6 キャットフードを作ろう

 実際カメオスの都では、野良猫に憐れみをかけよと命じてから、どんどん野良猫が増えていた。


 まるっきし生類憐みの令ではないか。犬じゃなくて猫だけど。


 いまの日本史では徳川綱吉は暗君ではなく時代に合わないほど慈悲深かった、という習い方をすると聞いたが、アストリッド・アガットのやっていることは犬公方ならぬ猫姫と呼ばれても仕方あるまい。あれか、「異世●失格」のタ●か。


 しかし民はアストリッド・アガットをバカにすることはなかった。なんて憐み深い姫様だ、と、風の谷の民がナ●シカを見るような目でわたしを見てくる。


 じいやに、大豆を植えた農民への褒美を猫にするのはどうか、と聞いてみる。


「よろしいのではないですか? 農民はみなネズミの害に苦しんでおるそうですからな」


 よしゃよしゃ。小さくガッツポーズをする。


「ただ、エサの負担が大きかろうと思われますな」


「エサ……ですか。そうですね、米と味噌で生きているとなると、それを分け与えるのでは大変ですし、猫だって栄養が足りなくなりますね」


 ネコチャン作戦がくじけかけているところに、手紙をトレイに載せた小間使いの少年が入ってきた。


 手紙を3通ほど受け取り確認する。炭鉱の採掘の様子、南方の農村の様子、そして漁村からの漁獲量報告。


 漁村からの手紙によると、人間には食べきれないくらい大きな、そして味のいい魚が、最近どんどん釣り上げられているらしい。


 ……それって、マグロなんじゃね?


 手紙に添えられていた絵を見ると、どこからどう見てもマグロにしか見えない。


 そんな、マグロ漁師ドキュメンタリーみたいな……少しそれを眺めて、はっと気付く。


「この魚のアラを、猫のエサに加工すればよいのです!」


「おわ!? 姫様、突然大声を出されるとびっくりいたしますぞ」


 じいやはびっくりしていた。ごめんなさいと謝り、さっそく地図を広げる。


 南方の漁村は歩いて一昼夜くらいの距離だ。もともとアガット国はそう広い国でない。弱小国と言っていいだろう。


 この距離なら、ギリギリ加工が間に合うのでは。


 いや、いっそ漁村のほうに加工場を建てるべきでは。


 頭がルンルンしている。そのプランをばーっとじいやに話すと、じいやは目をぱちぱちして、それから頷いた。


「さすがアスト姫様。そうするように伝えましょう。魚のアラを煮て猫のエサ用として都に持ってこさせればいいんですな?」


「ええ。猫はすべてを解決する……!」


 じいやがそのことを手紙で連絡した3日後、都に樽いっぱいのキャットフードが届けられた。仕事が早すぎる。さすがじいやと褒めちぎったら顔を真っ赤にして照れていた。かわいい。


 さっそく、新聞記者を呼んで、屋敷の中で暮らし始めたおかあちゃん猫と子猫二匹に、キャットフードを与えてみる。


 いつも焼き魚の頭やご飯の残りを食べさせられていたおかあちゃん猫と、最近ちょっと乳離れした感じのある生き残りの子猫二匹は、うまうま、うまうま、とキャットフードをモグモグ食べた。


 そのとき、歴史が動いた……!


 キャットフード作戦はまさに大成功であった。キャットフードの話は新聞に大きく取り上げられて、またしても猫に慈悲深い姫様がアピールされてしまった。


 さっそく、城下で生まれた子猫と、大豆を作付けした農家のマッチングを始めた。そして農村にタルでキャットフードを届けると、農民たちは「こんなうまそうな魚、俺たちが食いたいくらいだ」と言って笑ったそうだ。


 なるほど、キャットフードの缶詰に醤油をかけるってやつか。確かに昆虫ゼリーよりはマシであろう。まあこの世界に昆虫ゼリーないけど……。


 こうして、籠城の準備は着々と進み始めた。


 季節は夏になり、大豆畑は青々と茂る。田んぼも風を受けてすがすがしい。

 田中信行に教養があれば漢詩の一つでも詠んだであろう。残念ながら短歌も得意でないし、俳句は季語というのが苦手だ。明らかな教養不足を感じる。


 田中信行のXのフォロワーに感性の凄まじい人がいて、その人はカクヨムで短歌を発表していた。あまりに尖った感性で「ヒョエエ……」となったのを思い出す。


 なおその人はカクヨムで小説も書いていて、なかなかのスゴイ・ヘンタイ・ノベルだった。


 その人のようにバズる小説を書きたくてオラーツィオ・アウルムの物語を書いていたはずなのに、結局バズる前に異世界に吹っ飛ばされたわけで、というかこんなつまんねー作品を読みたがる人なんていないわけで。


 さて、ネコチャンのほうはちゃんちゃん、となった。とっぴんぱらりのぷう、だ。どっとおはらい、だ。


 またマリューを呼んで、会談を行う必要があるのではないか。


 それをじいやとシャルル、メイド長に相談する。


「よいのではありませんか? 預言者と話して原状でどうなるか確認すべきでしょうな」


「あの女盗賊、本当に預言者なんです?」


「メイド長、大丈夫ですよ。僕が保証します」


 というわけでスラム街に連絡させて、屋敷にマリューがやってきた。


 今回は仮面はなしだった。こちらに心を開いてくれたのだろうか。


「ずいぶんな回り道をなさいましたね」


「こうする以外に手立てがあった、ということですか?」


「民を恐怖で支配すれば、もっと容易かったはずです」


 なるほど……。


「わたしが民に怖がられることが、できると思われますか?」


「ふふ、たしかにそれは難しいでしょうね」

 マリューはよそ行きの口調でそう言い、口元をほころばせる。


「この状態で、アウルム王国が攻め込んできたら、この国は何日持ちますか」


 マリューが目をすがめた。


「何日持つかははっきりとは分かりませんが、前よりは長くなったように感じます。見える未来は、姫様が……その。オラーツィオ・アウルムの後宮で過ごす様子です」


 なんと、後宮ファンタジーモノが始まってしまうのか。寵姫たちのゴタゴタに巻き込まれる可哀想なプリンセスだ。


「そういうかわいいものではありません。オラーツィオ・アウルムに毎晩のように乱暴される様子が見えます、これではもしお子をなしたら、生まれたお子に力を吸い取られて死んでしまいます」


 ……怖い話だったし、よくよく考えたら田中信行のなかの「絶対に抱かれたくない男ランキング」の上位に、オラーツィオ・アウルムがでんと座っているのは間違いない。


「恐ろしいですね」


「まだまだ未来を捻じ曲げるしかありません。姫様が対等に、オラーツィオ・アウルムと停戦協定を結べるまで」


「そのためにはなにをすれば?」


「スラム街を救済して、都のすべての民の信頼を勝ち得ること」


「それは、マリューさんが望んでいることでは?」


「いま見える未来では、スラム街の反乱が見えます。猫より軽んじられるスラムの人々が、アスト姫様に反乱を起こすのです」


 それはいけない。


 マリューに、スラム街の救済にはなにをすればいいのか、と訊ねてみる。


「ふつうに暮らせるようにすること。あるいは――スラムの人たちが、定職について、きちんと食べていけるようになること」


 実に基本的な考え方であった。

 でもそれはその通りだなあ、と思う。

 会談を終えてマリューが帰ったあと、わたしはじいやとメイド長とシャルルに宣言した。


「スラム街の救済事業を始めます。原状では、スラム街の人たちは猫より軽んじられている」


「さすがアスト姫様! 素晴らしいお考えですわ!」

 メイド長が拍手する。


「よいお考えかと存じます。じいは嬉しくて泣きそうですぞ」

 例によってじいやはすでに泣いているのであった。


「して、まずはどうなさいますか?」

 シャルルが真面目な口調で訊ねてきた。


「うーんと……」


「またしてもノープランなのですか!?」

 じいやは目をむいた。あ、思い出したぞ。じいやがだれかに似ているけどだれだろう、とずっと思っていたが、じいやは「S●Y×FAMILY」のヘ●ダーソン先生に似てるんだ。


 ノープランなのをノットエレガントと判断され、しばし悩んでから、わたしは答えた。

「この屋敷の従者や、衛士見習いとして、スラムの人たちを雇用することはできませんか?」


「姫様、そんなお金どこにあるんです!?」

 メイド長が呆れ顔をした。どうやらかなり無茶な判断だったらしい。


 そうなのだ、この国家経営はかなりカツカツなのだ。カツカレーが食べたい。


「何らかの産業に従事させるというのはいかがですか? 南方の炭鉱とか」


 シャルルがそう提案したが、いやそれ第二次世界大戦の朝鮮人・中国人労働者じゃろがい、と思って、それはダメだ、と答えた。


「なぜです姫様。スラムの者は仕事がない。だから盗みを働く。だから職を与えようという話ではありませんか」

 じいやがヒゲを撫でる。


「黄泉の国で観たのですが、戦争に負けたとある国の人々は、近隣の植民地から人を引っ張ってきて無理やり働かせて、暴動が起きたり戦争ののちも差別があったりして、負けた国も引っ張られた人々も、たいそう苦しんでいました」


「ふむ……」


「だから、彼らが望む、ちゃんとした暮らしの保証できる仕事でなければ、やらせる意味がないのです」


「それも一理ありますな。さすがアスト姫様だ」


 じいやは納得したようだった。エレガント! ということなのだろう。


「それは難しい問題ですね……」

 シャルルも頷いている。


「スラムの人たちに、生きる希望となる仕事を与えるのが、喫緊の課題です」

 わたしはそう強く宣言した。

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