7 職業訓練をしよう
生きる希望となる仕事、というのはたいへん難しいことだ。ましてやちゃんとした職業に就くことを考えたことがないであろうスラムの人たちにとって希望となる仕事、というのは、我々のように裕福に暮らしている人間にはそう思いつかない。
他の、都カメオスの民にバカにされない仕事でなければならないし、しかし他の民に「スラムの連中ばっかり得をして」という反発をされるような仕事というわけにもいかない。
難しい。
しばらくうんうん唸って考えていると、じいやが部屋を出ていった。しばらくして、じいやは書類を抱えて戻ってきて、わたしに手渡す。
「もろもろ、この間の会談の議事録を見て必要になりそうだと思っていた書類を、書庫から出してくるよう頼んだものです」
「……?」
開いてみると、そこにはスラムの実態がしっかりと記載されていた。
子供は大人になるまで育つことが難しく、そもそも出産の際に産婆を呼べないので死産や母親の死も多い。病気になっても医者にかかることはできず、識字率は限りなくゼロパーセントに近く、満足な教育を受けられない。なので泥棒のような刹那的なシノギを選ぶ。
……ふむ。
「諸問題の根底にあるのは、教育を受けられない、ということではないですか」
「教育……ですか」
「どんな仕事に就くにせよ、四則演算や読み書きの能力が必要だとわたしは思います。ふつうの民は手習い場に通っているのですよね?」
「ええ、よほど貧しくないかぎりは」
「……ふむ。それであればスラムに教師を派遣しましょう。スラムの、子供と言わずすべての人に、教育を届けねばなりません」
わたしがそう言うと、じいやは「ノットエレガント!」の顔をした。
「それはなりません姫様。そんな悠長なことを言っていたら、アウルム王国が攻めてきます」
「……アッ」
そうなのであった。
もうまもなくアウルム王国のオラーツィオ・アウルムが攻めてくる。
オラーツィオ・アウルムは金髪碧眼のいけ好かない野郎だ。そいつと対抗するためにスラムの人に読み書きを教える、というのはいささかトンチンカンな話である。
「じゃあ、やはり衛士として雇用するしか……」
「それもだめですアスト姫様。読み書きができなければ自分の当番の日が分かりません」
わたしは、というか田中信行は叫んだ。
「負のスパイラル!!!!」
そう叫んだらなぜかメイド長が駆けつけてきた。
「どうなさったんです!? そんな大きな声お出しになって!」
「いえなんでもありません。詰んでいるなあと思っただけです」
「まだ詰んじゃござんせんよ。アウルム王国軍はまだ山の向こうです」
うぬぬ。
「じゃあ、スラムの人たちに、職業訓練を行いましょう。折衷案としてどうですか?」
「悪くないとは思いますぞ。しかし、我々に放置されたスラムの人たちが、それを受け入れるでしょうか?」
「なぜ放置したのですか?」
「スラムの人たちだからです」
やはり諸悪の根源は我々であった。
なにか、スラムの人たちに強く訴求する方法はないものか。
「……あ」
いいことを思いついた。わたしは立ち上がった。
◇◇◇◇
「まあ、構いませんが……」
ふたたび会談の席に連れてこられたマリューは、たいへん面倒くさそうな顔をしている。
マリューに、スラムの人たちへの職業訓練プログラムを広めてほしい、と頼んだのだ。
マリューは大盗賊だ、スラムの人たちからの信頼が厚い。そんなマリューが広めてくれたら、職業訓練の話はすぐ広まるのではないか。
「で、具体的にはなんの仕事をさせるおつもりですか?」
「衛士と農業です」
「それらの仕事の人々から了解を得たのですか? スラムの連中は嫌われております、快く受け入れてくれるとは限りませんよ」
それに、とマリューは続ける。
「もう山脈の向こうまでアウルム王国軍は迫っています。それはどうするんです?」
「なんとか、なんとかなります。スラムの人たちが味方をしてくれれば……」
まるっきしち●かわの「なんとかなれーッ!」であった。
「……そこまで信頼されているなら仕方がないでしょう。分かりました。でもちゃんと、職業訓練の受け入れ先の承諾をとっていただきたい」
「分かりました。なんとかします」
「……面白いお方だ」
「なにがです?」
マリューは微笑む。
「突拍子もないことを、できて当然のように言ってのけるのがたいへん愉快です」
どうやら「おもしれー女」だと思われているようだった。
◇◇◇◇
というわけで、衛士団長と農業ギルドのギルドマスターと会談することになった。政治家というのは会談で忙しいんだなあ、と思う。
衛士団長のほうはムキムキ筋肉質のゴリマッチョで、農業ギルドのギルマス(Web作家なのでついこんな塩梅に略してしまう、よくない癖だ)は日焼けしてテラテラ光る爺さんだった。
かくかくしかじか、と職業訓練の話をする。
「それで我々の分け前が減ることはないのですか?」
衛士団長は難しい顔をしている。
「わしらも食い扶持が厳しいでな、スラムの連中を受け入れるならせめて食事代くらいは負担してほしいところですが」
やっぱりそうなるかー。
だめかー。
PUIPUI●ルカー。
最後に関係ないのが混ざったがそれはどうでもいい。ホームセンターの小動物コーナーで観たモルモット、本当にぷいぷいぷぎゅぷぎゅ言ってて可愛かったな……。
ますますどうでもいいことを考えていた。いやいや、と頭を切り替える。
「お二人を信頼しているから言うのですが、いま山脈の向こうに、アウルム王国軍が迫っています」
「……なんと」
「それは恐ろしい……」
「やつらが山脈を乗り越えてアガット国に侵略してくるのはそう遠い未来ではありません。だからいまのうちに農業を振興させ、衛士団の戦力を増やしておきたいのです」
「アスト姫様の頼みであれば……かしこまりました。アガット国の自由のために、衛士団はスラムの人々を受け入れようと存じます」
「わしらも死ぬよりなら少々ひもじいほうがマシだ。お手伝いいたしましょう」
「ありがとうございます!」
話がまとまった。次はスラムの人々に、新しい仕事の話をしなくてはならない。
というわけで、周りを衛士たちに固められてスラムに向かう。
ボロボロの、服とは思えないような服を着た子供や、赤ん坊を抱くにはいささか若すぎる母親、病気の老人、そういう人たちが、なにかに絶望した顔をしてわたしを見ている。
「皆さんによい知らせを聞かせたくて、ここに来ました」
スラムの人々はうろんな目つきでわたしを見ていた。
「皆さんに、職業訓練を受けていただきたいと考えております。職業訓練というのは、ほかの市民のように働いて、収入を得るための訓練で……」
そこまで言ったところで、なにかが肩にガツンとぶつかった。痛い。血が出てきた。生成り色のブラウスに血がにじむ。
どうやら石を投げられたらしい。投石をバカにしてはいけない、旧約聖書でダビデがゴリアテを倒した方法は投石だし、封神演義の原作だと聞仲は投石で死んでいる。
もちろん衛士たちが素早く動き、投石した少年を拘束し、わたしの怪我の手当を始めた。
幸いそれほど大きな怪我ではなかった。しかし仮にも領主に石を投げたのだ、拘束された少年はどんな刑に処されるか想像がつかない。
拘束された少年は叫んだ。
「お前らのいう事なんか信じるかよ! ウソつき! トンチキ! ガリガリ亡者!」
その気持ちは、なんとなく分かる。
わたしは拘束された少年の前に屈んだ。
「信じてもらえないのは分かっています。でも、これからはあなたがたにも、信じてもらえる国政をしたいと考えているのです」
拘束された少年は、目をまん丸にしていた。
「アスト姫様、引き上げましょう。この者の投石に触発されて、ほかの者も投石を始めないとは限りません」
「そうですね……信じてもらえないのは、我々のいままでの行いが悪かった、ということなのでしょうね」
衛士たちに守られてスラムを出る。
向こうから小さな女の子の声が上がった。
「あたい、はたらきたい!」
その声につられて、次々と「おれも!」「おいらも!」と声が上がる。
なんというか、美少女のプリンセスというガワは強いんだなあ、と田中信行は考える。そりゃディズニー映画でゴリゴリにプリンセスを押してくるわけである。
その声に答えたかったが、衛士たちは脱出を優先したようだった。粗末なバラック小屋の建ち並ぶスラムから離れて、わたしは衛士に声をかけた。
「大成功ではないですか」
わたしは嬉しくなった。
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