4 預言の賜物
マリューには、「預言の賜物」があるのだという。
まるで聖書みたいなことを言うなあ、と思った。田中信行の実家は曹洞宗だったが、図書館で聖書を創世記から黙示録まで読み切ったことがあるのだ。レビ記とかは少々飛ばしたが。
子供たちに味噌汁を飲ませながら、マリューは見えている未来について語った。
「いずれアガット国は滅びて、アウルム王国の属州となり、アカーテース属州と呼ばれるようになる」
なるほど、それは田中信行が書いた通りだ。
「アガット語の使用も禁止され、地名もすべてアウルム語に書き換えられる」
それも田中信行だったころに書いたことだ。
「で、あんたはアウルム王国の王城前の広場で晒し首にされる」
「やはりですか」
死ぬのはいやだなあ、とわたしは思った。だって痛いもん。
「オラーツィオ・アウルムが無双の王国軍や王国騎士団を率いているということは、このアガット王国には勝ち目がないということだ。アガット人お得意の海戦に持ち込もうにも、海から攻めてくることは考えにくい。山脈をロバでえっちらおっちら越えてくるんだ」
田中信行が書いたことなので知っているのだが、それでも暗い気分になるには充分な情報だった。
「なんとか生き延びるすべはないのでしょうか」
「未来は行動で変えられる……とはいっても、よほどの奇跡が起きないことには無理だね」
そうか無理なのか。わたしはションボリした。
死にたくないなあ。一瞬で死ねるかと思った転生トラックだってけっこうな激痛だった。それなら切れ味のよくないこの世界の武器や処刑道具で殺されたらめちゃめちゃ痛いに決まっている。
「その、よほどの奇跡を、一緒に起こしませんか?」
「はぁ?」
マリューは整った眉を寄せる。
「いえ、変なことを言っている自覚はあります。マリューさんがいれば、もしかしたら、と思ったのです。これを口実におびき寄せて捕まえようなんて思っちゃいませんよ」
「自分でそう言うからよけいうさんくさいんだよあんたは」
マリューは樽ジョッキの酒――どうやら蒸留酒らしく、けっこうキツいアルコールの匂いがする――をグビグビとあおると、おつまみらしい干した魚をモグモグと咀嚼した。
「でもまあ、あたしの預言を信じてくれたのはあんたとここの子供たちだけだ。あんたも信頼していい人間なのかもしれないな……」
「それなら正式な会談を持ちましょう。だめですか?」
「……あたしの正体は、秘密にしてくれるかい?」
というわけで話が丸くまとまった。わたしは屋敷に戻ることにした。
◇◇◇◇
屋敷の前はざわざわと騒がしい。何事だろう。
みな、灯りを手に手に、屋敷の周りをなにやら探している。
適当な若い衛士を捕まえて、何事か、と聞いてみる。
「アスト姫様が行方不明になられたのです。悪漢にさらわれたのやもしれません」
衛士は焦っていて、いま話している相手がアストリッド・アガットであることに気づいていないようだった。
「あの。アストリッド・アガットなら、ここにおりますが。わたしですが」
「はあ……アスト姫様、どこに行ったやら」
おおーい。アストリッド・アガットなら、ここにいるぞー。
とにかく屋敷のほうに向かうと、メイド長とじいやがわんわん泣いていた。
「私どもがしっかりお部屋をお守りしなかったから……」
「いやいやメイド長。わしが居眠りしたのがよくなかったのです」
「……あの」
「いまは忙しいのです!」
「ただいま帰りました、アストリッドです」
「……え? あ? え? ……アスト姫様!」
メイド長が抱きついてきた。ハムを作る機械に押しつぶされるとこういう感じなんだろうか。
「アスト姫様! アスト姫様が戻られたぞ!」
メイド長にひたすらよしよしされながら、衛士たちが戻ってくるのを見た。衛士たちはみなボロボロに泣いていた。もしかしたらいらない仕事を増やしてしまったのかもしれないが、しかしマリューと話す段取りはどうしてもつけねばならなかったのだ。
とりあえず部屋に戻る。温かいお茶が出た。緑茶だ。田植えの季節からそう経っていないので新茶ではないだろうが、それでも現実世界で飲んでいた熱湯玉露よりはおいしい。
「で、どこでなにをなさっていたんです? まさか盗賊に傷物にされたのではないですよね」
「そこは心配なさらず。盗賊にさらわれたのではなく、預言の賜物を持った預言者の方と話をしていました」
というか女盗賊、と分かっているのに傷物にされた心配をする、というのは、やはり百合なのだろうか。確かに裏●界ピクニックは大好きだけれど。
「預言の賜物……でございますか」
「ええ。その方と公式に会談したいと思っております」
「大丈夫なのですか? 預言というのは司祭でなければできないことでは?」
「そうでしょうか? あんがい、街の中の普通の人も、そういう力を持っているのでは?」
メイド長はめちゃめちゃ渋い顔をしている。
じいやは梅干しを食べている顔だ。
とにかく誰と話すかは伏せておいたが、会談の席を設けてもらうことにした。その預言の賜物が本物か見極めるために、この屋敷に仕えている司祭も同席することとなった。
次の朝、ほとんど寝ないで起きて、その司祭とやらに会いに行った。屋敷のなかには聖堂があり、そこには地母神が祀られていた。
「おや、アスト姫様。本当に死の淵からご回復なされたのですね。てっきり僕の出番かと思っておりました」
なかなかブラックなジョークを言ってくるな、この司祭は。
「僕はシャルルと申します。なにとぞ」
司祭の名前を聞いた瞬間、頭の中を「天空の城ラ●ュタ」の海賊団のマザコン息子たちがよぎっていった。「ママ! こいつ金貨なんか持ってる!」の人たちだ。
「よろしくお願いします。そもそもの問題なのですが、賜物というのは司祭にしか与えられない力なのですか? いちど死んだときに大事なことをいろいろ忘れてしまったようで」
「いえいえ。普通の人だって賜物を持っています。ただ、賜物を磨こうとしないことには、その力はたいへん微弱です」
じゃあ、マリューはよほど力を磨いたのだな。
「アスト姫様は戦働きの賜物があるはずなのですが、口が利けないばかりに半ば無視されていたと聞きます。いまからでも賜物を磨くべきでしょう」
なるほど。鍛えれば田中信行が考えた結果を回避できるのかもしれない、ということか。
賜物という概念も、この司祭シャルルも、田中信行であったころに描写した記憶がない。
やはり田中信行の想像力の限界の外側にまで、この世界は広がっているようだ。
となれば実際に描写しなかった(というか、これから描写しようとして先送りしていた)他の属州や、さまざまな異民族なんかも登場してくる可能性があるな。
田中信行の脳みその中を冒険しようとしたら、その脳みそが別の世界に接続されていた、みたいな感じだ。いや「攻殻●動隊」か。「銃●」か。
名作サイバーパンク漫画はともかく、この世界はもはや田中信行の想像力だけで作られたものではないらしい。
こうなると原作者知識で無双するというのは無理に思えてきた。
「……どうされました?」
「あっ、いえ、少し考え込んでしまって」
「そうですか。戦働きの賜物は戦乱の世に生まれるものですから、もしかしたらアスト姫様の人生のなかで戦争が起きるのかもしれませんね。そうならないように祈ってはいるのですが」
そういう話をしてから、聖堂を出た。
◇◇◇◇
マリューとの会談の日がやってきた。
マリューは素性を隠すために仮面をつけていた。着ているものはちゃんとしたドレスだ。会談を行う部屋にはわたしとシャルルとマリューの三人だけである。
「この方の、預言の賜物は本物です」
シャルルはそう判断した。
「シャルルさんは議事録を書いてください。……預言者さま。戦争は、いつ起きますか?」
「そう遠くないうちに――そこまでしか分かりません」
ふむ。
預言者でも正確に日時まで捉えることは難しいらしい。
「戦争で、この国が滅びないようにする手立てはありますか?」
「現状、完全に滅びを防ぐことはできませんが、滅びを遅らせて、相手が諦めるのを待つことはできます」
ごくりと唾を飲む。
「それは、いったいどういう」
「――たとえば、籠城するとか」
籠城。
身代金目当ての誘拐で犯人が逃げ切ったことがないのと同じで、籠城で勝利できた戦争はないと聞く。しかし滅びを遅らせるだけなら、なんとかなるかもしれない。
「では――都の中に、食糧を備蓄しなければなりませんね」
「籠城するとネズミが増えて病が流行る恐れがあります。猫を飼いましょう」
マリューはそういう。猫か。悪くない。
田中信行は猫を飼いたいと常々思っていた。しかし子供のころから、それを口に出す勇気なんてなかった。家族が怖かったのだ。
ここは自分の希望が通る世界だ。そして自分はもうニキビ痕だらけの田中信行ではなく、美しい少女、アストリッド・アガットなのだ。
方針がだいたい決まった。たくさんの備蓄と猫を用意して籠城し、交渉の場にアウルム王国を引き込んでなんとか耐え忍ぶ。
できるか、じゃない。やるしかないんだ。わたしは拳に力を入れた。
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