ろしい。
でも泣いちゃだめだ。アストリッド・アガットには、都カメオス、アガット国、そしてアガット国の民を守る責任がある。
その責任を全うするまで、死ぬわけにいかない。
「城門、閉鎖しました!」
衛士団長がそう言って駆けつけた。
「投石機は」
「万事滞りなく支度しています。投石機はシンプルですからな、おそらく見習いの者にも教えればすぐ使えることでしょう」
「命じておいてなんですが、投げるものはあるのですか?」
「ええ。カメオスの都に下水道を作ったときに出てきた岩の塊がたんまりあります」
「分かりました。ご武運を」
「そうだ、アスト姫様。衛士たちにお手を振られてはいかがですか」
「……はい?」
「そうすればきっと士気も高まりましょう。うん名案だ、こちらへどうぞ」
仕方なく衛士団長についていく。城壁の上に出た。
まだ敵軍は視認できる距離ではないが、城壁の上に投石機や弓矢が用意され、いつでも戦争に入れる支度がされている。
「アストリッド・アガット姫様のおなりである!」
衛士団長がそう声を発すると、衛士や衛士見習いたちはみなひれ伏した。
「頭を上げてください。わたしはそうされる価値のないものです」
「アスト姫様のおかげで、わしらは生きる目的を手に入れました」
一人の老兵が、そう言ってわたしを、田中信行を拝む。
「わしはスラムの者です。わしらはあのまま、どぶ川の水を飲み続ける暮らしをするのかと、幸せになることを諦めておりました」
「そうだ。姫様が俺たちに、アガット国を守るっていう仕事をくれたから、俺たちは幸せなんだ」
「姫様のためなら死んでもつらいことはない」
衛士見習いの制服を着た人々が口々にそんなことを言う。
「だめです、死んではなりません。わたしはあなたがたに生きてほしくて仕事を与えました。だから、諦めないで。死ぬのはつらいことです」
まあ姫様の正体が違う世界で文章を書き散らすだけの人間で、トラックという乗り物にはねられて死んだ、と言ってもなんの理解も得られないわけで。
ナ●シカのごとく民に愛されているのにビビりながら、わたしは続ける。
「わたしはいちど流行り病で死にました。黄泉の国でさまざまなものを見ました。そしていちど死んで、死ぬのはただただ辛くて苦しいことだと分かりました」
「姫様……」
「だから、生き延びて、いつまでもこの国を守ってほしいのです」
頭のなかにナ●シカ・レクイエムがこだまする。
そのまま、ゆっくりと陽が暮れた。
◇◇◇◇
さすがにベッドでぐうすか寝るわけにもいかず、執務室の椅子に寄りかかってぐったりと夜を過ごした。
目を覚ませばメイド長は衛士たちのために炊き出しをしており、緊迫感はより一層増していた。じいやは鎖帷子で武装している。シャルルも甲冑をまとっていた。
「……よう」
ひょこっと現れたのは、マリューであった。手にはなにやら銃器が握られている。
「マリューさん、それは」
「西方の土地で発明された、鉛の弾を飛ばす武器」
なんで持っているかは分からないがとりあえずそれはどうでもいい。
だいぶ緊迫したムードになっているようだった。
しかしマリューは楽観的だった。口調も預言者としての公式会談と違って、スラムの人々と話すときのようにくだけた話し方をしている。
「あたしのカンだと、相手は直接攻撃してこないような気がするんだ」
「……とは?」
「あいつら、宣戦布告にきただけじゃないかな。恭順すれば攻めない、とか言うんだよ、きっと」
「じゃあ従うべきなのでしょうか? 兵力の差が圧倒的すぎる」
「それはだめだ。あいつは間違いなくうそをつく。味方になったふりをして城門を開けさせ、カメオスを蹂躙し、男を殺し、女を凌辱するだろう。子供は奴隷として連れ去られる」
「そんな……」
「だからあんたの出番だ。堂々と、宣戦布告に受けて立つ、と答えて追い返せ」
「で、でも宣戦布告に望むところだ! って答えたら、それこそ攻めてくるのでは?」
「戦争になったらこっちにも攻撃する意欲はあるって、城壁の上の投石機が証明している。従う、と言って城門を開け放たせるのがやつらの狙いだ」
「そう、そうですね。そうしましょう。もっといい条件で降伏することだってできるはず」
マリューは目をむいた。部屋にいたシャルルもじいやも目をむいている。
「あんた、降伏する気なの!? スラムのみんなを兵隊にとっておいて!?」
「それはいけませんアスト姫様! 相手は残虐なオラーツィオ・アウルムですよ!?」
「じいは驚きのあまり血圧が上がっておりますぞ!?」
「だ、だって。死ぬのは怖くてつらいことです。それを民に強いるなんて。きのう城壁の上で衛士たちに生き延びろと言いました。生きてるだけで丸儲けではないですか」
「姫様、そのような下品な言葉遣いはなりませんぞ」
「それに降伏すればみな助かる、というわけではありませんよ。あのオラーツィオ・アウルムのことです、我々アガット人をみじん切りにしてこねて焼いて食べるのでは?」
シャルルの言うことが怖い。それは伯●考ハンバーグというのだ。
「でも……」
「お姫様の気持ちは分からないでもないよ。できれば戦わないで、市民の損害を少なく済まそう、ってことなんだろ?」
「はい……」
マリューは少し考えた。
「でもそれがうまくいくかは戦況によるだろうし、とりあえずいま考えることじゃない。いまは、あんたが市民を、国民を守る意志を示さなきゃいけないところだ」
……。
覚悟するしかないらしい。
「あんたはいっぺん地獄を見たんだ。なんとかなる。自信を持ちな」
地獄もなにも、現実世界でモラトリアムしていただけなんですが。
そう考えていたところに衛士団長が駆け込んできた。
「敵軍がカメオスの城壁を包囲しました! しかしドンパチを始める気配はありません!」
「ほら、あんたの出番だ」
アストリッド・アガット……いや、田中信行は、己の業と戦うと決意した。
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